概要
イェブは、双子の片割れヌグと共に語られることでしか存在しない神格である。1928年の合作小説「The Last Test」に地下神殿の崇拝対象として初めて名が現れ、以後「マウンド」「宇宙からの色」ならぬ「永劫の彼方より」等の作品で断片的に言及されるが、いずれも姿や性別の直接描写は一切ない。むしろイェブという神格の実像は、ラヴクラフトが私信で戯れに書き記した系譜設定によって形作られてきたという、成立過程そのものが特異な存在である。
基本プロフィール
- 分類: 外なる神(書簡上の系譜ではヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの子。ただしTRPG設定では「旧支配者」に分類される — 詳細は「区分」参照)
- 欧文表記: YEB
- 初出: 「The Last Test」(1928年、ラヴクラフト&エイドルフ・デ・カストロ合作)
- 関連作: 「マウンド」(ラヴクラフト&ゼリア・ビショップ)、「永劫より(Out of the Aeons)」(1933年、ラヴクラフト&ヘイゼル・ヒールド)
- 双子の片割れ: ヌグ(Nug)
- 信仰圏: 地下世界クン・ヤン、失われた大陸ムー(原文設定)
別名/呼称
原文中に固有の異名は確認されていない。ある低確度のファン伝聞では「アザトースの孫」「至高なる守護者」といった称号で呼ばれる逸話も語られるが、他の資料群からは裏付けが取れない孤立した記述である。
区分
ラヴクラフトの私信(1933年4月27日付、ジェームズ・F・モートン宛「書簡617」)では、イェブはヌグと共にヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの直接の子として、戯れの系譜の中に位置づけられている(この系譜ではクトゥルフはヌグの、ツァトゥグアはイェブの子孫とされ、さらにラヴクラフト自身とクラーク・アシュトン・スミスをそれぞれの子孫に見立てるという冗談まで含む)。一方、TRPG『クトゥルフの呼び声』の資料集『マレウス・モンストロルム』は、イェブとヌグを「旧支配者(Great Old Ones)」に分類しており、書簡上の系譜(外なる神の子)とゲーム上の分類(旧支配者)には食い違いがある。なお同資料集は、イェブとヌグがあまりに謎めいて設定が未成熟であるとして、コアルールブックには採用せず補助資料でのみ扱っている。
象徴・モチーフ
双子性、未分化・未確定であること、地下と失われた大陸、生殖と系譜の戯画化。
性質・権能
- ラヴクラフト自身の原文にはイェブの姿・性別についての直接描写が一切ない
- 後世の伝承では、球体状で子宮を思わせる、直径約3メートルの母シュブ=ニグラスに似た姿で「ズリカリオール星雲」に生まれたとされ、さらに後代の描写では羊のような蹄や角を備えるなど、いっそうシュブ=ニグラスの姿に近づいていく傾向がある(いずれも後世の付加設定であり原典の記述ではない)
- 日本語圏のファン事典では、「蒸気状の気体と固形物」からなる身悶えする腐肉のような外見、あるいは無数の目と口から絶えず体液を滴らせ、鉤爪や蹄状の肢を体内から出し入れするという、複数の異なる身体描写が並立して伝えられている(いずれも一次資料に基づかない後世の創作)
関係図
私信「書簡617」の系譜では、ヌグとイェブはヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの子とされる。しかし原文小説群には食い違いがあり、「永劫より」はヌグ・イェブをシュブ=ニグラスと並ぶ「人類に友好的な神々」として言及するにとどまり[1]、親子関係を明言してはいない。一方、「マウンド」ではシュブ=ニグラスは「名づけえぬもの」の妻とだけ書かれ、これがヨグ=ソトースを指すのかどうかラヴクラフトは明言していない — 読者による推測の域を出ない未解決の食い違いとして、批評家によって指摘されている。
後続作家による系譜への介入も複数ある。リン・カーターは「博物館の恐怖」等の作品で「ナグ」という名を食屍鬼の族長(下級の旧支配者)として設定したが、これが本来の双子神ヌグと衝突したため、後に「ナグーブ」と改名して整理し直した。またクラーク・アシュトン・スミス設定の両性具有の神クサクスクルースが3柱の神(ツァトゥグアの父を含む)を生んだという原設定に対し、ロバート・M・プライスは、クサクスクルースが男性のヌグと女性のイェブに分裂し、両者の交わりによってそれらの神が生まれたという説を、架空の魔導書『エイボンの書』に仮託する形で提示した。なおこのクサクスクルース分裂説の提唱者については、プライス単独とする資料と、プライス&ローレンス・J・コーンフォードの共著論文「Apocrypha of Avon」によるとする資料の両方があり、書誌的な出典の不一致として未解決のまま残る。
さらに『クトゥルフ百科事典(Encyclopedia Cthulhiana)』は、「コールド・ウェイストの教団」がヌグとイェブをザーとロイガーの秘匿された別名だと誤信していたと記しつつ、実際にはザーとロイガーは地球に住んだことがない存在であると訂正している。
主要登場作と読みどころ
- 「The Last Test」(1928年、ラヴクラフト&エイドルフ・デ・カストロ合作): ヌグ・イェブの名が初めて世に出た作品。アラビアの「緋色の砂漠」地帯にある地下神殿での崇拝対象として言及される。
- 「マウンド」(ラヴクラフト&ゼリア・ビショップ): 地下世界クン・ヤンの旧きものたちがヌグとイェブの神殿を維持しており、その秘儀的・乱交的な儀式が主人公サマコナを戦慄させる場面が描かれる。
- 「永劫より(Out of the Aeons)」(1933年、ラヴクラフト&ヘイゼル・ヒールド): 失われた大陸ムーで崇拝されるヌグとイェブが、シュブ=ニグラスや蛇の父イグと並び、大祭司ティヨグによって「ガタノトーアに対抗しうる神々」として名指しされる、原文中でも重要度の高い言及箇所[1]。
よくある誤解
Q. イェブの姿・性別は原作で決まっているのですか?
A. いいえ。ラヴクラフト自身の原文には姿・性別の描写が一切ありません。球体状・シュブ=ニグラスに似た姿などの造形は、すべて後世の作家・ファンによる付加設定です。
Q. イェブがヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの子というのは確定した設定ですか?
A. この系譜は、ラヴクラフトが1933年の私信(書簡617)で戯れに書いたものが出発点です。しかも原文小説どうしの間にも食い違いがあり(「永劫より」と「マウンド」の記述の不一致)、後世の学者・研究者が指摘する未解決の問題として扱うのが適切です。低確度のファン伝聞には「ヨグ=ソトースとニャルラトホテプの子」とする、これと矛盾する異説も孤立して存在します。
Q. TRPGでイェブが「旧支配者」に分類されているのはなぜですか?
A. 私信上の系譜では外なる神の子とされる一方、『マレウス・モンストロルム』はゲーム上の都合でヌグ・イェブを「旧支配者」に分類しています。両者は同じ一次資料に基づかない、別々の体系化の産物です。
出典
- [1] “In the end he felt sure that the gods friendly to man could be arrayed against the hostile gods, and believed that Shub-Niggurath, Nug, and Yeb, as well as Yig the Serpent-god, were ready to take sides with man against the tyranny and presumption of Ghatanothoa.”(訳: 「ついに彼は、人類に友好的な神々を敵対する神々に対抗させられると確信するに至り、シュブ=ニグラス、ヌグ、イェブ、そして蛇神イグもまた、ガタノトーアの専制と僭越に対して人類の側に立つ用意があると信じた」) — H. P. Lovecraft/Hazel Heald, “Out of the Aeons”(1933年), Wikisource ↩





