概要
『西欧の魔女崇拝(The Witch-cult in Western Europe: A Study in Anthropology)』は、 エジプト学者・人類学者のマーガレット・アリス・マレーが1921年にオックスフォードの クラレンドン・プレスから刊行した著作です[1]。
この本も、金枝篇と同じ一文で「クトゥルフの呼び声」に 出てきます。エインジェル教授が「長く生き延びた秘密結社や隠れた教団」について書いた覚え書きの、 参照先として挙げられているのがこの2冊です[2]。刊行は1921年、原典の執筆は1926年の夏。 5年前に出たばかりの新しい研究書が、教授の書類に入っていたことになります。
原文はこの2冊を「神話学・人類学の典拠本(mythological and anthropological source-books)」と 呼んでいます[2]。教授は教団を信じているのでも否定しているのでもなく、典拠に当たって 照合している。読者に示されるのは、そういう手つきの記録です。
マレーが主張したこと
序論で、彼女は当時の魔女研究を二つに分けます。証言を額面どおり受け取って超自然の力の 証拠とみなす側と、証言そのものを否定して幻覚や集団ヒステリーで片づける側。どちらも 悪魔の実在を前提にしており、両者のあいだで証拠の批判的な検討が行われてこなかった、 というのが彼女の出発点です[1]。
そこへ人類学の資料を持ち込むと何が見えるか。マレーはこう書きます。
It is only by a careful comparison with the evidence of anthropology that the facts fall into their proper places and an organized religion stands revealed.(訳: 人類学の証拠と注意深く突き合わせて初めて、事実はあるべき位置に収まり、組織された宗教が姿を現す)[1]
彼女はこの信仰を「儀礼的魔女術、あるいは私が呼ぶところのダイアナ教(the Dianic cult)」と 名づけ、次のように説明します。キリスト教の下に、共同体のさまざまな階層——とりわけ 学のない人々や人口の少ない土地の人々——によって実践された信仰があった。それは キリスト教以前まで遡ることができ、西欧の古代宗教であるように見える。神は人の姿でも 獣の姿でも崇拝され、儀礼は明確に定まっており、組織は高度に発達していた[1]。
「信仰と儀礼と組織を備えた、世界のどの宗教にも劣らず発達した明確な宗教だった」—— これがマレーの結論です[1]。
目次が、教団の設計図になっている
主張の当否はさておき、当サイトから見て使えるのは目次の並びでした。
第1章 宗教の連続性 / 第2章 神(神として・人間として・同一視・動物として) / 第3章 入信の儀式(勧誘・棄教と誓い・契約・洗礼・印) / 第4章 集会(サバトとエスバト、 場所・日付・時刻) / 第5章 儀礼(敬礼・踊り・音楽・饗宴・蝋燭・秘蹟・供犠・呪文)[1]
古い宗教が地下で生き延びている。神がいて、入信の儀式があり、印を刻まれ、定例の集会があり、 供犠がある。 これは、クトゥルフ神話の教団を書くときに必要なものが、ほぼ全部そろった一覧です。
「クトゥルフの呼び声」でルイジアナの沼地の摘発現場に描かれるもの——篝火、踊り、石柱の上の 偶像、集団——も、エソテリック・オーダー・オブ・ダゴンが インスマスで持っている構造も、この型の上に乗っています。
とくに第5章の供犠の節が「動物の供犠・子どもの供犠・神の供犠」と分かれているところは、 そのまま邪教の描写に使えてしまう並びです[1]。原典が教団を書くとき、細部を一から 考える必要はありませんでした。1921年の学術書に、項目立てされた形で置いてあったからです。
二つの大祭と、暦の話
マレーは祭日の日付から、この信仰が農耕以前の暦に属すると論じます。
主要な大祭は5月前夜(May Eve)と11月前夜(November Eve)の二つ。これは 一般に農耕以前のもの、つまり夏至・冬至で年を分ける方式より古いと認められている暦だ、 というのが彼女の見立てです[1]。この信仰の豊穣儀礼が、作物ではなく動物の増加を 目的としていたことも、その裏づけとして挙げられています。2月2日と8月1日の 四半期の中間日も祭日として守られたが、これらは後代のもので、5月と11月の前夜ほど 重要ではなかった[1]。
祭日が何月何日で、何のために行われたのか。ここまで具体的に書いてある本が1921年に 出ていたことは、覚えておく価値があります。教団の年間予定表が、学術書の体裁で 手に入る状態だったということです。
改宗の年表を、存続の証拠として使う
もう一つ、マレーの論の運び方がよく出ている箇所があります。イングランドの改宗年表です。
597〜604年のアウグスティヌスの布教(ロンドンはまだ異教)、ケント王エゼルベルトの改宗と、 その死後のキリスト教の後退。604年に東サクソン王が改宗するが後継者は戻る。627年 ノーサンブリア王、628年東アングリア王、631〜651年アイダンの布教、635年ウェセックス王、 653年マーシア王、654年に東サクソン王が再改宗、681年南サクソン王[1]。
歴史の記録は古い信仰について沈黙している。しかし各共同体の法や布告のほうには、 古い祭儀が続いていた明確な証拠が残っている——マレーはそう書きます[1]。 王が改宗しても民が変わったとは限らず、後継者が戻ることもある。だから表向き キリスト教一色に見える時代の下に、別の宗教が続いていたと考えられる、という筋です。
この「表の記録は沈黙しているが、法令の側に痕跡がある」という論法は、そのまま 神話の教団の書き方になります。新聞に載らないが、警察の記録には残っている。 「クトゥルフの呼び声」の資料の集め方と同じ形です。
サバトとエスバト、そして「印」
目次の第4章は、集会を二種類に分けています。サバト(行き方・場所・日付・時刻)と エスバト(用件・場所・時刻)[1]。大きな祭りと、実務を扱う小さな集まりという区別です。 この二語の使い分けは、のちに大衆的なオカルト観へ広く流れ込みました。祭りの日だけでなく、 用件を片づけるための集まりがある——組織として動いている、という含みがここに出ています。
第3章の入信儀式も細かく分かれています。勧誘、棄教と誓い、契約、洗礼、そして印[1]。 本文には裁判記録からの引用が並び、悪魔が女の姿で三度現れたこと、手を取って 「金に困ることはない」と約束したこと、洗礼を捨てさせたこと、新しい名を与えたこと、 そして印を受けたことが、17世紀の証言そのままの綴りで引かれています[1]。
身体に刻まれる印、与えられる新しい名、捨てさせられる元の帰属。神話の教団に入る場面を 書こうとしたとき、参照できる型がここにあります。TRPGのシナリオで探索者が教団に潜入する 手順を組むときにも、この章立てはそのまま使えるはずです。
『金枝篇』とつながっている
もう一つ、2冊が原典の同じ一文に並んでいる理由が見えてきます。この2冊は、互いにつながって いるのです。
マレーが名づけた「ダイアナ教」の神は、イタリアではヤヌスあるいはディアヌス(Dianus)と 呼ばれた二つの顔を持つ男神で、その女性形がディアナだ、と彼女は書いています[1]。
一方、フレイザーの『金枝篇』には「ディアヌスとディアナ」という章があります[3]。 そもそも『金枝篇』全体が、ネミ湖畔のディアナ神殿の祭司職という一点から始まった本でした。
つまりラヴクラフトが教授の参照先として並べた2冊は、同じ神の名を軸に地続きになっている、 当時の比較宗教学の系譜そのものです。教団を「人類学の対象」として書くための語彙が、 ここに揃っていました。
著者について、この本で分かること
マレー自身の説明から拾えるのは、彼女がこの主題を比較宗教学の未開拓地と見ていた、 という一点です。信じる側と否定する側のあいだで、証拠そのものの検討が行われてこなかった。 そこに人類学の手つきを持ち込めば、新しい研究領域が開ける——序論はそう宣言しています[1]。
彼女は自分の仕事の範囲も限定しています。さまざまな信仰が混ざり合った経緯を解きほぐす つもりはない、自分はただ、それが信仰と儀礼と組織を備えた明確な宗教だったと指摘するだけだ、と[1]。 神の姿についても、人・女・動物のいずれにも受肉したとし、動物の形のほうが人の形より 古いらしいと書いています。神がしばしば動物の皮や属性を身につけた姿で語られたからです[1]。
人でも獣でもありうる神、皮をかぶった神格、地下に続く組織。神話の側から読むと、 このあたりの記述はそのまま深きものやダゴン秘密教団の 造形に重なって見えます。ただし因果関係を主張できる材料は手元にありません。 原典が参照先として名を挙げた本に、こう書いてあった——ここまでが事実です。
なぜ「生き延びた古い宗教」が効くのか
この発想が神話にもたらしたものは、恐怖の時間軸です。
新しく現れた邪教なら、摘発すれば終わります。当局が踏み込んで指導者を捕らえれば、それで片がつきます。キリスト教以前から続いていて、いまも各地で 続いているとされた瞬間、その教団は歴史のどこを切っても存在していたことになります。 「クトゥルフの呼び声」でサーストンが集めた資料が、ニューオーリンズの沼地とグリーンランドと 太平洋の船上を同じ線で結んでしまうのは、この前提があるからです。場所も時代も違う断片が、 ひとつの続いてきた信仰の現れとして読める——マレーが魔女裁判の記録に対してやったことと、 サーストンが切り抜きに対してやったことは、手つきとしては同じです。
当サイトの区分で言えば、これは第1層(原典)がその外側から借りてきた枠組みにあたります。 三層のどこにも属さない、実在の学術書という位置です。 神話を読むときに「どこからが創作か」を見分けたいなら、この種の本を知っておく価値があります。
学説としての扱いについて
マレーの魔女宗説は、その後の研究で扱いが変わりました。ここでその評価に立ち入ることはしません。 当サイトが確かめたいのは、1926年のラヴクラフトが手に取れた本として、そこに何が書いてあったかです。 1921年に権威ある大学出版局から出た人類学書に、組織・入信儀礼・定例集会・供犠を備えた 古代宗教の存続が論じられていた——原典の教団描写を読むうえで、必要なのはこの事実です。
全文はProject Gutenbergで公開されています[1]。エインジェル教授が参照したとされる箇所を、 読者も同じように開くことができます。17世紀スコットランドの裁判記録が、当時の綴りのまま 引用されている本です。読み進めると、ラヴクラフトが何を材料にして教団を組み立てたのかが、 かなり具体的に見えてきます。
当サイトの棚卸しでは、実在の書物として次に扱う候補が8冊残っています(ソロモンの鍵、 ゾーハル、易経、エメラルド・タブレット、ノストラダムスの予言集ほか)。この2冊で見たとおり、 実在の本が作中に置かれると、架空の側に重みが移る。その仕組みを1冊ずつ確かめていきます。
出典
- [1] Margaret Alice Murray “The Witch-cult in Western Europe: A Study in Anthropology”
(Oxford at the Clarendon Press, 1921)。序論・第1章の引用、目次、ダイアナ教の定義は Project Gutenberg 公開テキスト(eBook #20411、2026年8月25日確認)による https://www.gutenberg.org/ebooks/20411
- [2] H. P. Lovecraft “The Call of Cthulhu”(1926年執筆/1928年発表)。公式アーカイブ
https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/cc.aspx
- [3] James George Frazer “The Golden Bough”(簡約版)の章立て。Project Gutenberg
公開テキスト(eBook #3623、2026年8月25日確認) https://www.gutenberg.org/ebooks/3623


