概要
エドガー・アラン・ポーは、19世紀前半のアメリカの詩人・小説家・批評家です。当サイトが 扱うのは、ラヴクラフトが彼をどう読み、何を受け取ったと自分で書いているかという一点に絞ります。
材料はラヴクラフト自身の評論『文学における超自然の恐怖』(Supernatural Horror in Literature)です。 全体で約2万8千語のこの評論で、第7章がまるごとポーに充てられています[1]。ラヴクラフトが 一人の作家にこれだけの分量を割いた例は、この評論の中でも際立っています。
「近代の怪奇小説は、その完成形をポーに負っている」
第7章は、1830年代に起きた文学上の夜明けという書き出しで始まります。それは怪奇小説の歴史だけ でなく短編小説全体の歴史に直接影響し、間接的にはヨーロッパの一大美学派の流れまで形作った、と[1]。
ラヴクラフトの評価は明快です。
Poe did that which no one else ever did or could have done; and to him we owe the modern horror-story in its final and perfected state.(訳: ポーは、ほかの誰もしなかった、そしてできなかったことをやった。近代の怪奇小説がその最終的な完成形をもつのは、彼のおかげである)[1]
彼はポーを「近代の悪魔的小説すべての神にして源泉」とまで呼びます[1]。
ポー以前の怪奇小説に何が足りなかったか
同じ章で、ラヴクラフトはポー以前の怪奇作家たちの限界を挙げています。彼らは恐怖が訴えかける 心理的な基盤を理解しないまま、手探りで書いていた。そのうえ、幸福な結末、報われる美徳、 空虚な道徳的教訓、大衆の価値観への迎合といった、中身のない文学的約束事に縛られていた[1]。
これは怪奇小説の話にとどまりません。恐怖を書くとき、作者が何をしてはいけないかの一覧に なっています。
ラヴクラフトが受け取った「超然たる記録者」
そのうえで、ポーが何を見抜いたかをラヴクラフトはこう書きます。
Poe, on the other hand, perceived the essential impersonality of the real artist(訳: 一方ポーは、真の芸術家が本質的に非個人的であることを見抜いていた)[1]
創作の機能は、出来事と感覚をあるがままに表現し解釈することにすぎない。それが何を証明するか、 善か悪か、魅力的か不快か、高揚させるか沈ませるかに関わりなく。作者は常に、教師でも共感者でも 意見の売り手でもなく、生き生きとした、しかし超然とした記録者(a vivid and detached chronicler) として振る舞う——ラヴクラフトはそう要約しています[1]。
この一節は、彼自身の書き方の説明としてそのまま読めます。「クトゥルフの呼び声」の 語り手サーストンは、教団を糾弾しません。新聞記事と警察の記録と航海士の手記を並べて、 読者の前に置くだけです。「インスマスの影」の 語り手も、町の住民を裁こうとはしません。記録者の位置にとどまります。
その位置をどこから得たのかを、ラヴクラフトは評論の中で自分で書き残していたことになります。
「MS. Found in a Bottle」と、南へ吸い寄せられる船
ラヴクラフトが第7章で名を挙げるポー作品のうち、当サイトの読者に効くのは 「壜の中の手記(MS. Found in a Bottle)」でしょう。彼はこう書きます。
波の谷の縁に浮かぶ巨大に膨れ上がった船、その不浄な古さと異常な成長の暗示、目の見えない 白髭の乗員たち、そして南極の夜の氷を突き抜けて全帆で南へ突進していく恐ろしさ。抗いがたい 悪魔的な海流に引かれ、破滅に終わるほかない異形の啓示の渦へと吸い込まれていく—— 誰がこれを忘れられようか[1]。
海に引かれ、南極へ運ばれ、理解の向こう側へ着いてしまう船。この形は、ラヴクラフト自身の 「神殿」(1920年、海図にない南向きの海流に運ばれる潜水艦)にも、 「狂気の山脈にて」の南極行にも、そのまま流れ込んでいます。
「狂気の山脈にて」の中のポー
受け取った側の証拠は、小説の本文にも残っています。「狂気の山脈にて」は、ポーを4回、 「テケリ・リ」を12回登場させます[2]。
語り手は、遠征隊がロス島へ近づく場面で、ポーの唯一の長編である「不穏で謎めいた 『アーサー・ゴードン・ピム』」の南極の場面を思い出しています[2]。同行の大学院生 ダンフォースは「風変わりな読み物の熱心な読者」で、ポーの話をよくしていた人物として 描かれ、エレバス山の溶岩を見て詩の一節を口にします[2]。
そして物語の終盤、白い霧の向こうから聞こえる音について、語り手はこう書きます。 ピムを書いたときポーが接することのできた資料はどんなものだったのか、と前置きしたうえで—— あの幻想的な物語には、南極と結びついた、正体不明だが恐ろしく途方もない意味を持つ言葉が あり、その地域の中心に棲む巨大で亡霊のように白い鳥たちが永遠に叫び続けている。
“Tekeli-li! Tekeli-li!”
自分たちが霧の向こうに聞いたと思ったのは、まさにそれだった、と[2]。
ポーの長編に出てくる叫び声が、1931年に書かれたラヴクラフトの中編で、旧支配者の 追手の声として響く。 一世紀近くをまたいで、一つの言葉が受け渡されています。
しかもラヴクラフトは、この引用を単なる目配せで終わらせていません。語り手は「ピムを書いたとき ポーはどんな資料に触れることができたのか」と問いを立てます[2]。ポーが書いたことは、 実は取材だったのではないかという疑いを、作中の学者に言わせているわけです。先行作品を 引用しながら、その先行作品を自分の世界の資料に変えてしまう手つきになっています。
『ピム』の南極に、何が置かれていたか
「狂気の山脈にて」との関係を見るなら、ラヴクラフトが評論で『アーサー・ゴードン・ピムの物語』を どう要約したかも読んでおく価値があります。
彼はこう書いています。航海者たちはまず、白いものが何ひとつ存在しない南極の奇妙な土地に 着く。そこには殺意に満ちた原住民がおり、巨大な岩の峡谷は、地球の恐るべき原初の秘義を綴る 巨大なエジプト文字の形をしている。その先に、さらに謎めいた領域が広がる。今度は すべてが白い世界で、覆いをかけられた巨人たちと雪のような羽の鳥たちが、 測りしれない天の高みから流れ落ちる霧の滝を守っている[1]。
黒だけの土地から、白だけの土地へ。岩の地形が文字になっている。そして人ならぬ守護者。 「狂気の山脈にて」で遠征隊が越えていく山脈と、その向こうに待っているものの配置は、 この要約とよく似ています。ラヴクラフトはピムの続きを書こうとしたわけではありませんが、 どこへ着く話なのかという骨格は共有しています。
ラヴクラフトが挙げるポーの短編
同じ章で、彼は具体的な作品名を次々に挙げていきます。「壜の中の手記」のほか、 死後7か月にわたって催眠術で保たれ、術が解けた瞬間に「ほとんど液状の、忌まわしい、 おぞましい腐敗の塊」となる「ヴァルドマー氏の症例の真相」[1]。
そして彼が「小説の細密画家としてポーを頂点に置く」と評価するのが、 「リジイア」と「アッシャー家の崩壊」の2編です。とくに後者について、筋立ては単純で まっすぐでありながら、あらゆる些細な出来事の選択と配置に現れる巧みな展開が、 その至高の魔力を支えている、と書いています[1]。
「赤死病の仮面」「沈黙——寓話」「影——たとえ話」については、韻律を除けばあらゆる意味で 詩であり、その力は視覚的な像と同じくらい耳に届く抑揚に負っている、と[1]。
「宇宙的恐慌」という言葉
第7章の中で、ラヴクラフトはポーの詩と散文をまとめてこう言います。
Verses and tales alike sustain the burthen of cosmic panic.(訳: 詩も物語も等しく、宇宙的恐慌という重荷を担っている)[1]
心臓を貫く忌まわしい嘴の鴉、疫病の尖塔で鉄の鐘を鳴らす食屍鬼、黒い10月の夜のユーラリュームの 納骨堂、海の下の衝撃的な尖塔と円蓋、「空間の外、時間の外に、崇高に横たわる荒々しく異様な 気候」——こうしたものが、詩の悪夢の中からこちらを見ている[1]。
コズミックという語を、ラヴクラフトはポーについて使っています。自分の代名詞になった言葉を、 先行者の評価に使っているわけです。「コズミックホラーはラヴクラフトの発明か」という 問いに対して、これは本人からの回答の一つと読めます。
なおラヴクラフトは、手放しで褒めているわけでもありません。ポーの欠点として、深遠で難解な 学識を装ったこと、大げさで無理のある擬似ユーモアの失敗、しばしば辛辣に過ぎた批評的偏見を 挙げ、それらは認めて許されるべきだと書いています[1]。そのうえで、それらを取るに足りないものに してしまうほどの、我々の周りと内側をうろつく恐怖を見る目があった、と続けます[1]。
フランス経由で世界へ広がった
ラヴクラフトは、ポーの影響が英語圏だけで終わらなかったことにも触れています。
ポーの主題の扱いは、フランスの熱心な崇拝者シャルル・ピエール・ボードレールによって 熱心に取り上げられ、支持され、強められた結果、フランスにおける主要な美学運動の核になった。 その意味でポーはデカダン派と象徴派の父でもある——という整理です[1]。
1830〜40年代の不毛なアメリカに、土星の裏側でさえ誇れないような、月に養われた 豪奢な毒キノコの庭が咲いた、という比喩も第7章にあります[1]。ラヴクラフトのポー論は、 評伝でも作品解説でもなく、一人の作家がどこから何を受け取り、それが世界にどう広がったかの 記述になっています。当サイトが神話の三層を追うときの姿勢と、同じ形をしています。
当サイトでの扱い
ポーはクトゥルフ神話の作家ではありません。神格も魔導書も作っていません。それでも 三層の第1層——原典——を読むときに、彼の名前は避けて通れません。 ラヴクラフト本人が、方法をどこから得たかを書き残しているからです。
当サイトにはアンブローズ・ビアス、ロード・ダンセイニ、 ロバート・W・チェンバースといった先行者の記事があります。 ラヴクラフトはこの評論[1]の中で、ビアスに12回、ダンセイニに9回、チェンバースに2回言及しており、 誰の仕事をどう見ていたかを、自分の手で書き残した作家でした。
評論全体[1]は10章立てで、第1章「序論」から始まり、ゴシック小説の系譜を辿ったあと、 第7章でポーを扱い、第8章「アメリカにおける怪奇の伝統」、第9章「英国諸島における怪奇の伝統」、 第10章「現代の巨匠たち」と続きます。ポーはその真ん中に、単独の章として置かれています。 前後を国別・時代別の概観で挟まれた中で、一人だけが章を持っている——この構成自体が、 ラヴクラフトの評価を表しています。 ポーはその列の先頭に立つ人です。ラヴクラフトの評論[1]は彼の登場を「1830年代の文学上の夜明け」と 呼び、その活動期を「1830〜40年代の不毛なアメリカ」と書いています。ラヴクラフトが生まれるより 前の世代であり、二人が同じ時代を生きたことは一度もありません。受け渡されたのは方法だけです。 しかもその受け渡しは、書簡でも師弟関係でもなく、後の世代が本を読むという形で起きました。「コズミックホラーはラヴクラフトの発明か」で 扱った問いに、ラヴクラフト自身が出している答えの一つが、この第7章だと言えます。
出典
- [1] H. P. Lovecraft “Supernatural Horror in Literature”、第7章 “Edgar Allan Poe”。
引用および内容はいずれも公式アーカイブの公開テキストによる(2026年8月25日確認) https://www.hplovecraft.com/writings/texts/essays/shil.aspx
- [2] H. P. Lovecraft “At the Mountains of Madness”(1931年執筆/1936年発表)。ポーへの言及回数、
ダンフォースの描写、「テケリ・リ」の引用箇所は公式アーカイブの公開テキストによる https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/mm.aspx



