概要
物語は民族学者「私」の一人称で語られます。1928年、オクラホマ州の実在の町ビンガー近郊に伝わる幽霊譚を調べにやって来た「私」は、村外れに横たわる細長い塚を見せられます。日中はそこを痩せた老インディアンが端から端まで歩き、夜になると首のない女の亡霊が青白い松明を掲げて立つ。素朴な言い伝えのはずが、この塚に近づいた者の多くが正気を失うか、二度と戻らなかったという記録を村の古老たちから聞かされ、「私」の関心は一気に高まっていきます[1]。
村の宿主コンプトン家とインディアン居留地の古老グレイ・イーグルへの聞き取りを経て、「私」は単身で塚に登り、地中から重い金属製の円筒を掘り出します。中には黄ばんだ巻物が収められており、そこに記されていたのは1545年の日付を持つスペイン語の手記でした。書き手はパンフィロ・デ・サマコナ・イ・ヌニェスというコロナド遠征隊の一員で、案内役のウィチタ族の青年チャージング・バッファローに導かれ、峡谷の奥の石の扉から地底世界シナイアン(クン=ヤン)へ足を踏み入れた経緯が綴られています[1]。
手記の大半は、サマコナが目にした地底文明ツァスの記述に費やされます。不老不死を実現し、思考のみで意思を伝え合い、物質さえも分解・再構成してみせる高度な技術を持ちながら、その社会は倦怠と退廃の底に沈んでいました。四年の滞在ののち、サマコナは自分に好意を寄せる女性トラ=ユブの手引きで脱出を図りますが、密告によって連れ戻され、トラ=ユブは見世物の刑ののち首のない歩哨に作り替えられてしまいます[1]。
四年の滞在中にサマコナが目撃したのは、拷問や身体の切断、死者の蘇生さえも見世物にする闘技場の存在であり、倦怠を紛らわすための刺激がなし崩しに過激化していく社会の姿でした。宗教は既に信仰の実体を失い、儀式の高揚感だけが求められている――手記はそう観察しています。サマコナ自身も、ロザリオを繰りながらこの世界の腐敗に距離を置こうとしますが、それでも脱出の機会は容易に訪れません[1]。
手記を読み終えた「私」は、これを精巧な悪ふざけだと自分に言い聞かせつつも、塚に戻って独力での発掘を続けます。掘り進めた先には地下へ下る石段があり、四百年近く前の手記に描かれていた光景と寸分違わぬ大広間が待ち受けていました。「私」がそこで何を目にしたのかは、物語の最後で明かされます[1]。
作品情報
- 原題: The Mound
- 署名: for Zealia Bishop(本文冒頭)。年譜は「with Zealia Bishop」と記しています[1][2]
- 執筆: 1929年12月〜1930年初頭[2]
- 初出: 『ウィアード・テイルズ』第35巻第6号、1940年11月、98–120ページ[3]
- 分量: 約29,300語(公式アーカイブ本文を機械集計)。全7章
- 語り: 民族学者である「私」の一人称。作中でオクラホマ在住の先住民民俗を専門とすると自己紹介しています。手記本文は同じく一人称で書くサマコナの記録という、額縁構造を取ります
- 時: 外枠は1928年。挿入される手記の時制は1541〜1545年(コロナド遠征の時代)
- 舞台: オクラホマ州カドー郡ビンガー近郊の塚と、その地下に広がる地底世界シナイアン(クン=ヤン)の都市ツァス
- 主題: 進歩と不老不死がもたらす倦怠、退廃した文明の暴力と儀礼、征服者の視点で語られる異文化との遭遇
登場神格・用語
以下の神格・地名・人物は、いずれも手記および外枠の本文中の記述に基づきます。[1]
- Tulu(クトゥルフ) ― 蛸のような頭部を持つ神。地底の民を星から連れてきたと伝わる存在です。「私」は手記を読んだのち、これを「名状しがたきクトゥルフ」の伝承と結びつけて考えるようになったと記しています。→ クトゥルフ
- イグ(蛇の父) ― クン=ヤンで崇められるもう一柱の神。時間の単位までイグの尾の動きで計るほど、暦の仕組みそのものに組み込まれています。
- シャブ=ニグラス ― 「万物の母」にして「名付けえぬ者」の妻とされる女神。かつてツァトゥグァを祀っていた黒い神殿は、ツァスではこの女神の社に転用されました。→ シャブ=ニグラス
- ナイアルラトホテップ ― かつてキャプテン・ロートンだったものが、末期の譫言で「グレート・トゥルー」「アザトース」とともに口にした名。→ ナイアルラトホテップ
- アザトース ― 同じ譫言に登場した名で、他に描写は与えられません。→ アザトース
- ツァトゥグァ ― かつて赤色光の世界ヨスで信仰された黒いヒキガエル状の神。クン=ヤンの民が原子力の探照灯を携えてンカイの深淵へ降りた際、この神の偶像を崇める不定形の生物に遭遇し、以後その信仰は廃絶されたといいます。→ ツァトゥグァ
- ヌグとイェブ ― ツァスの街道沿いに神殿が並ぶ神格。サマコナはその祭儀の中身を、あえて書き残しませんでした。
- クン=ヤン(シナイアン) ― 手記が伝える地底世界の名。青みがかった不思議な光に照らされた領域です。
- ツァス ― クン=ヤンの中心都市。かつて分散していた諸都市の民を吸収し、林立する尖塔でその威容を誇ります。
- ヨス ― クン=ヤンの下方に広がる赤色光の世界。かつて四足の爬虫類的種族が文明を築いた廃墟が残っています。
- ンカイ ― ヨスのさらに下にある光のない深淵で、ツァトゥグァ信仰の起源とされる場所。
- パンフィロ・デ・サマコナ・イ・ヌニェス ― 手記の書き手。アストゥリアス地方ルアルカ出身のイダルゴで、1532年に新大陸へ渡り、コロナド遠征に加わりました。
- チャージング・バッファロー ― サマコナに地底への入口を教えたウィチタ族の青年。
- トラ=ユブ(T’la-yub) ― ツァスでサマコナと同じ「愛の集団」に属した女性。脱出を手引きし、失敗の代償を一身に負うことになります。
- グレイ・イーグル ― ビンガー近郊の居留地に住む、百五十歳近いウィチタ族の古老。「私」に警告を与え、護符を授けます。
- ギヤ=ヨス(gyaa-yothn) ― 白い巨体に黒い毛の生えた角の獣で、顔立ちに人間に近い痕跡を残す生き物。荷役や乗用に使われる一方、家畜として食用にも供される存在です。
- イム=ビー(y’m-bhi) ― 死体を意志の力で動かして働かせる労働力。生きた奴隷ほど命令には従順でないものの、犬のように忠実だといいます。
- レレクス(Relex) ― トゥルーが今なお囚われて眠るとされる、半ば宇宙的な水底の都市。外界の大部分が沈んだ際、この神自身も水中に閉じ込められたと伝わります。
- ドー=ナー(Do-Hna) ― クン=ヤンの人口が最も多かった時代に版図を広げた谷で、当時使われていた巨大な機械類の廃墟が今も残ると、サマコナは案内役から聞かされました。
あらすじ
第1章 塚の伝説とビンガーの記録
語り手の「私」は民族学者としてオクラホマの幽霊譚を収集する中で、ビンガー近郊の塚をめぐる噂に行き当たります。塚の上には日中、痩せた老インディアンが端から端まで歩き、夜には首のない女の亡霊が青い炎の松明を掲げて立つという。宿主コンプトン家に一晩泊まった「私」は、塚をめぐる過去の惨事の数々を聞かされます。1891年に単身乗り込んだヒートンという若者は、シャベル一本を残して姿を消したのち、深夜に発狂した状態で戻ってきました。「老いている!老いている!地球よりも古く、どこか別の場所からやって来た……あの白人に、ああ神よ、彼らは何をしたのか……」と譫言を繰り返した末、彼は八年後にてんかんの発作で命を落とします[1]。その後も三人組の探検隊が消息を絶ち、退役軍人だったキャプテン・ロートンは一週間後、四十歳は若返った姿で村へ戻り、「青い光が、いつもそこに……恐竜より古い……グレート・トゥルー、アザトース、ナイアルラトホテップ……待っている、待っている……」と口にして息絶えました[1]。ジョー・ノートンとランス・ウィーロックの二人組、そしてクレイ兄弟の悲劇も語られ、生き延びた兄のエドは自ら命を絶つ前に「あの塚には決して近づくな……あれは口にできぬほど古い世界の一部だ」という書き置きを残していました。夜、コンプトンは「私」を戸外へ連れ出し、地平線上にまたたく青い光――塚の上の亡霊の灯――を指し示します[1]。
第2章 発掘と手記との出会い
翌朝、「私」は双眼鏡で塚の上の「幽霊」を観察し、その頭蓋の形状や服装が、既知のどの先住民の様式とも異なることに気づきます。居留地を訪ねてグレイ・イーグルと対話した「私」は、探索を思いとどまるよう繰り返し諭されますが、老酋長は最後に、蛇と蛸の意匠を刻んだ未知の金属製の護符を首にかけてくれました。翌日、「私」は単身で塚に登り、下草を刈り払って発掘を始めます。護符が地中の何かに引かれるように動くのに気づき、その地点を掘り進めると、重い金属製の円筒が現れました。表面には護符と同じ意匠の浮き彫りが施されています。円筒の蓋を開けると、黄ばんだ巻物が現れ、そこには「アストゥリアスのルアルカ出身の貴族、パンフィロ・デ・サマコナ・イ・ヌニェスによる、地底世界シナイアンについての報告、西暦1545年」という見出しのスペイン語の手記が記されていました。その晩、「私」はコンプトン家の一室でこの手記の翻訳に没頭します[1]。
第3章 サマコナの入洞
手記によれば、サマコナは1540年、コロナドの探検隊に加わって北へ進みました。シボラ探索の顛末やキビラの地の伝承など、歴史に残る遠征の経過を手短に記したのち、彼はウィチタ族の青年チャージング・バッファローと親しくなり、地底へ通じる石の扉の噂を聞き出します。1541年10月7日深夜、サマコナは隊を離れてチャージング・バッファローと合流し、峡谷の奥に隠された高さ七尺ほどの石の扉から地下へ下りました。三日にわたる下降ののち、青白い光に満ちた玄武岩質の斜面に出た彼は、チャージング・バッファローが恐れて引き返した「牛でも馬でもない獣」の足跡を平原で見つけます。荒野を抜けて黄金づくりの神殿にたどり着いたサマコナは、蛸頭の偶像「トゥルー」を目にした直後、獣の群れが押し寄せる音に襲われ、古い黄金の扉を必死に押し閉めて難を逃れました[1]。
第4章 ツァスの使者との対話
扉を叩く音で目覚めたサマコナは、ツァスから来た二十人ほどの一団と対面します。言葉は通じませんでしたが、彼らは視線を合わせることで思考を伝える術を持っており、サマコナはこの「念写」によって彼らの社会について多くを知ることになります。地底世界の名はシナイアン、英語風には「クン=ヤン」と表されます。その民は星から来た太古の種族であり、数千年前に老いと死を克服し、意志の力だけで物質を分解・再構成する術さえ会得していました。人口は既に不要とされ、出産は実験用途を除いて絶えており、都市ツァスに人々が集住する一方、かつての諸文明の遺構は放置されたままです――サマコナはこうした事実を、驚きと不安の入り混じった思いで書き留めています[1]。
第5章 ツァスへの道
一団の頭格グル=タア=ンの案内で、サマコナは半人半獣の奇怪な獣に乗せられ、ツァスへの道を進みます。途中、廃都ブグラーや、かつてツァトゥグァを祀っていたという黒い玄武岩の神殿に立ち寄ります。案内役は、ヨスの遺跡で発見されたこの神が、さらに下のンカイという深淵から来たと伝えられていること、しかし探検隊がンカイで不定形の生物に遭遇して以来、その信仰が禁じられたことを語りました。峠を越えた先に広がるツァスの威容――黄金と玄武岩でできた無数の尖塔――を見て、サマコナは息を呑みます。到着したサマコナは政庁で歓待され、住居と身の回りの世話をする奴隷、そして「愛の集団」と呼ばれる交流相手を割り当てられました[1]。
第6章 四年の歳月と脱出計画
サマコナはツァスで四年を過ごし、機械化された社会の隅々を見て回ります。不老不死と引き換えに人々が味わう倦怠は年々深まり、余興のための拷問や解体、蘇生実験は増える一方で、サマコナはその退廃に強い危機感を覚えるようになりました。1543年、彼は一度目の脱出を試みますが、通路の途中で押し返されて失敗します。1545年、「愛の集団」の一員だったトラ=ユブが個人的にサマコナへ好意を寄せ、彼女の一族に伝わる、まだ見張りのない秘密の抜け道を教えてくれたことから、二人は再び脱出を図りました。しかし逃げ帰った獣の一頭によって発覚し、地上への出口目前で捕らえられます。裁判の結果、サマコナは貴重な情報源として放免されましたが、脱出の手引きをしたトラ=ユブは円形闘技場での見世物ののち、首のない死体奴隷「イム=ビー」に作り替えられ、通路の出口を見張る夜の歩哨にされたと告げられます。手記の最後には、独学した「非物質化」の術を頼みに再度の脱出を決意する記述が続き、「思っていたより時が迫っている――出発しなければ」という一文で唐突に途切れています[1]。
第7章 塚の底で
手記を読み終えた「私」は、これを精巧な偽作だと自分に言い聞かせつつ、単身で塚へ戻ります。すると、以前置いていったはずのシャベルとつるはしが何者かに持ち去られていました。手持ちの山刀とトレンチナイフだけで発掘を続けると、根に覆われた地面が崩れ落ち、地下へ下る石段が姿を現します。松明を手に降りていくと、壁面の彫刻は次第に手記の記述と一致し始め、1915年に失踪した大学講師の名が刻まれた懐中電灯まで転がっていました。ついに「私」は、手記に描かれていたのと寸分違わぬ円形の大広間にたどり着きます。奥にはイグとトゥルーの巨像が向かい合う通路が続き、床には自分が持ち去られたはずのつるはしとシャベルが並べて立てかけられていました。そして通路の奥から、機械的な足取りで一つの人影が現れます。首も両腕も両脚の下半分も失ったその白い肉体の胸には、たどたどしいスペイン語で「シナイアンの意志により、トラユブの首なき体に捕らわれし者」と刻まれていました[1]。「私」は松明と鞄を放り出して逃げ、意識を失ったまま塚の上で発見されます。その夜以来、二度とビンガーを訪れていません[1]。
読みどころと注目テーマ
不老不死がもたらす倦怠
ツァスの民は老いも死も克服していますが、その代償として味わうのは深い倦怠です。刺激を求めて拷問や解体、蘇生実験が激しさを増していく描写は、欲望が満たされ尽くした社会がどこへ向かうのかという問いを投げかけます。統治すら「法よりも習慣」によって成り立つとされる点も、この倦怠と表裏一体です[1]。
手記という額縁構造
物語は「私」の一人称の中に、さらにサマコナの一人称の手記が入れ子になる構成を取っています。四百年近い時を隔てた二人の探検者が、同じ塚の同じ地底世界に引き寄せられていく構図が、読み終えた後に円環として完成する点は本作の骨格そのものと言えます[1]。
言語から念写への飛躍
ツァスの民はかつて話し言葉を用いていましたが、今では視線を交わすだけで思考を伝え合う「念写」に移行しています。サマコナが徐々にこの術を習得していく過程、そして最後にはこれを脱出の切り札にしようと試みる展開は、本作独自の道具立てです[1]。
征服者の目に映る異世界
サマコナは新大陸へ渡ったばかりの若きイダルゴで、黄金への欲、信仰への忠誠、そして未知への好奇心を併せ持つ人物として描かれます。彼が地底世界の富や技術に目を奪われながらも、随所でロザリオを繰り、教会の教えに照らして目の前の光景を測ろうとする姿勢は、十六世紀の征服者という語り手を通すことで、地底世界の異様さを間接的に際立たせる仕掛けになっています。手記の最後に彼が選ぶ行動も、この人物像と地続きです[1]。
当時の視線を含む描写について
本作には、先住民を語り手の視点から一段低く見る描写や、当時の呼称がそのまま使われている箇所が含まれます。当サイトでは該当箇所の蔑称や差別的な形容をそのまま転載していません[1]。
執筆背景と影響
執筆時期は1929年12月から1930年初頭[2]。本文の署名は「for Zealia Bishop」とありますが[1]、公式年譜は本作を「with Zealia Bishop」の共作として記録しています[2]。両者の間で実際にどのような依頼や原稿のやり取りがあったのか、公式アーカイブに記載がなく、当サイトでは確認していません。初出は1940年11月発行の『ウィアード・テイルズ』第35巻第6号、98〜120ページです[3]。それ以外の成立経緯、雑誌掲載時の編集方針、後年の評価については、公式アーカイブに記載がなく、当サイトでは確認していません。手記本体がスペイン語で書かれ、地底世界の固有名詞がその音写として綴られているという設定自体、本文が繰り返し強調している点であり[1]、征服時代の記録という体裁を作品の骨格に据えていることがうかがえます。
出典
[1] H. P. Lovecraft, “The Mound” (本文). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/mo.aspx本記事の引用・要約はすべてこの本文に基づきます。訳文は当サイトによる試訳です。
[2] “Lovecraft’s Fiction” (作品年譜). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/執筆時期(1929年12月〜1930年初頭)と「with Zealia Bishop」の出典。
[3] “Data Page for ‘The Mound'” (作品情報・出版履歴). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/mo.aspx初出『ウィアード・テイルズ』第35巻第6号(1940年11月)98–120ページの出典。
関連作品ガイド ── どれから楽しむか
- ツァトゥグァ — 本作でヨスからンカイへとつながる由来が語られる神格。作中で信仰が廃絶される経緯まで描かれる貴重な一本です。
- クトゥルフ — 作中の「トゥルー」を、語り手自身が後年この名と結びつけて考える一節があります。
- イグの呪い — 同じくゼリア・ビショップ名義で書かれた作品で、オクラホマとグレイ・イーグルという要素を共有します。
- The Mound: Omen of Cthulhu(ゲームレビュー) — 本作を原作とするゲームです。












