蛇人間(サーペントピープル)は、ロバート・E・ハワードが自身の剣と魔法シリーズ「キング・カル」のために創造した、蛇の頭部を持つ人型種族です。ラヴクラフト自身が生み出した種族ではなく、本来クトゥルフ神話とは無関係の独立した創作ですが、ラヴクラフトは後年の自作の中で「ヴァルシア」の地名と「serpent-men」の語を、名だけ挙げる短い言及として複数回用いています(詳細は「原典での描写」参照)。後年の作家たちの手で神話体系に組み込まれました。
概要
蛇人間は、ハワードの短編「影の王国」(原題 The Shadow Kingdom、1929年、Weird Tales誌8月号発表)で初登場します。太古の王国ヴァルシアを舞台に、人間に化けて社会の中枢に潜り込む蛇人間の陰謀を、主人公カル王が暴いていく物語です。ハワード自身の作品世界の中では独立した敵役でしたが、後年リン・カーターやクラーク・アシュトン・スミスらの手によってクトゥルフ神話に組み込まれ、現在では神話の一員として扱われることが一般的です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 初出作品(年) | ロバート・E・ハワード「影の王国」(1929年) |
| 創造者 | ロバート・E・ハワード(クトゥルフ神話への編入は後続作家による) |
| 区分 | 独立種族(原作ではキング・カルシリーズの敵対勢力) |
| 主な居住域 | ヴァルシアをはじめとする太古の地下都市・地底世界 |
| canon層 | 拡張(ハワードの独立創作を、後年クトゥルフ神話へ編入) |
英名 Serpent Men / Serpent People。ハワード作品内では単に「蛇人間(Serpent Men)」「蛇族」と呼ばれ、他に確立した固有の異称は特にありません。
初出作品
蛇人間の初出は、ロバート・E・ハワードの短編「影の王国」(1929年、Weird Tales誌8月号発表)です[1]。太古の王国ヴァルシアを舞台に、人間社会の中枢に人間そっくりの姿で潜り込む蛇人間の陰謀を、主人公カル王が暴いていく物語で、剣と魔法(ソード&ソーサリー)というジャンルそのものの原点の一つともされます。
作中の蛇人間は魔法によって顔を仮面のように覆い隠し、人間そっくりの姿に化けることができるとされますが、正体を暴かれると仮面が溶けるように消え、その下から「怪物めいた蛇の頭」が現れます。胴体は人間とまったく変わらない姿で描かれます[3]。人間に化けた蛇人間を見分ける手段として、「Ka nama kaa lajerama」という言葉が合言葉として用いられます。これは太古、蛇人間と戦った人類の同族だけが発音できる言葉とされ、蛇人間の顎と口の構造ではこれを発音できないためです[4]。
原作の設定では、蛇人間(作中では「蛇族(snake-people)」とも呼ばれます)は人類が地上に現れるよりもはるか以前から地球に君臨していた古い種族とされます。原始の人類との長い戦争の末に敗れ、荒野へ追われて「真の蛇」と交わるようになり、いずれ完全に絶えると賢者たちに語られていましたが、人間が古い伝承を忘れた頃、教団の教師の姿を借りて再び忍び込み、蛇神を崇める新しい宗教を築いたとされます[5]。彼らを生み出したとされる「大いなる蛇」の正体は、ハワードの原典では明言されていません。物語の終盤、カル王は「世界のあらゆる地・あらゆる海から蛇人間を狩り尽くす」ことを誓います[6]。
原典での描写
ロバート・E・ハワード「影の王国」(The Shadow Kingdom、1929年)
蛇人間そのものの姿・生態を描くのはこの作品のみである。内容は上記「初出作品」を参照。
H・P・ラヴクラフト自身の作品での言及
蛇人間そのものを創造したのはハワードだが、ラヴクラフト自身のパブリックドメイン作品にも、地名「ヴァルシア(Valusia)」と語「serpent-men(蛇人間)」への言及が複数回見られる。ただしいずれも他の文脈の中で名だけが挙げられる短い言及であり、蛇人間の姿や生態そのものを描いた記述ではない。
「アロンゾ・タイパーの日記」(ウィリアム・ラムリーとの共作、1935年10月執筆)では、地下から響く未知の轟音を形容する場面で、「太古の爬虫類時代の、今は失われた怪物の咆哮」になぞらえたうえで、「ヴァルシアの蛇人間たちが邪悪な魔道の礎石を据えた」時代を引き合いに出している[7]。
「闇をさまようもの」(1935年11月執筆)では、「輝くトラペゾヘドロン」の来歴を語る一節で、南極の甲殻状生物の遺跡から「ヴァルシアの蛇人間たちによって回収され」、後にレムリアで最初期の人類の目に触れたと記される[8]。
「狂気の山脈にて」(1931年2月-3月22日執筆)では、南極の太古都市を語る場面で、「ヴァルシア」の名が人類以前の忌まわしき都市の一つとして挙げられる[9]。「時間からの影」(1934-35年執筆)では、主人公が交流した太古の精神の一つとして、「かの伝説のヴァルシアの、爬虫類の民」の精神が挙げられている[10]。
なお、「人類以前に地上を支配していた古い種族」というモチーフ自体は、「狂気の山脈にて」で描かれる古のものの設定とも通底するが、これは蛇人間との直接的な結びつきを示す記述ではなく、この時代の怪奇小説にしばしば見られる共通の発想である。
ダーレス以降の変化
ハワードの原典では、蛇人間を生み出したとされる「大いなる蛇」の正体は明言されていません。しかし後年、リン・カーターやクラーク・アシュトン・スミスらの手によってクトゥルフ神話へ組み込まれる過程で、この「大いなる蛇」がラヴクラフト作品の「蛇の祖神」イグと同一視されるようになりました。
この結びつけは、ハワードの独立した創作とラヴクラフトの神話体系という、本来別々の作品世界が後年の作家たちによって橋渡しされた「神話の相互乗り入れ」の代表例です[2]。この編入・再編纂を通じて、蛇人間はイグの眷属・使徒として神話体系に位置づけられるようになりました。原作と拡張設定を読み比べることで、一つの創作物が後年の複数の作家によってどのように「神話化」されていくかという過程そのものを追うことができます。
TRPGでの扱い
クトゥルフ神話TRPGのシナリオや設定資料集では、蛇人間はイグを奉じる信者集団として、あるいは独自の魔術文明を築く敵対勢力として登場することが多く、変身・幻術・毒といった能力が付与されるのが一般的です。ただしこれらの能力設定はゲームシステム側の追加であり、ハワードの原作に由来するものではない点には注意が必要です。
登場作品一覧
| 作品 | 年 | 作者 | この作品が足したもの |
|---|---|---|---|
| 影の王国 | 1929 | ロバート・E・ハワード | 蛇人間そのものの創造。人間に化ける能力と「Ka nama kaa lajerama」の弱点[1] |
| クトゥルフ神話への編入 | 不明 | リン・カーター、クラーク・アシュトン・スミスら | 「大いなる蛇」とイグの同一視。神話体系への位置づけ[2] |
| クトゥルフ神話TRPG関連資料 | 不明 | ケイオシアム社(編) | イグの信者・眷属としての設定、変身・幻術・毒の能力 |
年が特定できない項目は「不明」としています。
関連神格・地域・書物
神格・種族
- イグ — 蛇人間を生み出したとされる「大いなる蛇」と、後年の作家によって同一視された神格[2]
- 古のもの — 「人類以前に地上を支配していた古い種族」というモチーフ上の類似が指摘されるが、蛇人間との直接的な関係は確認されていません
人物
- ロバート・E・ハワード — 蛇人間の創造者
- リン・カーター / クラーク・アシュトン・スミス — クトゥルフ神話への編入を行った後続作家
書物
出典
- [1] 蛇人間はロバート・E・ハワードが「The Shadow Kingdom」(1929年、Weird Tales誌8月号)のために創造した種族であり、ラヴクラフト自身が創造した種族ではない — Robert E. Howard, “The Shadow Kingdom”, Weird Tales v14 n2, 1929年8月, archive.org ↩ ↩
- [2] 蛇人間とイグの結びつけは、ハワードの独立した創作と後続作家の設定が後から結びつけられた「神話の相互乗り入れ」の例である — 本サイト内「イグ」参照 ↩ ↩
- [3] “Then, like a fading mask of fog, the face suddenly vanished and in its stead gaped and leered a monstrous serpent’s head! … Save for the reptilian head, the thing was the exact counterpart of a man.”(訳: 「まるで霧の仮面が薄れるように、その顔は不意に消え去り、代わって怪物めいた蛇の頭が現れ、あざ笑うように牙を剥いた……爬虫類の頭部を除けば、それは寸分違わぬ人間の姿をしていた」) — Robert E. Howard, “The Shadow Kingdom”, Weird Tales v14 n2, 1929年8月, archive.org ↩
- [4] “…for none but a real man of men may speak them, whose jaws and mouth are shaped different from any other creature.”(訳: 「……真の人間の一族でなければこれを発音できない。他のいかなる生物とも異なる形をした顎と口を持つ者だけがこれを口にできるのだ」) — 同上, archive.org ↩
- [5] “The snake-people were the last to go, yet at last men conquered even them and drove them forth into the waste lands of the world, there to mate with true snakes until some day, say the sages, the horrid breed shall vanish utterly. Yet the Things returned in crafty guise as men grew soft and degenerate…”(訳: 「蛇族は最後まで残った者たちだったが、ついに人間はこれをも征服し、世界の荒れ地へと追いやった。彼らはそこで真の蛇と交わり、賢者たちの言によれば、いつか完全に絶えるはずだという。だが人間が軟弱に、堕落していくにつれ、かの者たちは狡猾な姿を借りて再び戻ってきた……」) — 同上, archive.org ↩
- [6] “I shall hunt the serpent-men from land to land, from sea to sea, giving no rest until all be slain, that good triumph and the power of Hell be broken.”(訳: 「善が勝利しあの魔の力が打ち砕かれるまで、私はあらゆる地、あらゆる海をめぐって蛇人間を狩り、休む間も与えぬと誓う」) — 同上, archive.org ↩
- [7] “…when primal horrors roamed the earth, and Valusia’s serpent-men laid the foundation-stones of evil magic.”(訳: 「……太古の恐怖が地上を跋扈し、ヴァルシアの蛇人間たちが邪悪な魔道の礎石を据えたあの時代」) — H. P. Lovecraft for William Lumley, “The Diary of Alonzo Typer”(1935年10月執筆), 公式アーカイブ ↩
- [8] “…salvaged from their ruins by the serpent-men of Valusia, and peered at aeons later in Lemuria by the first human beings.”(訳: 「……その廃墟からヴァルシアの蛇人間たちによって回収され、はるかのちにレムリアで最初期の人類の目に触れた」) — H. P. Lovecraft, “The Haunter of the Dark”(1935年11月執筆), 公式アーカイブ ↩
- [9] “a megalopolis ranking with such whispered pre-human blasphemies as Valusia”(訳: 「ヴァルシアのような、囁かれる前人類への冒とくに列する巨大都市」) — H. P. Lovecraft, “At the Mountains of Madness”(1931年2月-3月22日執筆), 公式アーカイブ ↩
- [10] “one from the reptile people of fabled Valusia”(訳: 「かの伝説のヴァルシアの、爬虫類の民の一つ」) — H. P. Lovecraft, “The Shadow out of Time”(1934-35年執筆), 公式アーカイブ ↩
FAQ
Q. 蛇人間はラヴクラフト自身が生み出したクトゥルフ神話の存在ですか?A. いいえ。蛇人間はロバート・E・ハワードが「影の王国」(1929年)のために創造した、本来キング・カルシリーズ専用の種族です[1]。ただしラヴクラフト自身も後年の自作の中で、地名「ヴァルシア」と語「serpent-men」を名だけ挙げる形で複数回用いています(「原典での描写」参照)。クトゥルフ神話への本格的な編入はリン・カーターらの後続作家によるものです。
Q. 蛇人間を生み出した「大いなる蛇」の正体はイグですか?A. ハワードの原典では「大いなる蛇」の正体は明言されていません。これをラヴクラフト作品のイグと同一視したのは、後年のリン・カーターやクラーク・アシュトン・スミスらです[2]。
Q. TRPGで蛇人間が使う変身・幻術・毒の能力は、ハワードの原作に基づくものですか?A. いいえ。これらはクトゥルフ神話TRPGのゲームシステム側で追加された設定であり、ハワードの原作には登場しません。原作にある固有の弱点は、「Ka nama kaa lajerama」という言葉を発音できないことです。



