概要
TRPG『クトゥルフの呼び声』の版元ケイオシアム(Chaosium)は2026年8月23日、H・P・ラヴクラフト歴史協会(H.P. Lovecraft Historical Society、以下HPLHS)がライセンスを受けて制作したシナリオ『Eternity at Sea』を公式ブログで紹介しました[1]。舞台は1925年のオレゴン州アストリアと、その沖に実在する灯台ティラムック・ロック——荒天の激しさから「Terrible Tilly」と呼ばれてきた岩礁——を題材にした架空版です[2]。シナリオの執筆はHPLHSのショーン・ブラニー、小道具の制作はアンドリュー・リーマンが担当しています[2]。
HPLHSは1984年に発足したラヴクラフトのファン団体で、映画・音声劇・音楽・小道具の復刻などを自主制作してきました。掲げているモットーは「Ludo Fore Putavimus(面白そうだと思ったから)」です[2]。
以下では、まず箱の中身を公式の内訳で確かめます。そのうえで、「資料を調べること自体がゲームになる」という『クトゥルフの呼び声』の性質が、原典の小説からどこを受け継ぎ、どこで形を変えたのかを見ていきます。なおHPLHSの製品ページは、物語の核心に触れる区画へ自ら「Spoiler Alert」の見出しを置いています。この記事でも小道具の種類と役割までにとどめ、筋書きには踏み込みません。
箱に入っているもの
公式製品ページが列挙する内訳は次の通りです[2]。箱そのものは10.75×13.25×2インチ(およそ27×34×5センチ)、重さは約2ポンド(およそ900グラム)。対面での卓を前提にしつつ、小道具の大半についてはデジタル版も用意され、オンラインでも遊べるとされています。
- 冊子: 56ページの無線綴じ。表紙・挿絵はウクライナの画家ウラディスラフ・ユラソフ。全小道具の写真と当時の記録写真、キーパー向けの補足コラムを収録
- 電報5通: 各探索者宛に封緘済みで、封を破って開く自己折り式。再演用に未折りの予備一式と封蝋5個が同梱される
- 新聞紙面: 「U-Klip-It」と名付けられた4ページの紙面で、キーパーが切り分けると6点の切り抜きになる。日付は1881年2月6日、1893年5月11日、1896年6月22日、同6月25日、1897年4月6日、1925年10月3日
- 書類の束: 家族の聖書のページ(家系図と農場の見取り図つき)、弁護士の名刺、墓地の領収書、株券、共済団体の会費領収書、遺言書、保安官事務所の証拠ファイル(現場写真2点と証拠写真1点)、ある人物が死の直前に書き残した供述書、パンフレット2種、百科事典の項目
- 立体模型3点: 組み立て式の「ポップアップ」模型。事務所、階段を備えた地下室、そして岩礁の灯台下にある納骨所
- 音声: プロの俳優と効果音で制作された音声プロップ9点と、ループ再生できる環境音4点。いずれもMP3でダウンロードする
- 事前作成の探索者6人分: 全員が同じ一族の構成員という設定で、共有する家族史のハンドアウトと、生家と町の位置関係を示す彩色地図が6部つく
紙の小道具は種類が多いだけでなく、作り込みの方向がそろっています。領収書や供述書には意図的な汚しが加えられ、新聞紙面の周囲を埋める記事や広告は当時のオレゴンの実紙面から採られています[2]。1925年10月3日付の紙面についてHPLHSは、該当記事だけを切り出して渡すことも、半面をそのまま渡してプレイヤーに自力で見つけさせることもできる、と両方の運用を示しています[2]。
原典で、語り手がしていたこと
『クトゥルフの呼び声』(1926年執筆/1928年発表)を思い出すと、この構成の出どころが見えてきます。語り手フランシス・ウェイランド・サーストンは事件を目撃しません。彼がするのは、急死した大叔父ジョージ・ガメル・エインジェル教授の遺品を整理し、そこから出てきた紙の束を突き合わせる作業です[3]。
冒頭でサーストン自身が書きつける通り、恐怖は怪物の姿ではなく、断片同士が結びついた瞬間に生まれます。
この世で最も慈悲深いことは、人間の心があらゆる内容を関連づける能力を持たないという事実だと私は思う[3]
彼が読むのは、彫刻家ウィルコックスの夢の記録、ニューオーリンズの警部ルグラスがもたらした摘発報告、そしてノルウェー人航海士ヨハンセンの手記です。読者はサーストンの肩越しに同じ資料を追い、彼と同じ速度で真相へ近づいていく。この「発見の構造」こそ、原典が後続作品へ手渡した骨格でした。
小説の資料と、箱の小道具を並べると、種類の重なり方がはっきりします。
| 原典で語り手が読むもの | 『Eternity at Sea』の箱に入っているもの |
|---|---|
| 新聞の切り抜き | U-Klip-Itの切り抜き6点(1881〜1925年) |
| 故人が遺した書類・研究記録 | 遺言書、領収書、株券、名刺 |
| 警察の記録 | 保安官事務所の証拠ファイルと現場写真 |
| 死者が書き残した手記 | 死の直前に書かれた供述書 |
| 目撃者の口述 | 音声プロップ9点 |
原典の資料は、読者が紙面の上で読むものでした。『Eternity at Sea』はそれを、卓の上で手に取って封を切り、汚れの具合を指先で確かめられるものとして再現しています。1925年という年が両者で重なるのは偶然ですが、ルルイエが浮上したのも、アストリアで事件が起きるのも同じ年ということになります。
判定を省く道具と、判定を残す道具
TRPG版が原典に足したものの一つが、技能判定です。図書館で調べる、隠されたものを見つける、相手を説得する——原典の語り手が地道にやっていた作業は、ルール上では一回のダイスロールに圧縮されます。
『Eternity at Sea』の小道具は、この圧縮を二方向へ引き延ばしています。片方は判定の省略です。公式ページは、〈図書館〉ロールを振らせる代わりに新聞紙面をまるごと渡し、プレイヤー自身に手がかりを探させる運用を勧めています[2]。ダイスの成否ではなく、実際に紙面を読んで気づけるかどうかが分かれ目になる。これは原典の読解体験へ一歩戻る操作です。
もう片方は、判定の先にある報酬を厚くする方向です。〈図書館〉ロールに成功したら領収書が出てくる、〈説得〉に成功したら保安官が証拠ファイルを見せてくれる、と公式ページは小道具ごとに獲得条件を書いています[2]。判定そのものは残したうえで、成功したときに手に入るものを、要約された情報ではなく実物にしている。
音声プロップの9点は、この延長にあります。原典で証言は「読むもの」でしたが、ここでは俳優の声として耳に入ってくる。文字に起こした要約を読み上げるのではなく、NPCとのやり取りとして録音されている点が、紙の小道具とは別の負荷をプレイヤーにかけます。聞き逃したら、もう一度再生してもらうしかありません。
間取り図をやめて、立体にする
三点の模型は、ハンドアウトの歴史からいちばん外れたところにあります。HPLHSは、物語の舞台の間取り図(floor plan)を配るのがこの種のゲームでは一般的だと認めたうえで、今回の舞台の性質から別の方法を選んだと説明しています[2]。組み立てには接着剤か両面テープが少し要るだけで、キーパーがセッション前に作っておく形です。
完成した模型の寸法も公式に出ています。事務所の模型が幅7×奥行4×高さ3.5インチ、階段と地下室の模型が幅7×奥行4×高さ5インチ、岩礁の納骨所の模型が幅12×奥行10×高さ6インチ[2]。標準スケールのミニチュアと併用できる寸法に設計されており、探索者の駒を実際に置いて動かせます。
紙のハンドアウトが渡すのは、線と文字に落とし込んだ情報でした。模型は、上下の階のつながり方や、どの部屋からどの部屋が見えるのかを、そのまま卓の上に置きます。間取り図を読んで頭の中で立体を起こす工程が、ここでは要りません。HPLHSはこれを、伝統的なハンドアウトを文字通り別の次元へ持っていく試みだと書いています[2]。
題名は、実在する納骨堂の名前
『Eternity at Sea』という題名は、シナリオのために作られた造語ではありません。ティラムック・ロック灯台は実在し、そこには実際に「Eternity at Sea Columbarium(海の永遠 納骨堂)」という名の納骨堂が存在します。
オレゴン歴史協会が運営するオレゴン百科事典によれば、灯台は1881年1月21日に点灯し、1957年まで運用されました[4]。海面から133フィートの高さに立つ白い塔で、当時のアメリカで最も建設費のかかった灯台でもあります。「Terrible Tilly」の通称は、荒れ狂う嵐と、そこに詰める灯台守の勤務の過酷さから付いたものです[4]。
灯台としての役目を終えたあと、この岩礁は何度か売買されます。1980年に不動産開発業者のミミ・モリセットが購入し、灯台の内部を撤去して窓をコンクリートで塞ぎ、納骨堂へ改装しました[4]。1,000ドルから5,000ドル——最も条件のよい灯室の区画がこの上限——を払えば遺灰を納められる、という事業です。その後、記録管理の不備を理由に1999年に免許を失い、以降の申請も認められていません[4]。岩礁は現在も私有地のままオレゴン諸島国立野生生物保護区の一部であり、灯台は国家歴史登録財に登録されています[4]。
HPLHSがしたのは、1980年に始まったこの実在の事業を、名前ごと1925年へ移し替えることでした。箱に入っている1893年5月11日付の作中新聞記事が「損傷した灯台を納骨堂へ改装する」と報じるのも[2]、実際には80年以上あとに起きたことの前倒しです。ラヴクラフトが作品でしていたのは、アーカムやインスマスのように実在の土地を少しずらして架空の町を立ち上げることでした。ここで行われているのは、その手つきを実在の納骨堂へ向けた作業だと言えます。
ハンドアウトという発明そのものは、原典には無い
ここまで見てきた小道具は、どれも原典から自動的に出てくるものではありません。ラヴクラフトが書いたのは小説であり、そこには技能判定もキーパーもハンドアウトも存在しません。「調べる」という行為をルールとして定義し、判定に成功した探索者へ何かを渡す仕組みを作ったのは、1981年にケイオシアムがサンディ・ピーターセンの設計で刊行したTRPG版です。当サイトはこれを、原典(第1層)/ダーレス以降の拡張(第2層)/TRPGによる拡張(第3層)として区別しています。詳しくは「原典/ダーレス系拡張/TRPG設定——三層で読み解くクトゥルフ神話」を参照してください。
そのうえで『Eternity at Sea』が興味深いのは、第3層の道具立てを使いながら、行き着く先が第1層の読書体験に近いことです。紙面をまるごと渡して自分で探させる運用も、汚れた供述書の手触りも、目指しているのは「断片を突き合わせて自分で気づく」という原典の骨格でした。TRPGの刊行史については「クトゥルフ神話TRPGの刊行史」、現行ルールの概要は「クトゥルフの呼び声TRPG」、原典そのものは「クトゥルフの呼び声」にまとめています。
小道具が増えたことを、原典から遠ざかったと読むこともできます。ただ、増えた小道具の種類を一つずつ並べると、そこにあるのは新聞と書類と証言という、100年前の小説が語り手に読ませていたものとほぼ同じ束です。原典では一人の語り手が机の上で読み解いていた束を、いまは卓を囲む6人が手分けして開いていきます。
出典
- [1] Chaosium Inc. “• Scenario • Characters • Props • Audio • Eternity at Sea” (Posted by Michael O’Brien on 23rd Aug 2026) https://www.chaosium.com/blog-scenario-characters-props-audio-eternity-at-sea/
- [2] H.P. Lovecraft Historical Society “Eternity at Sea” 公式製品ページ(2026年8月24日確認) https://www.hplhs.org/eas.php
- [3] H. P. Lovecraft “The Call of Cthulhu”(1926年執筆/1928年『ウィアード・テイルズ』誌発表)。引用は冒頭部より。公式アーカイブ https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/cc.aspx
- [4] Cameron La Follette, Douglas Deur “Tillamook Rock Lighthouse” The Oregon Encyclopedia(オレゴン歴史協会、2026年8月24日確認) https://www.oregonencyclopedia.org/articles/tillamook_rock_lighthouse/
