概要
『Fate/Grand Order』(以下FGO)は、実在・伝承上の人物を「サーヴァント」として召喚し戦わせるスマートフォン向けRPGである。基本システム自体はクトゥルフ神話と一切関係がないが、第1.5部「セイレム」を中心に、一部のシナリオ・キャラクターの元ネタや台詞にクトゥルフ神話由来の要素が組み込まれている。作中でクトゥルフ神話や個々の神格の名が明言されることは基本的になく、固有名詞を避けた婉曲的な表現で示唆されるにとどまる。本項は、その婉曲表現が原典・後世設定・TRPG設定のどれに対応するかを明らかにし、FGO独自の脚色との境界を示すことを目的とする。
検証済みの対応関係
アビゲイル・ウィリアムズ(第1.5部「セイレム」)── ヨグ=ソトース
実際の宝具台詞には「我が腹に、銀の鍵あり」「窮極の門へと至らん」といった一節が含まれる(サーヴァント名・宝具名はゲーム側の固有名で、以下は要旨)。この設定は、H・P・ラヴクラフト&E・ホフマン・プライス「銀の鍵の門を越えて」(1934年)の記述と高い精度で対応する。同作に登場する「銀の鍵」は、原文で「a heavy key of tarnished silver—nearly five inches long」(約13cm弱の、変色した重い銀の鍵)と描写され[1]、この鍵で開く「窮極の門(the Ultimate Gate)」の先を導く者は、原文で「’UMR AT-TAWIL, the Most Ancient One」(祖の長命者)と呼ばれる[2]。門の彼方で明かされる正体は、原文で「Yog-Sothoth」と名指しされている[3]。
FGOオリジナルの要素: 「銀の鍵」を体内に宿す能力を持つキャラクター造形、および同作の宝具名に見られるカバラ用語「クリフォト」との結合はFGO独自の脚色であり、原典・TRPGいずれにも先行する設定はない。また「セイレム編」全体は、ラヴクラフト作品の登場人物ランドルフ・カーター(FGOにもキャラクターとして実装)が事件を裏で主導する筋立てに再構成されており、原典での彼の立ち位置(探求者・語り手)とは異なる役回りが与えられている。
水着BB(2018年夏イベント)── ニャルラトホテプ
「顔のない月」の異名や、燃える三眼・闇を彷徨うものを思わせる特徴を持つ存在として描かれる。詳細はニャルラトホテプの記事内「後世の展開・大衆文化」を参照。作中でニャルラトホテプの名が明言されることはない。
プレラーティ(ジル・ド・レェの令呪保持者として登場、宝具「ルルイエ異本」)
FGOに登場する「ルルイエ異本」という魔導書名は、ラヴクラフト自身の作品には存在しない。この名称・設定は、オーガスト・ダーレスの短編「ハスターの帰還」(1939年3月、Weird Tales誌初出)で創造された「R’lyeh Text」に由来する[4]。ダーレス作品ではアジア内陸部から得られた、人皮で装丁された稀覯本として登場し、後にリン・カーターの一連の作品にも引き継がれた。ラヴクラフトの原典ではなく、ダーレス以降(canon_layer: extended)の設定が、さらにFGO側で(架空の中国由来説、15世紀イタリア人プレラーティによる翻訳、など)重ねて脚色されたものである。なお『Fate/Zero』アニメ版では、原語は中国語で書かれ後にイタリア語へ「プレラーティのスペルブック」として翻訳された、という設定でジル・ド・レェが所有し、クトゥルフの化身とされる怪物の召喚に用いる、とされている。
参考情報(未検証・要裏取り)
以下はFGO考察系動画等で言及される対応関係だが、本サイトでは原典・TRPG側の一次資料までは裏取りできていない。参考情報として記載するにとどめ、確定した事実としては扱わない。
- 葛飾北斎(体験クエスト)/楊貴妃(第1.5部ノーチラス編)とクトゥグアの関連: 両キャラクターの召喚・宝具演出に「フォーマルハウト近くの暗黒星コルバズ」への言及があるとされる。この設定自体はダーレス「闇に棲みつくもの」(1944年)由来とされることが多いが、当該作品の原文で「コルバズ」の語が実際に使われているかは今回未確認
- ヴァン・ゴッホ(2020年ハロウィンイベント): 終盤の黒幕「花の邪心」が、リン・カーターの創造した外なる神ブループーム(ヨグ=ソトースの息子とされる)がモデルとされる
- ジャック・ザ・リッパー(2021年ハロウィンイベント): シュブ=ニグラスの降臨を目論む筋書きとされる
- エウクレイデス(ネームレス): ハスターの眷属ビアーキー召喚呪文、および黄色の印を思わせる幾何学紋様への言及があるとされる
- ネモ(第1.5部ノーチラス編): 「星の戦士」(ダーレスが後年追加した旧神側の存在)との類似がファンの間で考察されている
まとめ
FGOは対局こそクトゥルフ神話と無関係だが、第1.5部「セイレム」を中心に複数のキャラクター・エピソードへ神話由来の要素を組み込んでいる。いずれも固有名詞を明言しない婉曲的な引用にとどめられており、これは実在の人物・伝承を扱う”Fate”世界観と、架空の神話体系であるクトゥルフ神話との折衷を図った結果とみられる。また、対応関係の多くはラヴクラフト自身の原典よりも、オーガスト・ダーレス以降やTRPGで追加された後世設定に由来する点に注意が必要である。
出典
- [1] “He fumblingly laid on the table, with his large, white-mittened hand, a heavy key of tarnished silver – nearly five inches long, of unknown and utterly exotic workmanship, and covered from end to end with hieroglyphs of the most bizarre description.”(訳: 「彼は大きな白い手袋をはめた手で、変色した銀でできた重い鍵——長さおよそ5インチ、正体不明のまったく異国風の細工が施され、端から端まで最も奇怪な象形文字で覆われた鍵を、おぼつかない手つきでテーブルに置いた」) — H. P. Lovecraft & E. Hoffmann Price, “Through the Gates of the Silver Key”(1934年), Wikisource ↩
- [2] “For He is ‘UMR AT-TAWIL, the Most Ancient One, which the scribe rendereth as THE PROLONGED OF LIFE… HE WHO guardeth the Gateway: HE WHO will guide the rash one beyond all the worlds into the Abyss of unnamable devourers.”(訳: 「彼こそは”ウムル・アト=タウィル”、最も古き者にして、書記が『長命なる者』と訳した存在である……彼は門を守護する者、軽率なる者をあらゆる世界の彼方、名状しがたき貪り喰らう者どもの深淵へと導く者である」) — 同上, Wikisource ↩
- [3] “It was perhaps that which certain secret cults of Earth had whispered of as Yog-Sothoth, and which has been a deity under other names.”(訳: 「それはおそらく、地球のある秘密教団がヨグ=ソトースとして囁いてきたものであり、他の名の下では別の神格ともされてきた存在であった」) — 同上, Wikisource ↩
- [4] “The R’lyeh Text is a fictional grimoire created by August Derleth. It first appeared in his short story ‘The Return of Hastur'(1939年3月, Weird Tales)”(訳: 「R’lyeh Textはオーガスト・ダーレスが創造した架空の魔導書である。初出は彼の短編『ハスターの帰還』(1939年3月、Weird Tales誌)」) — R’lyeh Text | The H.P. Lovecraft Wiki(二次資料の要約。ダーレス作品自体はパブリックドメインではないため、原文の直接引用は行わない。ラヴクラフト自身の作品にこの語は登場しない) ↩



