概要
『無名祭祀書(Unaussprechlichen Kulten)』は、ドイツの秘学者フリードリヒ・フォン・ユンツトが著したとされる魔道書です。原版は黒い革表紙と錆びた鉄の留め金を持ち、「黒の書(Black Book)」とも呼ばれます[1]。
ネクロノミコンに次ぐ知名度を持つ神話の禁書ですが、この本には他の魔道書にない特徴があります。版の違いが、原典の本文に書き込まれているという点です。1839年の原版、1845年のロンドン海賊訳、1909年の削除版。三つの版がそれぞれ別物として扱われ、どれを読んだかで登場人物の知り得た内容が変わります。
この記事では、その三つの版をまとめて扱います。
原典のどこに出てくるか
ラヴクラフト本人の小説では、4作に書名が出ます。いずれも禁書の並びの一項目としてです。
- 「魔女の家の夢」(1932年1月〜2月28日執筆) — ネクロノミコン、エイボンの書と並べて[3]
- 「戸口に現れたもの」(1933年8月21〜24日執筆) — エドワード・ダービーが読んだ本として[3]
- 「時間からの影」(1934年11月〜1935年3月執筆) — 欄外の書き込みが残る本として[3]
- 「闇をさまようもの」(1935年11月執筆) —廃教会の書架に並ぶ一冊として[3]
さらに、ヘイゼル・ヒールドのための代作2作にも出ます。「博物館の恐怖」(1932年10月執筆)と「永劫より」(1933年執筆)で、後者はこの本の版の履歴を語る場面を持っています[2]。
生みの親はラヴクラフトではない
この書物を創ったのはロバート・E・ハワード、『英雄コナン』の作者です。初出は短編「黒の碑(The Black Stone)」(1931年発表)[1]。冒頭がこう始まります。
I read of it first in the strange book of Von Junzt, the German eccentric who lived so curiously and died in such grisly and mysterious fashion.(訳: 私がそれについて最初に読んだのは、フォン・ユンツトの奇妙な書物の中でだった。奇怪な生き方をし、身の毛もよだつ謎めいた死を遂げた、あのドイツの奇人である)[1]
ラヴクラフトとハワードは文通仲間で、互いの創作物を自作へ持ち込んでいました。当サイトの神話の三層では、この関係も含めてラヴクラフト生前(〜1937年)の作品を原典層として扱います。無名祭祀書は、ラヴクラフト本人の発明ではありませんが、原典層の書物です。
何が書かれている本なのか
ハワードの記述によれば、本の大半はフォン・ユンツトが「自分の時代にも実在する」と主張した教団と、その崇拝対象についての記録です[1]。章ごとの調子は一定しません。
in the chapters of the Black Book, which range from startling clarity of exposition to murky ambiguity, there are statements and hints to freeze the blood of a thinking man(訳: 黒の書の各章は、驚くほど明晰な説明から濁った曖昧さまで幅があり、そこには物を考える人間の血を凍らせる記述と示唆がある)[1]
そして、この本をめぐっていちばんよく引かれる一文が続きます。
Reading what Von Junzt _dared_ put in print arouses uneasy speculations as to what it was that he dared _not_ tell.(訳: フォン・ユンツトがあえて活字にしたものを読むと、彼があえて語らなかったことは何だったのかという、落ち着かない憶測が湧いてくる)[1]
書かれていることより、書かれなかったことのほうが恐ろしい。魔道書の紹介の仕方として、ここは繰り返し引用されてきました。
三つの版
版の履歴は、ハワードが「黒の碑」の第2段落で一息に書いています。
It was my fortune to have access to his Nameless Cults in the original edition, the so-called Black Book, published in Dusseldorf in 1839, shortly before a hounding doom overtook the author. Collectors of rare literature were familiar with Nameless Cults mainly through the cheap and faulty translation which was pirated in London by Bridewall in 1845, and the carefully expurgated edition put out by the Golden Goblin Press of New York, 1909.(訳: 私は幸運にも、彼の『無名祭祀書』の原版——いわゆる黒の書、1839年にデュッセルドルフで、著者に破滅が追い迫る直前に刊行されたもの——を手に取ることができた。稀覯書の収集家が『無名祭祀書』を知るのは、たいてい1845年にロンドンでブライドウォールによって海賊出版された安価で不正確な翻訳か、ニューヨークのゴールデン・ゴブリン社が1909年に出した入念に削除を施した版を通じてである)[1]
整理すると、こうなります。
| 版 | 年 | 場所・版元 | 性格 |
|---|---|---|---|
| 原版(黒の書) | 1839年 | デュッセルドルフ | ドイツ語。現存はごく僅か |
| 海賊訳 | 1845年 | ロンドン、ブライドウォール | 安価で不正確な英訳 |
| 削除版 | 1909年 | ニューヨーク、ゴールデン・ゴブリン社 | 入念に削除を施した再版 |
原版が稀少なのには理由があります。もともと発行部数が少なかったうえ、著者の死にざまが伝わると、所有者の多くが恐慌をきたして自分の本を焼いた[1]。そのため語り手は「今日この世界に、そういう本は半ダースとないのではないか」と述べています[1]。
1909年版が「入念に削除を施した」ものだという点も効いています。作中では、どの版を読んだかで到達できる知識が変わります。削除版しか読んでいない人物は、肝心な箇所を知らないままです。
訳者の名前が、二つの綴りで伝わっている
1845年版の海賊出版者について、二つの一次資料が違う綴りを伝えています。
- ハワード「黒の碑」(1931年): Bridewall[1]
- ラヴクラフト&ヒールド「永劫より」(1933年): Bridewell[2]
copies having been incredibly scarce in the interval between the suppression of the original Düsseldorf edition (1839) and of the Bridewell translation (1845) and the publication of the expurgated reprint by the Golden Goblin Press in 1909(訳: 1839年のデュッセルドルフ原版と1845年のブライドウェル訳が発禁になってから、1909年のゴールデン・ゴブリン社による削除再版が出るまでのあいだ、写しは信じがたいほど稀少だった)[2]
どちらが正しいという話ではありません。創作者本人の綴りがハワードの Bridewall、2年後にラヴクラフトが書いた形が Bridewell です。当サイトは、それぞれの出典の表記をそのまま示します。日本語表記は原著者に合わせて「ブライドウォール」を採ります。
なお「永劫より」は原版が1839年、著者の死が1840年、つまり刊行の1年後だと明記しています[2]。ハワードの「破滅が追い迫る直前」と食い違いません。
フォン・ユンツトの生涯と死
著者についても、ハワードは具体的に書いています。
Von Junzt spent his entire life (1795-1840) delving into forbidden subjects; he traveled in all parts of the world, gained entrance into innumerable secret societies, and read countless little-known and esoteric books and manuscripts in the original(訳: フォン・ユンツトはその生涯(1795-1840)を、禁じられた主題の探求に費やした。世界のあらゆる地域を旅し、数え切れぬ秘密結社への入会を果たし、ほとんど知られていない秘教的な書物や写本を無数に原語で読んだ)[1]
死に方は、この本の評判そのものになりました。彼は施錠され閂のかかった部屋で、喉に鉤爪の跡を残して死んでいるのが見つかります。死の直前まで数か月書き続けていた未刊の原稿は、床一面に破り散らされていました[1]。
その後日談があります。親友のフランス人アレクシス・ラドーが一晩かけて断片を継ぎ合わせ、書かれていたものを読み、それを灰になるまで焼いてから、剃刀で自分の喉を掻き切った[1]。何が書かれていたのかは、永久に分かりません。
ラヴクラフトはこの本をどう使ったか
ラヴクラフト本人の4作を並べると、使い方が一定しているのが見えます。
「魔女の家の夢」では、ギルマンが大学図書館の施錠された書庫で「ネクロノミコン、エイボンの書の断片、そして発禁の無名祭祀書」から手がかりを得ます[3]。「時間からの影」では、語り手が自分でも覚えのない期間に読んだ証拠として、欄外の書き込みが残る本の一覧に混じります[3]。
常に、単独では出てきません。ネクロノミコンとエイボンの書と一緒に、3冊か5冊の並びの一項目として置かれます。ジャーンの書やゾーハルの記事で見たのと同じ、書名の目録という手つきです。
違うのは、この本には版の履歴という奥行きがあることです。目録の一行として置かれても、読者が「黒の書」「1845年の海賊訳」「1909年の削除版」を知っていれば、その一行の背後に稀覯書の市場と焼かれた蔵書が立ち上がります。ハワードが最初の一作で版の履歴まで作り込んだことが、後から効いています。
三層のどこに属するか
原典層(1917-1937) — ハワード「黒の碑」(1931年発表)が初出[1]。ラヴクラフト本人の小説4作(1932年・1933年・1934-35年・1935年)と、ヒールドのための代作2作(1932年・1933年)に書名があります[2][3]。1845年版と1909年版も、この層で書かれています。 後付けの設定ではありません。
ダーレス以降の拡張層(1939-) — 当サイトでは未確認です。資料に当たっていないので、ここは空欄のままにします。
TRPG層(1981-) — Chaosiumが公開している『クトゥルフ神話TRPG』第7版キーパー・ルールブックの公式索引には、”Nameless Cults (1845) 229″ と “Nameless Cults (1909) 230” が別項目として載っています[4]。ゲーム側は、版ごとに別のデータを与える形で原典の設定を引き継ぎました。なお索引には1839年の原版に対応する項目が見当たらず、”Al Azif 230″ のような原語版の扱いとはそろっていません。
出典
- [1] Robert E. Howard “The Black Stone”(1931年発表)。原版・1845年版・1909年版の記述、フォン・ユンツトの生没年と死の状況、アレクシス・ラドーの後日談、本の中身と体裁に関する引用はいずれも Project Gutenberg Australia の公開テキストによる(2026年9月4日確認)https://gutenberg.net.au/ebooks06/0601711.txt
- [2] H. P. Lovecraft and Hazel Heald “Out of the Aeons”(1933年執筆)。版の履歴の引用、”Black Book or Nameless Cults” の呼称、フォン・ユンツトの死が刊行の1年後であることは、公式アーカイブの公開テキストと同サイトの小説年表によるhttps://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/oa.aspx
- [3] H. P. Lovecraft “The Dreams in the Witch House”(1932年1月〜2月28日執筆)、”The Thing on the Doorstep”(1933年8月21〜24日執筆)、”The Shadow out of Time”(1934年11月〜1935年3月執筆)、”The Haunter of the Dark”(1935年11月執筆)。書名の登場箇所と執筆時期は、公式アーカイブの公開テキストと同サイトの小説年表によるhttps://www.hplovecraft.com/writings/fiction/
- [4] Chaosium “Call of Cthulhu 7th Edition Index for Keepers and Investigators”(版元公式の無償配布PDF、2026年9月3日取得)。”Nameless Cults (1845)” と “Nameless Cults (1909)” が別項目で載っていることは、同PDFによるhttps://www.chaosium.com/content/FreePDFs/CoC%207/Call%20of%20Cthulhu%207th%20Edition%20Index%20for%20Keepers%20and%20Investigators.pdf

