小説 — THE RATS IN THE WALLS

壁のなかの鼠

アメリカ人デ・ラ・ポーは、先祖代々の廃墟エクサム・プライオリを買い戻し、豪奢な邸宅として復元する。移り住んだ夜から、飼い猫だけが怯える鼠の大群の足音が壁の奥から響きはじめ、地下祭室の祭壇の下には、太古から一族が営んできた恐るべき人肉食の教団の遺構が眠っていた。招いた学者たちと踏み込んだ地の底の巨大な洞窟で、彼は血に刻まれた一族の秘密と正面から向き合うことになる。1923年8〜9月執筆、1924年3月『ウィアード・テイルズ』発表。約7,900語。

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壁のなかの鼠

「1923年7月16日、最後の職人が仕事を終えたあと、私はエクサム・プライオリに移り住んだ。」

— H・P・ラヴクラフト「壁のなかの鼠」(1923年執筆、1924年発表)冒頭部
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概要

物語は一人称の回想体で語られます。語り手はアメリカ在住のデラポア家の当主で、17世紀に一族を惨殺して逐電したウォルター・デ・ラ・ポーの子孫にあたります。彼はイングランド、アンチェスター近郊の断崖に建つ先祖代々の館エクサム・プライオリを買い戻し、二年をかけて中世さながらの姿に復元しました。村人たちが理由も告げずに館を忌み嫌う中、彼は1923年7月16日、七人の使用人と九匹の猫を伴って新居に移り住みます。

穏やかな日々は五日で崩れます。長年連れ添った老いた黒猫が、理由もなく壁を嗅ぎ回り、爪を立てるようになったのです。まもなく語り手自身も、壁の奥を無数の鼠の群れが奔流のように駆け下りていく音を聞くようになります。鼠を聞き取れるのは彼と猫たちだけで、罠は毎晩弾かれているのに、かかった獲物は一匹もいません。同じ頃、彼は泥まみれの窪地で豚飼いの怪物が醜怪な獣の群れを追い立てる悪夢に繰り返しうなされます。

友人のノリス大尉とともに地下祭室を調べた語り手は、ローマ人が築いた奥の祭壇の下から風が漏れていることに気づきます。ロンドンから招いた考古学者や人類学者らとともに祭壇を傾けると、その下には夥しい人骨で埋め尽くされた石段が現れ、さらにその先には陽の射す巨大な地底の洞窟が広がっていました。そこは太古から現代に至るまで、一族が人間を家畜として飼育し、捕食してきた場所だったのです。

真相に触れた語り手の理性は急速に崩れていきます。闇の奥へ消えた愛猫を追ううちに、彼自身が先祖の血に呑まれ、英語の古語やラテン語、ゲール語の呪詛、そして獣じみた叫びが入り混じる譫言を発しながら、同行したノリス大尉の亡骸に覆いかぶさっているところを発見されます。館は爆破され、彼はハンウェルの精神病院に収監されたまま、いまも「壁のなかの鼠」のせいだと訴え続けています。

作品情報

  • 原題: The Rats in the Walls
  • 執筆: 1923年8〜9月[2]
  • 初出: 『ウィアード・テイルズ』第3巻第3号、1924年3月、25–31ページ[3]
  • 分量: 約7,900語(公式アーカイブ本文を機械集計)。章分けなし
  • 語り: 一人称。名を明かさない語り手デラポア(原初の綴りに復し「デ・ラ・ポー」)による回想的独白
  • 時: 現在は1923年7月〜8月。作中では一族の歴史として17世紀のウォルター・デ・ラ・ポーの代から、ローマ支配下、さらに先史時代にまで遡る記述がある
  • 舞台: イングランド、アンチェスター村近郊の断崖に建つ一族の館エクサム・プライオリと、その地下に眠る巨大な洞窟
  • 主題: 血統に刻まれた先祖返り、地下に堆積した一族の歴史、正気の崩壊

登場神格・用語

  • エクサム・プライオリ — 語り手の一族の館。ゴシック様式の塔がサクソン・ロマネスク様式の土台に載り、その下にさらにローマ、そしてドルイド教あるいは土着ケルトの遺構が眠るという、幾重にも重なった建築
  • マグナ・マーテル(キュベレー) — 地下祭室の碑文に刻まれた大地母神。フリギア由来の信仰で、作中ではローマ人がこの地の先住の祭祀を取り込んだものとされる
  • アテュス — キュベレー信仰と結びついた神の名。地下祭室の碑文に残る
  • ニャルラトホテプ — 洞窟の奥へ引きずり込まれる語り手の幻視の中で名指される「顔のない狂気の神」
  • デラポア家(デ・ラ・ポー家) — 語り手の一族。17世紀にウォルター・デ・ラ・ポーが家族を惨殺し、アメリカへ逃れて名を変えた
  • ウォルター・デ・ラ・ポー — 第11代エクサム男爵。ジェームズ1世の治世に一族を殺害し、疑惑を残したまま英国を去った語り手の直系の祖
  • エドワード・ノリス大尉 — 語り手の亡き息子アルフレッドの戦友。館の再建に協力し、地下探索にも同行する
  • アンチェスター — エクサム・プライオリ近郊の村。かつて第三アウグスタ軍団の駐屯地であったとされる
  • サー・ウィリアム・ブリントン — ロンドンから招かれた考古学者。地下探索の隊を率いる
  • ソーントン — 心霊現象の研究者。地下探索に同行し、二度気を失う
  • トラスク博士 — 人類学者。地底の骨を分類する

あらすじ

エクサム・プライオリの再建と一族の伝承

語り手デラポアは、南北戦争でヴァージニアの旧邸カーフィアクスを焼かれ、一族の由来を記した封印文書も失った身の上です。息子アルフレッドが第一次大戦で英国に赴いた際、戦友のノリス大尉から一族の館エクサム・プライオリの噂を聞いたことをきっかけに、語り手は1918年にこの廃墟を買い取りました。アルフレッドが傷病兵として帰国し、二年後に世を去ったため計画は一時中断しますが、1921年、語り手は独り身の余生をこの再建に捧げる決意をします。

村人たちはこの館を忌み嫌い、語り手にすら冷淡でした。ノリスが集めた伝承によれば、エクサム・プライオリはドルイド以前の神殿の跡地に建ち、ローマ人はここでキュベレー信仰を営み、サクソン人もそれを引き継いだといいます。地下祭室には「DIV . . . OPS . . . MAGNA. MAT . . .」というマグナ・マーテルを示す碑文が今も残っていました。一族については1307年に「神に呪われし者」と記された記録があるほか、頭首を中心とする閉ざされた集まりの噂、そして館から鼠の大群が街道になだれ出て家畜も人間も食い尽くしたという「鼠の叙事詩」まで、忌まわしい言い伝えに事欠きません。[1]

こうした話に構わず二年をかけて館を修復した語り手は、1923年7月16日、七人の使用人と九匹の猫を連れて移り住みます。連れてきた猫の中で最も年長の黒猫(原文の名は人種差別語のため、当サイトでは英語表記・日本語訳とも記しません。以下「黒猫」「愛猫」と記します)は、七年前からの語り手の飼い猫でした。

壁を這う音

入居から五日後の7月22日、その黒猫の様子が急に変わります。「その生来の気質からは考えられないほど、明らかに警戒し、そわそわとしていた。部屋から部屋へと落ち着きなく動き回り……絶えず壁のあたりを嗅ぎ回っていた」[1]。翌日には他の猫たちにも同じ落ち着きのなさが広がり、語り手は古い石壁から人には感じ取れない匂いが漂っているのだろうと自分に言い聞かせます。この地に鼠がいた記録は三百年もないはずでした。

その夜、寝室のタペストリーの奥から低い物音を耳にした語り手は、黒猫が壁際に飛びかかるのを見ます。タペストリーを引き剥がしても、そこには湿った古い石壁があるだけで、鼠の痕跡は何ひとつありません。翌晩は輪をかけてひどく、壁という壁が「猛々しく巨大な鼠の、忌まわしい這い回る音」に満ちました。仕掛けた罠はことごとく弾かれていながら、かかったものは一匹もいません。同じ夜、猫たちは館の下層へと逃げ、地下祭室の扉の前でひたすら唸り続けます[1]。加えて語り手は、泥まみれの窪地で白髭の豚飼いが醜怪でぶよぶよした獣の群れを追い立て、そこへ鼠の大群が降り注いで獣と人間もろとも食い尽くすという悪夢に繰り返し苦しめられます。

地下祭室の発見

ノリス大尉とともに地下祭室に踏み込んだ語り手は、そこがローマ人の手による確かな遺構であることを知ります。円柱や祭壇には「P.GETAE. PROP . . . TEMP . . . DONA . . .」「L. PRAEC . . . VS . . . PONTIFI . . . ATYS . . .」といった碑文が刻まれ、アテュスの名を目にした語り手はカトゥルスの詩を思い出して身震いします。二人は毛布を持ち込み、猫とともにこの祭室で夜を明かすことにしました。すると閉ざされた扉の外で猫たちが騒ぎ立て、室内では黒猫が中央の祭壇の足元を執拗に引っかき始めます。ノリスが祭壇の裏の苔をこそげ落とすと、そこから確かな隙間風が漏れ、ランプの炎が揺れました。祭壇の下に、まだ誰も知らない空洞が眠っている――そう確信した二人は、この謎に立ち向かうべくロンドンへ向かい、考古学の権威サー・ウィリアム・ブリントンをはじめとする五人の専門家を招くことにします[1]。

調査隊と大洞窟

8月7日、語り手とノリス、そして招かれた五人の学者――心霊研究家のソーントンや人類学者のトラスク博士を含む七人が、黒猫を伴って地下祭室に下ります。サー・ウィリアムが祭壇を傾けると、床には正方形の開口部が現れました。「そこには、心構えをしていなければ我々を圧倒していたであろう恐怖が姿を現していた。タイル張りの床にあいたほぼ正方形の開口部から石段が伸び、そこに人間、あるいは半人間の骨がおぞましく散乱していたのだ」[1]。骨の主の頭骨は、痴愚や原始的な半猿人を思わせる形をしていました。

石段を下りきると、崖の亀裂から陽光が射し込む、見渡す限り広がる巨大な地底洞窟が現れます。塚の列、環状に並ぶ巨石、低いドーム状のローマ建築、サクソンの建物、木造の英国風の建物――幾層もの時代の遺構が同居し、その地表は無数の人骨、あるいは半人間の骨で埋め尽くされていました。トラスク博士が調べた頭骨は、多くがピルトダウン人以下の段階にありながら、確かに人間のものだったといいます。石造りの囲いは家畜小屋として使われ、地下には食用にされた植物の残骸まで残っていました。サー・ウィリアムは碑文を訳し、キュベレーの神官が見出し自らの信仰に取り込んだという、太古の教団の食習慣について語ります。木造の建物は「屠殺場と厨房」であり、そこには1610年という近い年代の英語の落書きさえ残されていました。その営みを終わらせたのが、他ならぬ祖先ウォルター・デ・ラ・ポーの短剣だったのです[1]。サクソン様式の建物には錆びた鉄格子のついた十の独房があり、そのうちの一体の骨の指には、語り手自身の紋章を刻んだ指輪がはめられていました。

さらに奥へ進むと、光の届かない果てしない暗黒の洞穴が口を開けています。そこには鼠にかじられた骨が積み重なる無数の穴が広がっていました。飼われていた獣の群れが尽きたとき、鼠の大群は互いを、そして館の主たちを襲い、ついには地上へと溢れ出た――かつて村に語り継がれた「鼠の叙事詩」の正体がここにありました。

結末

一同から離れて洞穴の縁に立っていた語り手は、聞き覚えのある物音を耳にし、黒猫が漆黒の奥へ跳び込むのを見ます。彼はその後を追い、鼠の這い回る音に導かれるように暗闇の奥へと駆け出しました。作中の語り手自身の言葉を借りれば、それは「地の底のあの嗤う洞窟――そこでは顔のない狂気の神ニャルラトホテプが、二体の無定形で愚鈍な笛吹きの調べに合わせて、盲いたまま吠え猛っている」[1]場所へと続く道でした。

明かりを失った暗闇の中で、語り手の言葉は次第に脈絡を失っていきます。息子を奪った戦争、カーフィアクスを焼いた北軍、ヴードゥーの祭司になった従弟の噂、そして「ソーントン、貴様に家門のなす業で気絶する味を教えてやろう」といった古語調の呪詛が入り混じり、やがて「マグナ・マーテル! マグナ・マーテル! ……アテュス……」というラテン語、続いてゲール語の呪いの言葉、そして意味を持たない叫び声だけが残ります[1]。三時間後、人々が見つけたのは、闇の中でノリス大尉のむごたらしい亡骸に覆いかぶさり、自らの飼い猫に喉を引き裂かれかけている語り手の姿でした。

館は爆破され、跡形もなく取り除かれつつあります。語り手はハンウェルの精神病院の格子窓の部屋に収監され、隣室のソーントンと言葉を交わすことも許されません。彼は誰も信じてくれない真相を、最後にこう言い残します。「彼らには決して聞こえない鼠――壁のなかの鼠のしわざなのだ」[1]。

読みどころと注目テーマ

血に刻まれた先祖返り

語り手は当初、一族の忌まわしい伝承を単なる迷信として退けています。しかし物語が進むにつれ、彼自身の理性そのものが先祖の血に呑み込まれていきます。地底で目にする「半人間」の骨の群れは、家系図の奥に眠る先祖返りの姿でもあり、最後に語り手の口から漏れる獣じみた声は、その血が彼自身の中でも目を覚ましたことを示しています。館の主が代々血の匂いに引き寄せられてきたという伝承が、最終的に語り手自身の身にも起こる構造です。

幾重にも積み重なった建築と時間

ゴシックの塔、サクソン・ロマネスクの基部、ローマの石造、そしてドルイドあるいは先住民の遺構――エクサム・プライオリの構造そのものが、地表に近いほど新しく、下に行くほど古いという時間の地層になっています。地下祭室の祭壇の下にさらに深い洞窟が眠っていたという展開は、この建築的な積層のイメージを文字通りの「掘り下げ」として体現するものです。

崩壊する語りと多言語の譫言

物語の結末で語り手が発する言葉は、19世紀アメリカ英語から中英語風の古語、ラテン語の祭祀名、ゲール語の呪詛、そして意味を成さない音の連なりへと崩れていきます。これは単なる恐怖の絶叫ではなく、語り手という一人の人格が、一族の歴史そのものへと逆流し溶け去っていく過程を、文体そのもので表現したものです。

猫の名前について

語り手が可愛がる老いた黒猫には、原文で固有の名前が与えられています。この名は黒人に対する人種差別語です。当サイトでは、この名を英語表記・日本語訳のいずれにおいても記載していません。本記事では一貫して「黒猫」「愛猫」の呼び方で統一しています。作品を紹介するにあたり、この点は看過すべきでない事実として明記しておきます。

執筆背景と影響

公式年譜によれば、本作は1923年8〜9月に執筆されました[2]。初出は『ウィアード・テイルズ』第3巻第3号(1924年3月)、25–31ページです[3]。作中の現在時制(1923年7月に語り手が館に移り住む場面)は、執筆年とほぼ重なっています。

それ以上の成立経緯――着想源となった出来事、執筆当時の状況、雑誌側の受理や評価をめぐる経緯――については、公式アーカイブに記載がなく、当サイトでは確認していません。

出典

[1] H. P. Lovecraft, “The Rats in the Walls” (本文). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/rw.aspx本記事の引用・要約はすべてこの本文に基づきます。訳文は当サイトによる試訳です。

[2] “Lovecraft’s Fiction” (作品年譜). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/執筆時期(1923年8〜9月)ほかの出典。

[3] “Data Page for ‘The Rats in the Walls'” (作品情報・出版履歴). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/rw.aspx初出『ウィアード・テイルズ』第3巻第3号(1924年3月)25–31ページの出典。

関連作品ガイド ── どれから楽しむか

  • 猟犬 — 1922年9月執筆。同じくラヴクラフトの怪奇短編で、時期的に近い一作。
  • 忌み家 — 1924年10月16〜19日執筆。同じく一族にまつわる住まいを舞台とする怪奇短編。
  • 潜み棲む恐怖 — 1922年11月執筆。同じく地下の恐怖を扱う怪奇短編。
  • ピックマンのモデル — 1926年執筆。同じくラヴクラフトが手がけた怪奇短編の一つ。

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