コラム
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「名状しがたい」はどこから来たのか——ラヴクラフト原典87本で数えた340回

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クトゥルフの話でしか聞かない言い回し

「名状しがたい」という語を、クトゥルフ神話以外の文脈で見た記憶があるだろうか。ホラー小説の紹介文、TRPGのシナリオ、ゲームのフレーバーテキスト——出てくる場所はほぼ決まっている。日常の日本語では使わない硬い言い回しなのに、この分野に限っては当たり前のように出てくる。

この語感は偶然ではない。ラヴクラフトの原文には、「名づけられない」「描写できない」「口に出せない」という意味を持つ形容詞が繰り返し現れる。日本語のクトゥルフ神話受容は、そうした複数の英単語を「名状しがたい」という一つの訳語にまとめて受け止めてきた。

ではその原文側には、実際に何が、どれだけ書かれているのか。The H. P. Lovecraft Archive(hplovecraft.com)に本文が掲載されている小説105本を取得し、ナビゲーション・題字・フッターを除いた本文だけを対象に、単語境界で数えた。本文の切り出しに成功したのは87本、総語数は661,775語である。測り方の詳細は記事の後半に置く。

該当する語の出現は、合計で340回。87本のうち60本が最低1回はこの種の語を使っている。以下、その内訳を見ていく。

英語では一語ではない

日本語の「名状しがたい」は一語に見えるが、原文側は一語ではない。実測で出現が確認できた語は17種類あり、その頻度には大きな差がある。

語回数
nameless195
indescribable27
unnamable26
unutterable18
unmentionable17
ineffable15
unspeakable8
unnamed7
unutterably6
indefinable6
namelessly5
indescribably3
unspeakably2
ineffably2
unmentionably1
unknowable1
indefinably1

日本語の話者が「名状しがたい」という言葉から連想するのはおそらく unnamable、あるいは形が近い nameless だろう。しかし実際の原文は、語根の異なる複数の語——name(名づける)、describe(描写する)、mention・utter・speak(口に出す)、それに ineffable や indefinable のような独立した語——を使い分けている。訳語が一つにまとまったことで、原文側の語彙の広がりが見えにくくなっているのである。

最多は nameless であって unnamable ではない

この実測でいちばんの発見は、最も多く使われている語が unnamable ではなく、nameless だったという点である。

nameless は195回、unnamable は26回。その差は7倍を超える。「名状しがたい」という訳語の響きは unnamable の語感に寄っているように感じられるが、原文側の実際の分布はそうなっていない。ラヴクラフトが最も頻繁に書いていたのは、「名づけようのない」ものではなく、「名前を持たない」もの、あるいは「名前を伏せられた」ものを指す nameless だった。

nameless と unnamable は意味の重なる語だが、働きは同じではない。nameless は名詞を直接修飾して「名もなき都市」「名もなき恐怖」のように状態を示す使われ方が多く、地の文に馴染みやすい。unnamable は「名づけることそのものが不可能である」という、より強い主張を伴う語で、使用頻度が抑えられているのは、これが乱発すると効果を失う類の語だからだと考えられる。

否定される動詞は三系統に分かれる

17種類の語を、何を否定しているかで区分すると、三つの系統と、それ以外の独立した語に分かれる。

  • name(名づける)を否定する語——nameless・unnamed・namelessly・unnamable。合計233回
  • describe(描写する)を否定する語——indescribable・indescribably。合計30回
  • mention・utter・speak(口に出す)を否定する語——unmentionable・unutterable・unspeakable・unutterably・unspeakably・unmentionably。合計52回
  • その他——ineffable・indefinable・ineffably・unknowable・indefinably。合計25回

この三系統は、それぞれ別の事態を指している。名づけられないのは、対象を分類する枠組みが存在しない、あるいは分類そのものを拒む何かがある場合である。描写できないのは、言葉で輪郭を再現する能力が対象に追いついていない場合を指す。そして口に出せないというのは、対象そのものより、それを語る行為の側に禁忌や恐怖が働いているときに起きる。日本語の「名状しがたい」は、この三つをまとめて一語で処理してしまう。原文を読むとき、この語がどの系統に属するかを意識すると、その場面で何が起きているかがより正確に見える。

作品ごとの偏り——『名もなき都市』は題そのものが nameless

340回の出現は、87本に均等に散っているわけではない。上位の作品は次の通りである。

回数作品内訳(上位4語)
29At the Mountains of Madness(狂気の山脈にて)nameless×21, namelessly×3, indescribable×2, ineffable×2
24The Dream-Quest of Unknown Kadath(未知なるカダスを夢に求めて)nameless×18, unmentionable×2, namelessly×1, indescribable×1
23The Nameless City(名もなき都市)nameless×21, indescribable×2
20The Case of Charles Dexter Ward(チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件)nameless×13, unnamable×2, indescribable×2, unnamed×1
14Through the Gates of the Silver Key(銀の鍵の門を越えて)nameless×10, ineffable×2, unnamable×1, ineffably×1

狂気の山脈にてと『未知なるカダスを夢に求めて』は、いずれも見知らぬ土地を踏破していく長編で、未知の景観を描写し続ける必要がある分、該当語も多くなる。

『名もなき都市』はさらに直接的である。この作品では題そのものが nameless であり、23回の出現のうち21回が nameless そのものだった。作品の中心的な主題を、繰り返し同じ語で名指ししている格好であり、頻度の高さは偶然ではなく構造の反映と見てよい。

「The Unnamable」——語そのものを議論する短編

該当語を数えるだけでは見えてこないものがある。1923年発表の短編「名状しがたきもの」(“The Unnamable”)は、この語彙そのものを作中の議論の対象にしている点で特異な作品である。

物語は、語り手キャーターと友人マントンが、アーカムの古い墓地で「名状しがたいもの」について語り合う場面から始まる。マントンは語り手の作風を皮肉って、こう言う。

“Besides, he added, my constant talk about “unnamable” and “unmentionable” things was a very puerile device, quite in keeping with my lowly standing as an author.”

(訳: 「名づけようのない」「口にできない」ものについて語り手が繰り返し話すのは、いかにも未熟な書き手らしい安易な手口だ、とマントンは言う)[1]

ここでマントンが並べているのは unnamable と unmentionable という、別々の語である。作中人物自身が、この二つを異なる語として意識して使い分けている。さらにマントンは、語りが最終的にたどり着く逃げ道そのものを疑ってかかる。

“Besides, he was almost sure that nothing can be really “unnamable”. It didn’t sound sensible to him.”

(訳: そもそも本当に「名づけようのない」ものなど存在しないだろう、とマントンはほぼ確信していた。彼にとって、そんな話は分別のある考えには聞こえなかった)[2]

つまりこの短編は、「名づけられないもの」という発想そのものへの懐疑を、まず読者に提示する。合理主義者マントンが、語り手の語彙を子供じみた逃げ口上だと断じるところから物語は始まる。

その懐疑は、結末で覆される。二人は正体不明の何かに襲われ、意識を失った状態で発見される。病院で目を覚ましたマントンは、負傷の経緯を問われて、こう答える。

“It was everywhere—a gelatin—a slime—yet it had shapes, a thousand shapes of horror beyond all memory. There were eyes—and a blemish. It was the pit—the maelstrom—the ultimate abomination. Carter, it was the unnamable!”

(訳: それはあらゆる場所にあった——ゼラチンのような、粘液のようなもの——それでいて形はあった、記憶の及ぶ限りの、無数の恐ろしい形が。目があった——そして染みのようなものが。それは奈落であり、渦であり、究極の忌まわしきものだった。キャーター、あれこそが名状しがたきものだったのだ)[3]

冒頭で懐疑論を語っていた当人が、最後には自分の体験をこの語でしか語れなくなる。この短編一本の中に、「名状しがたい」という発想への疑いと、その発想でしか語り得ない体験の両方が置かれている。

例外的な語彙ではなく、地の文の標準装備

該当語の合計340回、87本中60本が最低1回は使っている、という数字をどう読むか。

もし該当語がごく一部の代表作にだけ集中していたなら、「名状しがたい」はラヴクラフト作品の中でも特別な演出だったと言える。しかし実際には、母数となる87本のうち3分の2強にあたる60本で使われている。上位に挙がる作品が突出して多いのは確かだが、それは偏りの大きさを示しているのであって、一部の作品だけの専売特許だということではない。むしろ、ラヴクラフトの地の文において、名づけ・描写・言明のいずれかを否定する語は、標準的に持ち出される語彙の一部だったと見るほうが実態に近い。

測り方——何を数え、何を除外したか

この数字を検証可能にするため、測り方を開示しておく。

対象は The H. P. Lovecraft Archive(hplovecraft.com)に本文が掲載されている小説105本。このうち、本文の自動切り出しに成功したのは87本で、残り18本は除外した。除外した作品は、ロバート・バーロウ、C・M・エディ、ヘイゼル・ヒールド、デュアン・W・リメルらとの合作、および少年期の習作が中心で、署名や体裁の書式が他の作品と異なるため、機械的な本文抽出の対象から外している。

集計対象とした87本の本文総語数は661,775語。ページのナビゲーションメニュー、作品の題字部分、フッターのコピーライト表記などは本文に含めず、単語境界で語を数えている。該当語の判定は、上の表に挙げた17種類の語形(派生の -ly 形を含む)の完全一致によるもので、意味は同じでも語形が異なる語(例えば grim や eldritch のような、直接「名づけ・描写・言明」を否定しない形容詞)は対象に含めていない。

この方法の限界も記しておく。合作・習作18本を除外したことで、ラヴクラフトの全著作からすればカバー範囲は本文抽出に成功した87本にとどまる。また、この記事で扱っているのは小説の本文のみであり、評論やエッセイ、書簡は対象外である。

日本語に残った理由を考えるための材料

なぜ「名状しがたい」という訳語が、日本語のクトゥルフ神話受容の中でここまで定着したのか。断定はできないが、ここまでの実測は、考えるための材料をいくつか渡してくれる。

一つは、nameless・unnamable・indescribable・unmentionable・ineffable といった語根の異なる語が、いずれも「言葉が対象に追いつかない」という共通の事態を指していたという点である。原文では複数の語に分かれていたものが、日本語という別の言語に移されるとき、一つの言い回しに収斂しても不自然ではない土壌があった。

もう一つは、340回という頻度の高さそのものである。87本中60本、しかも『クトゥルフの呼び声』のような代表作でも繰り返し使われる語彙だったからこそ、読者やファンの間で「ラヴクラフトらしさ」を象徴する言い回しとして記憶されやすかったとも考えられる。実際、『クトゥルフの呼び声』の終盤、クトゥルフそのものの姿を前にした場面でも、語り手はこう書いている。

“The Thing cannot be described—there is no language for such abysms of shrieking and immemorial lunacy, such eldritch contradictions of all matter, force, and cosmic order.”

(訳: その存在は描写できない——そのような絶叫と太古の狂気の深淵、物質と力と宇宙の秩序に対するそのような常軌を逸した矛盾を語る言語は存在しない)[4]

対象を前にして言葉が追いつかなくなる、というこの構造そのものが、宇宙的恐怖の中心にある仕掛けの一つである。何を名づけ損ね、何を描写し損ね、何を口にし損ねているのかという語彙の使い分けは、原文を読むときの手がかりの一つになるだろう。

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出典

  • [1] “…my constant talk about “unnamable” and “unmentionable” things was a very puerile device, quite in keeping with my lowly standing as an author.” — H. P. Lovecraft, “The Unnamable”(1923年発表), hplovecraft.com(2026年9月16日確認) ↩
  • [2] “Besides, he was almost sure that nothing can be really “unnamable”. It didn’t sound sensible to him.” — 同上(2026年9月16日確認) ↩
  • [3] “It was everywhere—a gelatin—a slime—yet it had shapes, a thousand shapes of horror beyond all memory. There were eyes—and a blemish. It was the pit—the maelstrom—the ultimate abomination. Carter, it was the unnamable!” — 同上、作品末尾の一節(2026年9月16日確認) ↩
  • [4] “The Thing cannot be described—there is no language for such abysms of shrieking and immemorial lunacy, such eldritch contradictions of all matter, force, and cosmic order.” — H. P. Lovecraft, “The Call of Cthulhu”(1928年発表), hplovecraft.com(2026年9月16日確認) ↩
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深淵書架 編集部
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