編集部注(拡張神話): 本記事が扱う『クタート・アクアディンゲン』は、H・P・ラヴクラフト存命期のパブリックドメイン原典には登場しません。イギリスの作家ブライアン・ラムレイが1968年に発表した短編で登場させた魔道書で、後年の拡張神話に属します。同作は現時点でパブリックドメインではないため、本記事は原文からの引用を行わず、書誌情報と公式資料で確認できる事実で構成しています。
概要
『クタート・アクアディンゲン(Cthäat Aquadingen)』は、イギリスの作家ブライアン・ラムレイ(Brian Lumley)が創造した架空の魔道書である。水に関わる存在——深きものども、海に沈む神々、水底に潜む種族——を扱う書物として設定され、ネクロノミコンのように神話全体を覆う総合的な魔道書とは性格が違う。
ラヴクラフト自身の作品には一度も登場しない。ラヴクラフトの没後31年に書かれた、後続作家による追加である。
基本プロフィール
- 分類: 魔道書
- 欧文表記: Cthäat Aquadingen(ウムラウト付きの ä を含む)
- 創造した作家: ブライアン・ラムレイ(1937年- )。東京創元社の著者紹介によれば、イギリス・ダーハム郡生まれで、職業軍人として勤めるかたわら小説を書いた[1]
- 初出: 短編「The Cyprus Shell」。1968年夏、アーカム・ハウスの雑誌『The Arkham Collector』[2]
- 所属する層: 拡張神話(ラヴクラフト原典には登場しない)
初出作品での描かれ方
初出は1971年ではなく1968年
この魔道書の初出については、当サイトの旧版の記述が誤っていた。旧版は「1971年の短編『The Cyprus Shell』に初めて登場した」と書いていたが、ISFDBの書誌をたどると、この短編が最初に載ったのは 1968年夏の『The Arkham Collector』 である[2]。
『The Arkham Collector』は、オーガスト・ダーレスが編集したアーカム・ハウスの小型雑誌で、1968年夏号は36ページ、定価0.50ドルのダイジェスト判だった[2]。1971年という年は、この短編が単行本に入った年である。同じ年に2つの本へ収められている[2]。
| 収録先 | 刊行 | 形態 | 備考 |
|---|---|---|---|
| The Arkham Collector, Summer 1968 | 1968年 | ダイジェスト判・36ページ・0.50ドル | 初出。編集はAugust Derleth[2] |
| The Arkham Collector, Vol. 1 | 1971年 | ハードカバー・348ページ・10ドル | 雑誌の合本[2] |
| The Caller of the Black | 1971年 | ハードカバー・235ページ・5ドル | ラムレイの第一作品集。表紙はHerb Arnold[2] |
「1971年」という年がラムレイの第一作品集の年であるために、短編の初出年と取り違えられやすい。当サイトも取り違えていた。
日本語で読む
この第一作品集は日本語版がある。国立国会図書館の書誌によれば、国書刊行会の「アーカム・ハウス叢書」から 『黒の召喚者』(1986年7月、296ページ、朝松健訳)として刊行された[3]。東京創元社も、ラムレイの著者紹介で短編集として『黒の召喚者』を挙げている[1]。
「The Cyprus Shell」自体は、フランス語(1986年、”Le coquillage de Chypre”)とドイツ語(2011年、”Die Muschel aus Zypern”)にも訳されている[2]。
ラヴクラフト作品での言及
言及は一切ない。 ラヴクラフト(1890-1937)のどの作品にも、この書名は現れない。
魔道書という仕掛けそのものはラヴクラフトの発明だが、その枠に新しい書名を足していったのは後続の作家たちである。ラムレイはその一人にあたる。
当サイトの神話の三層でいえば、『クタート・アクアディンゲン』は第1層(ラヴクラフト原典、1917-1937)ではなく、第2層(ダーレス以降の拡張、1939-)に属する。判定の基準は著者ではなく 発表がラヴクラフトの没年1937年より後かどうか であり、1968年の本作は明確に第2層である。
性質と影響
TRPGでの扱い——公式ルールブックに2つの版が載る
ケイオシアムが公開している『クトゥルフの呼び声』第7版ルールブックの公式索引には、この魔道書が 2行 で載っている[4]。
- Cthaat Aquadingen (English) …… 227ページ
- Cthaat Aquadingen (Latin) …… 227ページ
英語版とラテン語版が別項目として立てられている。同じ扱いを受けているのはネクロノミコン(英語版・ギリシア語版・ラテン語版の3行、230ページ)くらいで[4]、原典由来の他の魔道書は1行ずつしかない。
| 魔道書 | 索引の行数 | 出自 |
|---|---|---|
| Necronomicon | 3(英・希・羅) | ラヴクラフト原典 |
| Cthaat Aquadingen | 2(英・羅) | ブライアン・ラムレイ(1968年) |
| Book of Eibon, The | 1 | クラーク・アシュトン・スミス |
| Unaussprechlichen Kulten | 1 | ロバート・E・ハワード |
| Pnakotic Manuscripts | 1 | ラヴクラフト原典 |
| Ponape Scripture | 1 | リン・カーター |
索引は版ごとに行を立てる形式になっており、同じ書名でも言語の違う写本は別の項目として扱われている。この形式で複数行を与えられているのは、索引全体でも『ネクロノミコン』と『クタート・アクアディンゲン』の2つだけである[4]。
ちなみに『ネクロノミコン』については、索引に「Necronomicon, History 231-232」という項目も立っている[4]。ルールブックが2ページを割いてこの魔道書の来歴を説明していることになる。原典の魔道書には歴史の記述があり、後発の魔道書には版の区別がある——ケイオシアムが両者をどう扱い分けているかが、索引の構造から読み取れる。
ラムレイが神話に足したもの
ラムレイは、この魔道書だけを作って終わった書き手ではない。東京創元社の著者紹介によれば、代表作は〈タイタス・クロウ・サーガ〉で、日本語版は『地を穿つ魔』『タイタス・クロウの帰還』『幻夢の時計』『風神の邪教』『ボレアの妖月』『旧神郷エリシア』の6冊として刊行されている[1]。ほかに Necroscope Series、The Primal Land Series、The Dreamlands Series を挙げる[1]。
このサーガで書かれた異次元エリュシアも、同じ作家の仕事である。アーカム・ハウスの雑誌に短編を載せるところから始まり、旧神の棲む楽園を書く長編連作にまで広がった——その出発点の近くに、この魔道書がある。
ダーレスの版元が入口だった
1960年代に神話へ加わった書き手たちは、多くが同じ扉から入っている。オーガスト・ダーレスがラヴクラフトの本を出すために作った版元、アーカム・ハウスである。
| 作家 | 入口 | 年 |
|---|---|---|
| ラムジー・キャンベル | ダーレス編のアンソロジー『Dark Mind, Dark Heart』に「The Church in High Street」が載る[5] | 1962年 |
| ラムジー・キャンベル | 第一作品集『The Inhabitant of the Lake and Less Welcome Tenants』(アーカム・ハウス)[5] | 1964年 |
| ブライアン・ラムレイ | ダーレス編の雑誌『The Arkham Collector』に「The Cyprus Shell」が載る[2] | 1968年 |
| ブライアン・ラムレイ | 第一作品集『The Caller of the Black』(アーカム・ハウス)[2] | 1971年 |
新しい魔道書も新しい神格も、ダーレスが開けた扉の内側で増えていった。キャンベルには『悪魔の啓示』が、ラムレイには『クタート・アクアディンゲン』がある。二人とも、最初の本をアーカム・ハウスから出している。
この構図は、当サイトが層を分けて記録している理由にも関わる。第2層(ダーレス以降)の広がりは、個々の作家がばらばらに足したものではなく、一つの版元を経由して束ねられていた。日本語でも、国書刊行会が「アーカム・ハウス叢書」という叢書名でこの流れをそのまま移している[3]。
「水の魔道書」という位置づけ
神話の魔道書は、ふつう主題で分かれていない。『ネクロノミコン』も『エイボンの書』も、扱う範囲は限定されていない。
そのなかで『クタート・アクアディンゲン』は、水という一点に寄せて設定された数少ない魔道書である。ラムレイ作品の舞台がイギリスの海辺や地中海へ広がっていることと、この主題は無関係ではない。初出作の題も「The Cyprus Shell」——キプロスの貝殻である[2]。
関連する用語
- ネクロノミコン — ラヴクラフト原典の魔道書。比較の基準になる
- エイボンの書 — ラヴクラフトの文通仲間が作った魔道書
- エリュシア — 同じラムレイが書いた異次元
- 神話の三層 — 原典・拡張・TRPGの層の分け方
出典
- [1] 東京創元社の商品ページ『旧神郷エリシア 邪神王クトゥルー煌臨!』(該当ページ)の著者紹介。「1937年イギリス・ダーハム郡生まれ。職業軍人として勤めるかたわら、小説を執筆する。代表シリーズに〈タイタス・クロウ・サーガ〉(『地を穿つ魔』『タイタス・クロウの帰還』『幻夢の時計』『風神の邪教』『ボレアの妖月』『旧神郷エリシア』)、Necroscope Series、The Primal Land Series、The Dreamlands Seriesなど、短編集に『黒の召喚者』『タイタス・クロウの事件簿』がある」(2026年9月15日確認)。 ↩
- [2] ISFDB(Internet Speculative Fiction Database)の書誌検索結果「The Cyprus Shell」(検索結果)。収録先として『The Arkham Collector, Summer 1968』(1968年、編:August Derleth、Arkham House、36ページ、0.50ドル、ダイジェスト判)・『The Arkham Collector, Vol. 1』(1971年、Arkham House、348ページ、10ドル、ハードカバー)・『The Caller of the Black』(1971年、Brian Lumley、Arkham House、235ページ、5ドル、ハードカバー、表紙 Herb Arnold)が挙がること、および翻訳として1986年のフランス語版「Le coquillage de Chypre」(訳:Jean-Daniel Brèque)・2011年のドイツ語版「Die Muschel aus Zypern」(訳:Alexander Amberg)が登録されていることを確認した。ISFDBは利用者が編集する書誌データベースのため、当サイトでは書誌的事実(刊行年・版元・収録先)の確認にのみ使用している(2026年9月15日確認)。 ↩
- [3] 国立国会図書館サーチ 書誌『黒の召喚者』(該当ページ)。国書刊行会、1986年7月、296ページ、シリーズ名「アーカム・ハウス叢書」、責任表示「ブライアン・ラムレイ 著,朝松健 訳」(2026年9月15日確認)。 ↩
- [4] Chaosium公式の無料配布資料『Call of Cthulhu 7th Edition Index for Keepers and Investigators』(該当PDF)。索引に「Cthaat Aquadingen (English) 227」「Cthaat Aquadingen (Latin) 227」「Necronomicon (English) 230」「Necronomicon (Greek) 230」「Necronomicon (Latin) 230」「Book of Eibon, The 226」「Unaussprechlichen Kulten 229」「Pnakotic Manuscripts 233」「Ponape Scripture 233」が並ぶことを確認した(2026年9月15日確認)。 ↩
- [5] SF Encyclopedia「Campbell, Ramsey」(2026年7月27日更新、該当ページ)。1962年のアンソロジー『Dark Mind, Dark Heart』(編:August Derleth)収録の「The Church in High Street」が商業デビューであること、第一作品集『The Inhabitant of the Lake and Less Welcome Tenants』(1964年)を確認した(2026年9月15日確認)。 ↩

