概要
カルコサは、アンブローズ・ビアスの短編「カルコサの住人」(短編集『Can Such Things Be?』収録)に初めて登場する幻の古代都市である。ロバート・W・チェンバース『黄衣の王』(1895年)がこの固有名詞を引き継いで「黄の印」「湖ハリ」「王ハスター」といった独自の神話的道具立てを築き、さらにラヴクラフトが「闇に囁くもの」でこれらの語を自らの神話体系に取り込んだ。原作者を異にする複数の作家が、一つの固有名詞を軸に神話を継ぎ足していった「借用の連鎖」を体現する都市であり、原典に基づく単一の設定を持たない点そのものが本項の主題となる。
原典での描写
「カルコサの住人」――目覚める荒野と都市の痕跡
物語は、死には幾通りかの種類があるとする「ハリの言葉」――肉体だけが残る死もあれば、肉体ごと消え去る死もあるという一節――を、語り手が思い巡らすところから始まる。物思いに沈んでいた語り手は、不意に頬を打つ冷たい風に我に返るまで、自分がどこをさまよっていたのか気づいていなかった。目にしたのは、丈高い枯れ草が生い茂る荒涼とした平原と、ところどころに立つ奇怪な形の岩や枯れ木ばかりで、人の気配はどこにもない。語り手はやがて、自らが「住んでいた都市――いにしえの名高き都市カルコサ――から、かなりの距離を隔てた場所にいる」ことに思い至る[7]。松明を手にした異装の男とすれ違った語り手は、「ご親切な見知らぬ方、私は病み、道に迷っています。どうかカルコサへの道をお教えください」と呼びかけるが、男は理解できない言葉で歌うように呟きながら、振り返りもせず立ち去ってしまう[8]。
「カルコサの住人」――自分の墓碑の発見と結末
大木の根元に腰を下ろした語り手は、そこに半ば埋もれた石板に刻まれた文字を身をかがめて読む。記されていたのは、他ならぬ自分自身の氏名と生没年であった。「神よ天にましますものよ――私の氏名がまるごと!――私の生まれた日が!――私の死んだ日が!」[9] 恐怖に飛び上がった語り手は、朝日を背にしながら自分の体に影が一つも落ちていないことに気づき、遠吠える狼の群れを見渡す。「そして私は、そこがいにしえの名高き都市カルコサの廃墟なのだと悟った」[10]。物語は最後に、「これらの事実は、霊媒バイロールズによって霊ホセイブ・アラー・ロバーダンより伝えられたものである」という一文で締めくくられ、語り手自身が既に死者であり、この体験全体が交霊術によって間接的に語られたものだったことが明かされる[11]。
戯曲の断片に歌われるカルコサ(「カシルダの歌」)
『黄衣の王』は本編に先立ち、劇中劇として言及される戯曲「黄衣の王」第一幕第二場の一節「カシルダの歌」を巻頭に掲げる。歌は「岸辺で雲の波が砕け、双子の太陽は湖の彼方に沈み、影はカルコサに長く伸びる」と歌い出され、「奇妙なのは黒い星々の昇る夜、奇妙な月々が空を巡るさまもまた奇妙だが、失われたるカルコサはさらに奇妙である」と続く[12]。ヒュアデスが歌うはずの歌も「霞むカルコサにて、聞かれることなく死に絶えねばならぬ」と結ばれる。カルコサの名は、収録作の本編が始まる前から、この歌の中で繰り返し呼びかけられている。
収録短編での言及のされ方
短編集の各編でも、戯曲「黄衣の王」を読んだ・聞いた・知った登場人物たちの口から、カルコサの名が繰り返し呼び出される。「名誉修理人」では、戯曲を読んでしまった語り手ヒルドレッドが「黒い星々が天に懸かり、双子の太陽が湖ハリに沈む午後には人々の思念の影が長く伸びるカルコサを、私は忘れることができない」と記し、劇中の架空文書「アメリカ帝国王朝」の書き出し「カルコサより、ヒュアデスより、ハスターより、アルデバランより」も本文にそのまま引用される[13]。「仮面」では、彫刻家ボリスをめぐる幻視の場面で「さざ波も風もなく薄く虚ろに広がるハリの湖を見た。そして月の向こうにカルコサの塔々を見た」と語られる[14]。「竜の宮廷」でも、教会の場面から悪夢的な幻視へ転じる結末部で「黒い星々が天に懸かっているのが見え、ハリの湖から吹きつける湿った風が顔を凍えさせた」「遠く、幾重にも重なる雲の波を越えて月が滴り落ちるのを見、その向こうに、月の背後からカルコサの塔がそびえるのを見た」と描かれる[15]。
基本プロフィール
- 分類: 地名(滅びた古代都市)
- 欧文表記: CARCOSA
- 初出・出典: 「カルコサの住人」An Inhabitant of Carcosa(アンブローズ・ビアス作。短編集『Can Such Things Be?』収録)。Project Gutenberg版(eBook #4366)は1918年のBoni & Liveright版を底本とし、同版には1909年のThe Neale Publishing Companyによる版権表示がある。初出紙・初出年月日は当サイトでは確認していない
- 系譜: ビアス『Can Such Things Be?』収録作 → チェンバース『黄衣の王』(1895年) → ラヴクラフト「闇に囁くもの」(1931年)という3世代にわたる借用
由来・モデル
カルコサは特定の実在都市をモデルとした地名ではなく、ビアスが創作した架空の滅びた古代都市である。ビアスの原典では、時間の感覚そのものが崩壊した幻視的な短編の中で言及されるのみで、地理的な位置づけは一切与えられていない。この「実体を欠いた固有名詞」という性質こそが、後続作家が自由に意味を書き加えられる余白を生み、チェンバース、そしてラヴクラフトへと引き継がれていく素地になったと考えられる。
歴史・年表
- ビアスによる初出: 短編「カルコサの住人」(短編集『Can Such Things Be?』収録)で、語り手は熱病から回復した自分がいつの間にか見知らぬ荒野をさまよっていることに気づく[1]。道行く異装の男に「カルコサへの道を教えてくれ」と乞うが、男は理解できない言葉で歌うように呟きながら立ち去ってしまう[2]。
- 語り手の発見: 語り手は木の根に埋もれた石板に、自らの氏名と生没年がまるごと刻まれているのを発見する[3]。夜明けの光の中、自分の体が木の幹と太陽の間にあるにもかかわらず、影が一切落ちていないことに気づく[4]。周囲に広がっていたのは、いにしえの名高き都カルコサの廃墟だったのだと物語は結ぶ[5]。
- 語りの枠組み: 物語全体は「これらの事実は、霊媒バイロールズによって霊ホセイブ・アラー・ロバーダンより伝えられたものである」という一文で締めくくられ[6]、語り手自身が既に死者であり、その体験が交霊術によって間接的に伝えられたものだという多重の語りの構造を持つ。
- 1895年、チェンバースによる継承: ロバート・W・チェンバースが戯曲『黄衣の王』の中で「カルコサ」「湖ハリ」「黄の印」「王ハスター」といった固有名詞群をビアスから引き継ぎ、それらに具体的な(しかし断片的にしか明かされない)神話的背景を与えた。
- 1931年、ラヴクラフトによる再継承: 「闇に囁くもの」の中で、登場人物ヘンリー・アクリーの書簡が、外なる神々や神話的存在に関する断片的な言及の一つとして「湖ハリ」「黄の印」「ハスター」の名に触れる。カルコサの名そのものは同作には登場しない。ラヴクラフト自身がチェンバースの作品からこれらの語を借用したことは、S・T・ヨシ等の研究者によって指摘されている。
性質・特徴
カルコサそのものについて、いずれの作家も一貫した具体的な地理・歴史設定を与えていない点が最大の特徴である。ビアスの原典では「時間を超越した滅びた都」という幻視的モチーフとしてのみ機能し、チェンバースはこれを神話的舞台装置として拡張したが、それでもなお具体的な地理は明かされない。ラヴクラフトによる借用もごく断片的な言及に留まる。この「実体の希薄さ」自体が、後世のTRPG等でカルコサ・ハスターの設定がしばしば大きく再解釈される余地を生んでいる。
関連する人物・存在
- ハスター: チェンバース作品以降、カルコサと結びつけられる王(あるいは神格)とされる存在。深淵書架の神格記事側で、TRPG設定における位置づけも含めて詳述している。
主要登場作と読みどころ
- 「カルコサの住人」(短編集『Can Such Things Be?』収録): 本作そのもの。中心となる原典。語り手が自らの死にまだ気づいていないという構成上の仕掛け、影が消えていることで死を悟る場面の静かな恐怖演出が読みどころ。
- 『黄衣の王』(1895年): チェンバースによる連作短編集。戯曲「黄衣の王」を読んだ者が狂気に陥るという入れ子構造の中で、カルコサ・湖ハリ・黄の印・ハスターといった語彙が断片的に言及される。
- 「闇に囁くもの」(1931年): ラヴクラフトが、ヘンリー・アクリーの書簡という形式で「湖ハリ」「黄の印」「ハスター」の名に触れる(カルコサの名自体は登場しない)。原典を直接読んでいなくても言及だけで不穏さを喚起する、断片的引用の効果が読みどころ。
よくある誤解
Q. カルコサはラヴクラフトが創造した地名ですか?A. いいえ。カルコサはアンブローズ・ビアスが短編集『Can Such Things Be?』の中で創造した地名で、ラヴクラフトの作品よりも古く、ラヴクラフト自身のものではありません。ロバート・W・チェンバースがこれを引き継いで神話的に拡張し、ラヴクラフトはさらにチェンバースから借用したという、3世代にわたる借用の連鎖の産物です。
Q. カルコサの具体的な地理や歴史は分かっているのですか?A. いいえ。ビアス、チェンバースの原典でも、カルコサの具体的な地理的位置や成立の歴史は明確に描かれていません。ラヴクラフトの「闇に囁くもの」に至っては、カルコサの名そのものが登場せず、「湖ハリ」「黄の印」「ハスター」の名が触れられるにとどまります。断片的な言及の積み重ねのみで存在する都市であり、この「実体の希薄さ」自体がカルコサという地名の特徴です。
出典
- [1] “I noted not whither I had strayed until a sudden chill wind striking my face revived in me a sense of my surroundings.”(訳: 「不意に顔を打つ冷たい風が、私に周囲の状況を意識させるまで、自分がどこをさまよっていたのか気づいていなかった」) — Ambrose Bierce, “An Inhabitant of Carcosa”(『Can Such Things Be?』収録, Project Gutenberg eBook #4366), https://www.gutenberg.org/ebooks/4366 ↩
- [2] “Good stranger, I am ill and lost. Direct me, I beseech you, to Carcosa.”(訳: 「ご親切な見知らぬ方、私は病み、道に迷っています。どうかカルコサへの道をお教えください」) — 同上(男は理解できない言葉で歌うように呟きながら立ち去ったと続く) ↩
- [3] “God in heaven! my name in full! — the date of my birth! — the date of my death!”(訳: 「ああ神よ!私の氏名がまるごと!——生まれた日が!——死んだ日が!」) — 同上 ↩
- [4] “The sun was rising in the rosy east. I stood between the tree and his broad red disk — no shadow darkened the trunk!”(訳: 「太陽がばら色の東の空に昇りつつあった。私は木とその赤く大きな円盤との間に立っていたが——幹に影が一切落ちていなかった!」) — 同上 ↩
- [5] “And then I knew that these were ruins of the ancient and famous city of Carcosa.”(訳: 「その時私は、これがいにしえの名高き都カルコサの廃墟なのだと悟った」) — 同上 ↩
- [6] “Such are the facts imparted to the medium Bayrolles by the spirit Hoseib Alar Robardin.”(訳: 「これらの事実は、霊媒バイロールズによって霊ホセイブ・アラー・ロバーダンより伝えられたものである」) — 同上 ↩
- [7] “Clearly I was at a considerable distance from the city where I dwelt — the ancient and famous city of Carcosa.”(訳: 「自分が住んでいた都市――いにしえの名高き都市カルコサ――から、かなりの距離を隔てた場所にいることは明らかだった」) — Ambrose Bierce, “An Inhabitant of Carcosa”(『Can Such Things Be?』収録, Project Gutenberg eBook #4366), https://www.gutenberg.org/ebooks/4366 ↩
- [8] “Good stranger, I am ill and lost. Direct me, I beseech you, to Carcosa.”(訳: 「ご親切な見知らぬ方、私は病み、道に迷っています。どうかカルコサへの道をお教えください」) — 同上 ↩
- [9] “God in Heaven! _my_ name in full! — the date of _my_ birth! — the date of _my_ death!”(訳: 「神よ天にましますものよ――私の氏名がまるごと!――私の生まれた日が!――私の死んだ日が!」) — 同上 ↩
- [10] “And then I knew that these were ruins of the ancient and famous city of Carcosa.”(訳: 「そして私は、そこがいにしえの名高き都市カルコサの廃墟なのだと悟った」) — 同上 ↩
- [11] “Such are the facts imparted to the medium Bayrolles by the spirit Hoseib Alar Robardin.”(訳: 「これらの事実は、霊媒バイロールズによって霊ホセイブ・アラー・ロバーダンより伝えられたものである」) — 同上 ↩
- [12] “Strange is the night where black stars rise, / And strange moons circle through the skies / But stranger still is Lost Carcosa.”(訳: 「奇妙なのは黒い星々の昇る夜、奇妙な月々が空を巡るさまもまた奇妙だが、失われたるカルコサはさらに奇妙である」) — Cassilda’s Song in “The King in Yellow,” Act i, Scene 2, quoted in Robert W. Chambers, *The King in Yellow*(1895, Project Gutenberg eBook #8492), https://www.gutenberg.org/ebooks/8492 ↩
- [13] “I cannot forget Carcosa where black stars hang in the heavens; where the shadows of men’s thoughts lengthen in the afternoon, when the twin suns sink into the lake of Hali.”(訳: 「黒い星々が天に懸かり、双子の太陽が湖ハリに沈む午後には人々の思念の影が長く伸びるカルコサを、私は忘れることができない」) — Robert W. Chambers, “The Repairer of Reputations,” in *The King in Yellow*(1895, Project Gutenberg eBook #8492), https://www.gutenberg.org/ebooks/8492 ↩
- [14] “I saw the lake of Hali, thin and blank, without a ripple or wind to stir it, and I saw the towers of Carcosa behind the moon.”(訳: 「さざ波も風もなく薄く虚ろに広がるハリの湖を見た。そして月の向こうにカルコサの塔々を見た」) — Robert W. Chambers, “The Mask,” in *The King in Yellow*(1895, Project Gutenberg eBook #8492), https://www.gutenberg.org/ebooks/8492 ↩
- [15] “I saw the black stars hanging in the heavens: and the wet winds from the lake of Hali chilled my face.”(訳: 「黒い星々が天に懸かっているのが見え、ハリの湖から吹きつける湿った風が顔を凍えさせた」) — Robert W. Chambers, “The Court of the Dragon,” in *The King in Yellow*(1895, Project Gutenberg eBook #8492), https://www.gutenberg.org/ebooks/8492 ↩


