書籍(独語・イラストガイド、2026年9月16日発売予定) — H. P. Lovecraft Bestiarium

H. P. Lovecraft Bestiarium

独Anaconda Verlag(Penguin Random House傘下)が2026年9月16日に刊行するイラストガイド。エンリケ・アルカテナの挿絵で22体の「ラヴクラフトの怪物」を紹介するこの本の販促文が引用する一節は、実は代作短編「博物館の恐怖」の一文であり、そこに並ぶ怪物の創造者はラヴクラフト・クラーク・アシュトン・スミス・フランク・ベルナップ・ロングと三者に分かれる。

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東雅夫『クトゥルー神話大事典』(新紀元社)。本書が「ラヴクラフトの怪物」としてまとめる22体について、どれが誰の創作かを項目ごとに引いて確かめられる。

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概要

Penguin Random House Verlagsgruppe(ミュンヘン)傘下のAnaconda Verlagは、イラストガイド『H. P. Lovecraft Bestiarium』を2026年9月16日に刊行すると、同社公式商品ページで発表している。同ページで確認できる仕様は次のとおりである。ISBNは978-3-7306-1598-0、価格は9,95ユーロ、判型はハードカバー(Pappband)で80ページ・17.0×24.0cm、全編を通じて四色刷りの図版が入る。ドイツ語版としては初版(Deutsche Erstausgabe)であり、独訳者はフロリアン・F・マルツィン(Florian F. Marzin)、原題は『Bestiario』、原版元はスペインのLibros del Zorro Rojoと明記されている。挿絵を手がけるのはエンリケ・アルカテナ(Enrique Alcatena)である[1]。

同じ仕様(ISBN・価格・発売日・紹介文)は、ドイツの書店Langer & Blomqvistの商品ページでも重複して確認できた[2]。この書店ページには公式ページに無い文言も一つ添えられている。「Alle jüngeren Horrorerzählungen gehen zurück auf H. P. Lovecraft.」(すべての新しいホラー小説はH・P・ラヴクラフトに遡る)という一文がDie ZEIT紙の評として引用され、続けてラヴクラフトがテリー・プラチェットのようなファンタジー作家やスティーヴン・キングのようなホラー作家の手本になったという宣伝文句が続く[2]。この一文は当サイトが確認した公式ページには存在せず、書店側が独自に添えた販促コピーである。本書そのものへの書評ではなく、ラヴクラフトという名前一般に向けられた慣用句的な賛辞とみるのが妥当である。

どんな作品か

公式ページの紹介文によれば、本書はラヴクラフトが生み出した怪物たちの世界を巡る「ガイド」であり、ドイツ語に訳し直された原文の抜粋と、ページいっぱいまたは見開きのイラストを組み合わせる構成をとる。短編小説をまるごと収めるアンソロジーではなく、怪物一体につき見開きイラスト1点と抜粋1点を対応させる図鑑形式である点が、通常の作品集とは異なる。アザトースからニャルラトホテップまで、ダゴンからツァトゥグァまでの22体の怪物をアルカテナが色彩豊かに描き起こし、それぞれの全ページ・見開きイラストに、その怪物が登場するラヴクラフトの物語からの抜粋を1点ずつ添えるという[1]。

紹介文はこの構成を示す実例として、次の一節を引用している。「この壁龕(アルコーヴ)こそが、ジョーンズを魅了したものだった。そこには幻想だけが生み出しうる、いびつに混じり合った蝋の塊が並んでいた……悪魔的な技巧で象られ、恐ろしいほど生々しい彩色が施されている。よく知られた神話の姿をとるものもあれば、ひそひそと囁かれるだけの、より暗い神話体系から生まれたものもあった。黒く不定形のツァトゥグァ、無数の触手を持つクトゥルー、鼻面を垂らしたチャウグナー・フォーン、そして『ネクロノミコン』のような禁断の書物に伝わる、その他の名高い冒涜の数々」(拙訳)[1]。22体のうち少なくとも3体は、この一節が挙げる怪物と一致すると読める。

一節に潜む三つの著者性――「ラヴクラフトの怪物」は誰の創作か

販促文が引くこの一節の英語原文は、公式アーカイブの本文で次のように書かれている。

There were lumpish hybrid things which only fantasy could spawn, moulded with devilish skill, and coloured in a horribly life-like fashion. Some were the figures of well-known myth—gorgons, chimaeras, dragons, cyclops, and all their shuddersome congeners. Others were drawn from darker and more furtively whispered cycles of subterranean legend—black, formless Tsathoggua, many-tentacled Cthulhu, proboscidian Chaugnar Faugn, and other rumoured blasphemies from forbidden books like the Necronomicon, the Book of Eibon, or the Unaussprechlichen Kulten of von Junzt.[3]

この引用は、当サイトが独自に確認したところ、H・P・ラヴクラフトの単独作ではない。出典は「博物館の恐怖」(The Horror in the Museum)という短編で、ラヴクラフト作品の公式アーカイブhplovecraft.comの本文ページには、表題の脇に「by H. P. Lovecraft for Hazel Heald」と明記されている[3]。当サイトの博物館の恐怖の記事で確認した通り、本作は依頼主ヘイゼル・ヒールドの名義で1933年7月の『ウィアード・テイルズ』に発表された、いわゆる代作(ゴーストライティング)の一本である[4]。ラヴクラフトが手がけた文章でありながら、雑誌に載った著者名はヒールドだった、という時点ですでに単純な「ラヴクラフトの創作」とは言い切れない。同記事によれば、物語の舞台はロンドンの地下蝋人形館で、館主ロジャーズが常連客ジョーンズに「自分の像はすべてが蝋ではない」とほのめかす場面が本作の発端であり、販促文が引用する一節は、その蝋人形館の「大人向け」の一角を描写する場面から採られている。

さらに厄介なのは、この一文が実例として並べる3体の怪物の創造者が、それぞれ別人だという点である。クトゥルーはラヴクラフト自身が生み出した神格だが、ツァトゥグァは当サイトの記事で確認した通りクラーク・アシュトン・スミスが短編「サタムプラ・ゼイロスの遺書」(1931年)で創造した神格であり、ラヴクラフトは後年『丘』『闇に囁くもの』で言及することで神話世界に取り込んだに過ぎない[5]。チャウグナー・フォーンに至っては、当サイトの記事で確認した通りラヴクラフト本人は一切関与しておらず、友人のフランク・ベルナップ・ロングが中編「恐怖の山」(1931年)で単独で創造した神格である[6]。

つまり公式の販促文が「ラヴクラフトのモンスターワールドへのガイド」という触れ込みで引用する一節は、(a)ラヴクラフトが他人の名義のために書いた代作の中で、(b)自作の神格と、(c)友人2名がそれぞれ単独で創造した神格を、並べて描写した文章である。当サイトの博物館の恐怖の記事によれば、作中でこの3体の像は「大人向け」に仕切られた一角に並んで陳列されているに過ぎず、作中人物ロジャーズがその由来を語る場面でも、3体の創造者が異なるという事実には一言も触れられない。物語の内側でも外側でも、この混淆は意識されないまま「ラヴクラフト神話の怪物」として一括りにされている。

ここで断っておくべきことがある。当サイトが確認できたのは、販促文に引用された一節が3体を並べて描写しているという事実と、その3体それぞれの創造者が異なるという事実までである。書籍全体に収録される22体の内訳は本稿執筆時点で公表されておらず、22体のうちどれだけがスミスやロングの創作を含むのかは分からない。「22体のラヴクラフトの怪物」という書名が、実際にはスミスやロングの創作を相当数含んでいるかどうかは、この一節だけからは断定できない。

宣伝文句と実態のずれ

Langer & Blomqvistが添えた「すべての新しいホラー小説はラヴクラフトに遡る」という惹句は、それ自体は本書固有の主張ではなく、ラヴクラフトという名前を売り込むための常套句だと先に述べた。だが皮肉なのは、まさにこの本の販促文が実例として引用する一節そのものが、ラヴクラフト単独の創作ではないという事実である。「ラヴクラフトに遡る」という宣伝と、「ラヴクラフトが他人の名義で書いた文章の中で、他人が創った神格を紹介している」という実態が、同じ商品ページの中に同居している。これは販売側の作為というより、クトゥルフ神話というジャンルの成り立ちそのものが、最初期の段階からすでに一人の作家の専有物ではなかったことの表れだと当サイトは捉えている。

翻訳の二重性――「スペイン語からの独訳」という事実

公式ページにはもう一つ、見落としやすい記載がある。独訳者マルツィンの訳出は「Aus dem Spanischen von Florian F. Marzin」、すなわち「スペイン語からの翻訳」と明記されている[1]。原題として挙げられている『Bestiario』は、スペインのLibros del Zorro Rojoが刊行した書籍で、同社の公式オンラインストアで確認したところ、ISBN 978-84-9650-993-1、16.5×24cm・68ページの布装、挿絵はやはりエンリケ・アルカテナ、スペイン語訳はエルビオ・ガンドルフォ(Elvio Gandolfo)と記載されている。紹介文は「22体の恐ろしい生物(veintidós pavorosas criaturas)」を集めた本だと説明しており、収録数22はドイツ語版と一致する[7]。同ページは在庫切れ(Sin stock)の表示になっており、当サイトが確認した時点でスペイン語版が現在も流通しているかどうかは分からない。

つまり今回のドイツ語版は、ラヴクラフトの英語原文からの新訳ではなく、アルカテナの構成ごとスペイン語版を土台にしたものである可能性が高い。ドイツ語公式ページの紹介文は、収録される抜粋を「ins Deutsche übersetzte Originaltexte」(ドイツ語に訳された原文)と呼んでいるが、この「原文」がラヴクラフトの英語原文を指すのか、それともガンドルフォによるスペイン語訳を経由した重訳を指すのかは、公式ページの記載だけでは判別できない。ページ数を比べても、スペイン語版68ページに対しドイツ語版は80ページとやや増えており、単純な直訳版ではなく体裁の組み直しが入っている可能性もうかがえるが、これも公式ページの記載からは断定できない。原典の言葉が、代作・翻案・重訳という何層もの手を経て読者に届くという事情も、この一冊が抱える複雑さの一部である。

三層で見る本書の位置

当サイトが原典/ダーレス系拡張/TRPG設定の三層で神話を読み解いていることを踏まえると、本書の性格はやや特殊な位置に収まる。イラストガイドという体裁そのものは後世の編集物であり、いずれの層にも属さない「紹介の形式」に過ぎない。しかし収録される抜粋そのものは、ラヴクラフト自身の代作を含む第1層の文章から採られている。そこに描かれる怪物の創造者を辿ると、クトゥルーは第1層(ラヴクラフト自身)、ツァトゥグァとチャウグナー・フォーンは第1層と同時代に、別の作家が独自に持ち込んだ創作という枝分かれになる。当サイトの分類でいえば、これはダーレス以降の体系化(第2層)とは別種の事情である。ダーレスの拡張は、ラヴクラフトの死後(1937年以降)に彼の遺した断片を後続作家が整理・拡張したものだが、スミスとロングによるツァトゥグァ・チャウグナー・フォーンの創造は、ラヴクラフトの生前、1931年という同じ時期に、それぞれ独立して書かれている。ダーレス系拡張やTRPG設定がまだ介入していない段階で、すでに「原典の時代」の内部に複数の著者が同居していたことを、この一冊の販促文がはからずも示している。

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出典

  • [1] Penguin Random House Verlagsgruppe公式商品ページ「H. P. Lovecraft Bestiarium」(2026年9月13日確認)。ISBN 978-3-7306-1598-0、価格9,95ユーロ、発売日2026年9月16日、ハードカバー(Pappband)80ページ・17.0×24.0cm・全編四色刷り、ドイツ語初版(Deutsche Erstausgabe)、独訳者フロリアン・F・マルツィン(「スペイン語からの翻訳」と明記)、原題『Bestiario』、原版元Libros del Zorro Rojo、挿絵エンリケ・アルカテナ、22体の怪物の全ページ・見開きイラストと各1点のラヴクラフト作品からの抜粋を収録すること、紹介文中に「博物館の恐怖」の一節の引用があることを確認。https://www.penguinrandomhouse.de/buecher/h-p-lovecraft-h-p-lovecraft-bestiarium/buch/9783730615980 ↩
  • [2] Langer & Blomqvist(ドイツの書店)商品ページ(2026年9月13日確認)。[1]と同一のISBN・価格・発売日・紹介文であることを重複確認。加えて、公式ページには無い「Alle jüngeren Horrorerzählungen gehen zurück auf H. P. Lovecraft.」(Die ZEIT)という引用句と、テリー・プラチェット・スティーヴン・キングへの言及が、この書店独自の販促コピーとして添えられていることを確認。https://www.langer-blomqvist.de/h-p-lovecraft-bestiarium-lovecraft-h-p-anaconda-verlag-gmbh-9783730615980.html ↩
  • [3] hplovecraft.com(H. P. ラヴクラフト作品の公式アーカイブ)「The Horror in the Museum」本文ページ(2026年9月13日確認)。本文表題脇に「by H. P. Lovecraft for Hazel Heald」と明記されていること、[1][2]で引用されている一節(“black, formless Tsathoggua, many-tentacled Cthulhu, proboscidian Chaugnar Faugn, and other rumoured blasphemies from forbidden books like the Necronomicon…”)が本文中に実在し、直前に登場人物Jonesの名があることを確認。https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/hm.aspx ↩
  • [4] 当サイト既存記事「博物館の恐怖」(2026年9月13日再確認)。本作がヘイゼル・ヒールドのための代作であること(1932年10月執筆、1933年7月『ウィアード・テイルズ』発表)、作中でツァトゥグァ・クトゥルー・チャウグナー・フォーンの像が同じ「大人向け」の仕切りの奥に並ぶ場面であることを確認。https://shinenshoka.com/lovecraft/the-horror-in-the-museum/ ↩
  • [5] 当サイト既存記事「ツァトゥグァ」(2026年9月13日再確認)。ツァトゥグァの創造者がクラーク・アシュトン・スミスであり、初出が同作家の短編「サタムプラ・ゼイロスの遺書」(1931年、Weird Tales誌11月号)であることを確認。https://shinenshoka.com/deities/tsathoggua/ ↩
  • [6] 当サイト既存記事「チャウグナー・フォーン」(2026年9月13日再確認)。チャウグナー・フォーンの創造者がフランク・ベルナップ・ロングであり、初出が同作家の中編「恐怖の山」(1931年、Weird Tales誌1月号・2-3月合併号)であることを確認。https://shinenshoka.com/deities/chaugnar-faugn/ ↩
  • [7] Libros del Zorro Rojo公式オンラインストア「Bestiario」商品ページ(2026年9月13日確認)。ISBN 978-84-9650-993-1、16.5×24cm・68ページ・布装(cartoné con tela)、挿絵エンリケ・アルカテナ、スペイン語訳エルビオ・ガンドルフォ、紹介文が「22体の恐ろしい生物(veintidós pavorosas criaturas)」を集めると明記していること、当該版が品切れ(Sin stock)表示であることを確認。https://librosdelzorrorojo.mitiendanube.com/productos/bestiario/ ↩

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