概要
ラヴクラフト「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」(1921–1922年執筆/1922年発表)に初めて登場した、マサチューセッツ州アーカムに所在する架空の大学。町を流れるミスカトニック川に由来する名を持ち、稀覯書コレクションと数々の神話的事件をめぐる調査・探検隊派遣で知られる、クトゥルフ神話における知の中枢である。
基本プロフィール
- 分類: 地名(教育機関)
- 欧文表記: MISKATONIC UNIVERSITY
- 初出・出典: 「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」(1921–1922年執筆/1922年発表)
- 所在地: マサチューセッツ州アーカム
- 実在モデル: ブラウン大学(ロードアイランド州プロヴィデンス、1764年創立)
原典での描写
「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」(1921–1922年執筆/1922年発表)
「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」の物語で、語り手とハーバート・ウェストが出会ったのは、アーカムのミスカトニック大学医学部で学んだ三年次のことだった。二人は学位取得後も同大学の夏期講座で研究を続けたが、動物を用いた蘇生実験は懐疑的な学部長ドクター・アラン・ハルジーの命令でいったん中止に追い込まれる。学位を得て開業医となった際には、亡骸を得やすい貧民墓地の近くに住まいと医院を構えたと語られる[2]。
「ダンウィッチの怪」(1928年)
「ダンウィッチの怪」では、1925年にミスカトニック大学から来た学識ある文通相手がウィルバー・ウェイトリーのもとを訪れ、青ざめ困惑した様子で立ち去ったという。ハーヴァードのワイドナー図書館やパリの国立図書館、大英博物館などへの照会がいずれも不調に終わると、ウィルバーは地理的に最も近いミスカトニック大学の写本を調べるべく自らアーカムへ赴いた。彼が求めたのは、大学図書館に厳重に鍵をかけて保管された「狂えるアラビア人の忌まわしいネクロノミコン」である。事件の後には、ウィルバーの遺した暗号めいた日記が翻訳のため同大学へ送られ、専門家たちを大いに悩ませたことも記される[3]。
「闇に囁くもの」(1930年執筆)
「闇に囁くもの」の語り手アルバート・N・ウィルマースは、当時も今と変わらずマサチューセッツ州アーカムのミスカトニック大学で文学を教える講師であり、ニューイングランドの民俗伝承を熱心に研究していると自己紹介する。怪異の発端となるヘンリー・エイクリーからの手紙も、「ミスカトニック大学 アルバート・N・ウィルマース様」宛てに届いた[4]。
「狂気の山脈にて」(1931年執筆/1936年発表)
「狂気の山脈にて」の語り手は地質学者で、ミスカトニック大学探検隊を率いた目的は、もっぱら南極大陸各地から深層の岩石・土壌標本を採取することにあったと述べる。工学部のフランク・H・パボディ教授が考案した掘削機を携えたこの探検で遭遇した出来事の全貌は、後に大学の公式報告書として発表される見込みであることも記される[5]。
「魔女の家の夢」(1932年1-2月執筆)
「魔女の家の夢」では、学生ギルマンをめぐる怪異の中で言及される奇妙な合金の彫像について触れられる。成分の分析は学内でも話題になったが、謎は解けぬまま、その像はミスカトニック大学の博物館に展示されているという[6]。
「時間からの影」(1934–1935年執筆/1936年発表)
「時間からの影」の語り手ピースリーは、十八歳でミスカトニック大学に入学した1889年までアーカムへ行ったことがなかったと回想する。ハーヴァードで経済学を修めた後、1895年に政治経済学の講師として同大学へ戻り、1898年に准教授、1902年に正教授となった。息子ウィンゲート・ピースリーも同大学に在籍し、大学の後援を得て組織されたオーストラリア探検には、地質学のウィリアム・ダイアー教授らが名を連ねたことも記される[7]。
このほか「宇宙からの色」(隕石調査に赴く同大学教授陣)、「祭り」(同大学図書館所蔵の『ネクロノミコン』)、「ネクロノミコンの歴史」(同写本を所蔵する大学の一つとしての言及)、「インスマスの影」(同大学附属博物館の展示品)、「戸口に現れたもの」(エドワード・ダービーの母校)では、いずれも名前が挙がる程度の言及にとどまり、大学そのものの姿は描かれない。
由来・モデル
実在のモデルは、ラヴクラフトの故郷プロヴィデンスにあるブラウン大学とされる。ラヴクラフト自身は十代の頃ブラウン大学への進学を熱望しながら、神経衰弱を理由とする健康問題によって叶わなかった経緯があり、この個人的な挫折が、作中で自らが果たせなかった学究生活を体現する架空の大学として結実したとも評される。附属図書館のモデルは、ブラウン大学のジョン・ヘイ図書館とされる。「ミスカトニック」という名称自体は、ラヴクラフトが好んで作品に用いたマサチューセッツ州の架空の川(ミスカトニック川)に由来し、この川がアーカムを貫流するという地理設定と一体になっている。
歴史・年表
作中設定では、名士ジェレマイア・オーン船長の遺言による蔵書寄贈を受けたカレッジを母体に発展したとされる。創立年については資料間で記述が食い違っており、1765年創立とする資料と、1861年(南北戦争後)に総合大学化したとする資料とが並立し、単一の確定した年代は定まっていない。
附属のオーン図書館(Orne Library)は、世界に数冊しかない『ネクロノミコン』ラテン語訳写本のほか、フリードリヒ・フォン・ユンツトの『無名祭祀書』、断片的な『エイボンの書』など、厳重に管理された禁書コレクションで知られる。大学は「ナサニエル・ダービイ・ピックマン財団」の資金援助を受け、地質学部主導の1930年南極探検(『狂気の山脈にて』の舞台。ウィリアム・ダイアー教授率いる)や、1935年オーストラリア砂漠探検(『時間からの影』の舞台。ナサニエル・ウィンゲート・ピースリー教授関与)など、複数の学術探検隊を組織した。1928年には、ダンウィッチ出身の学生ウィルバー・ウェイトリーが『ネクロノミコン』の閲覧・借用を求めてオーン図書館を訪れ、後の「ダンウィッチの怪」事件へとつながっていく。
性質・特徴
怪異を単なるオカルトとしてではなく、地質学・生物学・人類学など科学の言葉で調査・記録しようとする姿勢は、クトゥルフ神話に独特のリアリズムと知的な語り口を与えている。複数のラヴクラフト作品を横断して繰り返し舞台となることで、個々の物語をひとつの世界観へつなぐ結節点としても機能する。大学に所属する教授陣(ヘンリー・アーミテイジ博士、ウィリアム・ダイアー教授、ナサニエル・ウィンゲート・ピースリー教授、アルバート・N・ウィルマース教授など)が、それぞれ異なる神話的事件の調査主体として繰り返し登場する点も、この大学を「知の中枢」たらしめている特徴である。
関連する人物・存在・出来事
大学附属図書館の禁書コレクションを軸に、複数の神話的事件と結びつく。ヘンリー・アーミテイジ博士(図書館長)は「ダンウィッチの怪」でウィルバー・ウェイトリーの侵入未遂・死亡と、その後の怪物退治に関わる。ウィリアム・ダイアー教授(地質学)は1930年南極探検隊を率い、「狂気の山脈にて」で古のものの廃都市を発見する。ナサニエル・ウィンゲート・ピースリー教授は「時間からの影」でイースの大いなる種族による意識乗っ取りを経験する。ハーバート・ウェスト医師は在学中に死体蘇生の実験を行う。オーガスト・ダーレスの続編小説群に登場するラバン・シュリュズベリィ博士も、同大学に連なる研究者として位置づけられる。
主要登場作と読みどころ
- 「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」(1921–1922年執筆/1922年発表): この大学が初めて登場する作品。医学生ウェストが大学内で死体蘇生の秘密実験を行う。
- 「ダンウィッチの怪」(1928年): アーミテイジ博士率いる図書館スタッフが、ウィルバー・ウェイトリーの禁書閲覧を巡る攻防、そして怪物退治の中心的役割を担う。
- 「狂気の山脈にて」(1931年執筆/1936年発表): 大学地質学部主導の南極探検隊が、古のものの文明の痕跡を発見する。物語全体が大学への報告書という体裁を取る。
- 「時間からの影」(1934–1935年執筆/1936年発表): ピースリー教授が大学を舞台に、5年間の記憶喪失の謎とイースの大いなる種族との接触を追う。
よくある誤解
Q. ミスカトニック大学の創立年は何年と決まっているのですか?
A. いいえ。1765年創立とする資料と、1861年に総合大学化したとする資料が並立しており、ラヴクラフト自身の作品内でも単一の確定した年代は示されていません。
Q. ミスカトニック大学は実在するのですか?
A. いいえ、完全な架空の大学です。ただしラヴクラフトの故郷プロヴィデンスにあるブラウン大学がモデルとされ、附属図書館もブラウン大学のジョン・ヘイ図書館がモデルと考えられています。
出典
- [1] “…when we were in the third year of our course at the Miskatonic University Medical School in Arkham.”(訳: 「……われわれがアーカムのミスカトニック大学医学部で三年目の課程にあった頃のことだ」) — H. P. Lovecraft, “Herbert West—Reanimator”(1921–1922年執筆/1922年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “…he and I obtained our degrees at the medical school of Miskatonic University, and sought to relieve our poverty by setting up as general practitioners…”(訳: 「……われわれは学位をミスカトニック大学医学部で取得し、貧しさをしのぐため開業医となろうとした……」) — H. P. Lovecraft, “Herbert West—Reanimator”(1921–1922年執筆/1922年発表), 公式アーカイブ ↩
- [3] “…the dreaded volume kept under lock and key at the college library—the hideous Necronomicon of the mad Arab…”(訳: 「……大学の図書館に厳重に鍵をかけて保管された恐るべき書物――狂えるアラビア人の忌まわしいネクロノミコン……」) — H. P. Lovecraft, “The Dunwich Horror”(1928年), 公式アーカイブ ↩
- [4] “I was then, as now, an instructor of literature at Miskatonic University in Arkham, Massachusetts…”(訳: 「当時の私は、今と同じくマサチューセッツ州アーカムのミスカトニック大学で文学の講師をしていた……」) — H. P. Lovecraft, “The Whisperer in Darkness”(1930年執筆), 公式アーカイブ ↩
- [5] “…my object in leading the Miskatonic University Expedition was wholly that of securing deep-level specimens of rock and soil from various parts of the antarctic continent, aided by the remarkable drill devised by Prof. Frank H. Pabodie of our engineering department.”(訳: 「……ミスカトニック大学探検隊を率いた私の目的は、もっぱら南極大陸各地から深層の岩石・土壌標本を採取することにあった。それには、われわれの工学部のフランク・H・パボディ教授が考案した優れた掘削機の助けを借りた」) — H. P. Lovecraft, “At the Mountains of Madness”(1931年執筆/1936年発表), 公式アーカイブ ↩
- [6] “The mystery remains unsolved to this day, though the image is on exhibition at the museum of Miskatonic University.”(訳: 「謎は今日まで解けぬままだが、その像はミスカトニック大学の博物館に展示されている」) — H. P. Lovecraft, “The Dreams in the Witch House”(1932年1-2月執筆), 公式アーカイブ ↩
- [7] “…did not go to Arkham till I entered Miskatonic University at the age of eighteen. That was in 1889.”(訳: 「……十八歳でミスカトニック大学に入学するまで、アーカムへ行ったことはなかった。それは一八八九年のことである」) — H. P. Lovecraft, “The Shadow out of Time”(1934–1935年執筆/1936年発表), 公式アーカイブ ↩




