概要
ロマールは、ラヴクラフト「北極星」(ポラリス)の語り手が夢の中で自らの母国として体験する、極北に存在したとされる太古の王国である。その都オラトエ(Olathoë)は大理石造りで、ノトンとカディフォネクの両峰の間、サーキス台地に位置すると描写される[1][2]。物語は、五年前に西方から現れたイヌート族の侵攻に見張り役として立ち向かう語り手の姿を中心に据えている[3][4]。
原典での描写
「北極星」(1918年5月?)
見張りの役目のさなかに眠り込んでしまい、任務を果たせなかったと苦悶する語り手に対し、夢の中の影たちは「ロマールの地などない、それはお前の夜毎の空想の中にしかない」と嘲る。彼らによれば、北極星が高く輝き赤いアルデバランが低く這うその国には、幾千年もの間ただ氷と雪しかなく、住む者といえば寒さに痛めつけられた「エスキモー」と呼ばれる背の低い黄色い生き物だけだったという[7]。
「未知なるカダスを夢に求めて」(1926年秋?-1927年1月22日)
「未知なるカダスを夢に求めて」において、ウルタルに住む一匹の年老いたズーグが、他のズーグたちの知らない話として、あるナコト写本の最後の一部に言及する。目覚めている人間たちが忘れられた北方の王国で記したこの写本は、毛深い食人種グノフケーが幾多の神殿を擁するオラトエを打ち破り、ロマールの地の勇者たちをことごとく討ち取ったとき、夢の国へと持ち込まれたと語られる[8]。ここでのロマールは、既に滅びた太古の王国として回顧的に扱われている。
「墳丘」(1929年12月-1930年初頭、ジーリア・ビショップとの共作)
「墳丘」では、地底世界クン・ヤンに伝わる由来として、ツァトゥグァ崇拝の一派が地上世界にまで持ち出され、最も小さな像がやがて「地球の北極に近いロマールの地のオラトエ」に祀られたと語られる。この地上世界の信仰は、大氷床と毛深いグノフケーがロマールを滅ぼした後も生き延びたと噂されていたが、その詳細はクン・ヤンでも定かではなかったとされる[9]。
「狂気の山脈にて」(1931年2月-3月22日)
南極の太古都市を目にした語り手の感慨として、「狂気の山脈にて」はロマールの都オラトエを、アトランティスやレムリア、コモリオムやウズルダルームと並べて挙げ、その南極都市に比べれば「今日の出来事どころか、昨日のことでさえない」ごく新しいものに過ぎないと評する[10]。
別の場面では、南極や北極を今なお離れない大寒冷化に触れる中で、その同じ寒冷化こそが「伝説のロマールとハイパーボリアの地に終わりをもたらした」と述べられる[11]。
「銀の鍵の門を越えて」(1932年10月-1933年4月、E・ホフマン・プライスとの共作)
ランドルフ・カーターが「かの者」と対面する場面で、「銀の鍵の門を越えて」はこの存在を、「ロマールが海より起こり、翼ある者たちが地上に降りて人間に太古の叡智を教えた」その時から全世界に恐れられてきたものと語る[12]。ロマールの起源を「海より起こった」と語る一節は、今回照合した範囲では本作にのみ見える。
「時間からの影」(1934年11月-1935年3月)
偉大なる種族との精神交換を語る場面で、「時間からの影」の語り手は、かつて「かの恐ろしき極地を統治した」ロマール王の精神と言葉を交わしたと述べる。彼がロマールを治めていたのは、背の低い黄色いイヌート族が西方から現れてこの地を呑み込む十万年前のことだったという[13]。
このほか、「博物館の恐怖」ではロマールの名が、人類の出現より前という遥かな時代を指す目印として一度触れられるのみである[14]。「流離の王子イラノン」では、放浪する主人公がかつて長く住んだ都市のひとつとして「ロマールの地のオラトエ」の名が挙がるだけである[15]。「異形の神々の峰」では、老賢者バルザイが親しんだナコト写本の由来地として「遥かな、凍てついたロマール」という形容が付されるにとどまり、独自の描写は見られない[16]。
基本プロフィール
- 分類: 地名(太古の極北の国)
- 欧文表記: LOMAR
- 初出・出典: 「北極星」(Polaris、1918年執筆/1920年発表)
- 地理設定: 極北の地。主要都市オラトエは、ノトン(Noton)とカディフォネク(Kadiphonek)の両峰の間、サーキス台地(plateau of Sarkis)に位置するとされる[1][2]
由来・モデル
ラヴクラフトがロマールという設定をどのように着想したかについて、今回参照した資料(taviryserch/data/claims/pending/lomar_001〜007)の中には、書簡や草稿などラヴクラフト自身の創作経緯を示す一次資料は含まれていない。原典に直接の記述はない。
歴史・年表
物語本文で確認できる範囲は次の通り。
- イヌート族の来寇: イヌート族は「五年前、未知なる西方より現れ」、王国の辺境を蹂躙したと語られる[3]。
- 見張りの布陣: 語り手は虚弱で戦士の役目には向かないとされる一方、視力の鋭さを買われ、監視塔での見張り役という重要な任務を任される[5]。
- イヌート族との対比: イヌート族は戦の技に長ける一方、ロマール人が持つ「無慈悲な征服から押しとどめる名誉の掟」を知らない者たちとして描かれる[4]。
これ以降、ロマールが実際にどうなったか(陥落したか否か)を明言する一節は、今回照合した範囲の原文には見当たらない。物語自体、語り手が見ている光景が現実か夢かという曖昧さを保持したまま閉じる構成になっている。
「北極星」でのグノフケー(Gnophkehs)への言及は一箇所だけで、氷床の前進を前にゾブナから南下したロマール人の祖先が、行く手に立ちはだかる「毛深く長腕の食人種グノフケー」を掃討した、と語られる[6]。ロマールの滅亡をグノフケーと結びつけるのは後年の二作である。「未知なるカダスを夢に求めて」では、毛深い食人種グノフケーが多くの神殿を持つオラトエを制圧しロマールの英雄をことごとく殺した[8]とされ、「墳丘」では大氷床とグノフケーがロマールを滅ぼしたという噂がクン・ヤンに伝わる[9]。「時間からの影」はイヌート族が西方から現れてロマールを呑み込んだと記す[13]。滅ぼした相手は作品ごとに違い、ラヴクラフト自身が統一していない。
性質・特徴
オラトエは大理石造りの都市として描かれる[1]。ロマール人は「背が高く灰色の瞳を持つ」者たちとされ、名誉の掟ゆえに無慈悲な征服には踏み込まない性質を持つとされる一方、対するイヌート族はこの掟を持たず戦の技に長けていたと対比的に描写される[4]。語り手自身は、ナコト写本(Pnakotic manuscripts)とゾブナ祖父たち(Zobnarian Fathers)の知恵の研究に多くの時間を費やす学究の徒として位置づけられている[5]。
関連する人物・存在
- カダス(Kadath): 同じくラヴクラフトが極北・極地を舞台に据えた地名。「北極星」本文自体にカダスへの言及は確認できなかったが、同じ極北の地を扱う地名として、深淵書架サイト内で相互参照の対象としている。
- レン高原(Plateau of Leng): 同じくラヴクラフトの極北の地名。「北極星」本文にレン高原への言及は確認できなかったが、同様に相互参照の対象としている。
主要登場作と読みどころ
- 「ポラリス」(Polaris、1918年執筆/1920年発表): 本作そのもの。中心となる原典。語り手が夢の中でロマールの民となり、迫るイヌート族に対する見張りの重責を担う場面を中心に、見ている光景が現実か夢かという境界の曖昧さを終始保ったまま閉じる一編。
- 「北極星」のほかにロマールの名が出る作品と、その中身は「原典での描写」節にまとめた。
よくある誤解
Q. ロマールは実在する北極圏の歴史をもとにした舞台設定なのですか?A. いいえ。「北極星」はロマールを語り手の夢(あるいは正気を疑わせる幻視)として描いており、現実の北極圏の歴史的事実として提示しているわけではありません。物語自体、語り手の見ている光景が現実か夢かという曖昧さを最後まで保持したまま終わります。
Q. ロマールを滅ぼしたのはノフ=ケーですか、イヌート族ですか?A. 作品によって違います。「北極星」で都に迫る侵略者はイヌート族で、グノフケー(ノフ=ケー)は建国期にロマール人の祖先が打ち破った相手として一度出るだけです[6]。一方「未知なるカダスを夢に求めて」ではグノフケーがオラトエを制圧してロマールの英雄を殺し[8]、「墳丘」でも大氷床とグノフケーがロマールを滅ぼしたという噂が語られます[9]。「時間からの影」は再びイヌート族による滅亡を記します[13]。どちらか一方に確定させる記述は原文にありません。
出典
- [1] “I loved my native land of Lomar, and the marble city of Olathoë that lies betwixt the peaks of Noton and Kadiphonek.”(訳: 「私は我が母国ロマールと、ノトンとカディフォネクの両峰の間に横たわる大理石の都オラトエを愛していた」) — H. P. Lovecraft, “Polaris”(1918年執筆/1920年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “Nor was I a stranger in the streets of Olathoë, which lies on the plateau of Sarkis, betwixt the peaks Noton and Kadiphonek.”(訳: 「私はまた、ノトンとカディフォネクの両峰の間、サーキス台地に横たわるオラトエの街路にも不案内ではなかった」) — 同上 ↩
- [3] “…of the advance of the Inutos; squat, hellish, yellow fiends who five years ago had appeared out of the unknown west to ravage the confines of our kingdom.”(訳: 「……イヌート族の進軍について。彼らは五年前、未知なる西方より現れ、我が王国の辺境を蹂躙した、背の低い、地獄のごとき黄色い悪鬼どもである」) — 同上 ↩
- [4] “For the squat creatures were mighty in the arts of war, and knew not the scruples of honour which held back our tall, grey-eyed men of Lomar from ruthless conquest.”(訳: 「その背の低い生き物どもは戦の技に長け、我らロマールの背高く灰色の瞳を持つ者たちを無慈悲な征服から押しとどめていた名誉の掟というものを知らなかった」) — 同上 ↩
- [5] “But my eyes were the keenest in the city, despite the long hours I gave each day to the study of the Pnakotic manuscripts and the wisdom of the Zobnarian Fathers…”(訳: 「しかし私の視力は都随一であった、日々多くの時間をナコト写本とゾブナ祖父たちの知恵の研究に費やしていたにもかかわらず……」) — 同上 ↩
- [6] “…to sustain the traditions of their ancestors, who when forced to move southward from Zobna before the advance of the great ice-sheet (even as our descendants must some day flee from the land of Lomar), valiantly and victoriously swept aside the hairy, long-armed, cannibal Gnophkehs that stood in their way.”(訳: 「大氷床の前進を前にゾブナから南へ移らざるを得なかったとき(我らの子孫がいつの日かロマールの地から逃れねばならぬように)、行く手に立ちはだかる毛深く長腕の食人種グノフケーを勇敢に、勝利のうちに掃討した祖先たちの伝統を守り抜けと」) — 同上 ↩
- [7] “They say there is no land of Lomar, save in my nocturnal imaginings; that in those realms where the Pole Star shines high and red Aldebaran crawls low around the horizon, there has been naught save ice and snow for thousands of years, and never a man save squat yellow creatures, blighted by the cold, whom they call ‘Esquimaux’.”(訳: 「ロマールの地などない、それはお前の夜毎の空想の中にしかない。北極星が高く輝き赤いアルデバランが低く這うその国には、幾千年もの間ただ氷と雪しかなく、住む者といえば寒さに痛めつけられた、彼らが『エスキモー』と呼ぶ背の低い黄色い生き物だけだったのだ、と彼らは言う」) — 同上 ↩
- [8] “the last copy of those inconceivably old Pnakotic Manuscripts made by waking men in forgotten boreal kingdoms and borne into the land of dreams when the hairy cannibal Gnophkehs overcame many-templed Olathoë and slew all the heroes of the land of Lomar.”(訳: 「目覚めている人間たちが忘れられた北方の王国で記した、あの想像を絶するほど古いナコト写本の最後の一部は、毛深い食人種グノフケーが幾多の神殿を擁するオラトエを打ち破り、ロマールの地の勇者たちをことごとく討ち取ったとき、夢の国へと持ち込まれたのだ」) — H. P. Lovecraft, “The Dream-Quest of Unknown Kadath”(1926年秋?-1927年1月22日), 公式アーカイブ ↩
- [9] “one branch of the race even took it to the outer world, where the smallest of the images eventually found a shrine at Olathoë, in the land of Lomar near the earth’s north pole. It was rumoured that this outer-world cult survived even after the great ice-sheet and the hairy Gnophkehs destroyed Lomar, but of such matters not much was definitely known in K’n-yan.”(訳: 「一派は地上世界にまでそれを持ち出し、最も小さな像はやがて、地球の北極に近いロマールの地のオラトエに祀られるに至った。この地上世界の信仰は、大氷床と毛深いグノフケーがロマールを滅ぼした後も生き延びたと噂されていたが、その詳細はクン・ヤンでも定かではなかった」) — H. P. Lovecraft for Zealia Bishop, “The Mound”(1929年12月-1930年初頭), 公式アーカイブ ↩
- [10] “Olathoë in the land of Lomar are recent things of today—not even of yesterday”(訳: 「ロマールの地のオラトエは、今日の出来事どころか、昨日のことでさえない」) — H. P. Lovecraft, “At the Mountains of Madness”(1931年2月-3月22日), 公式アーカイブ ↩
- [11] “the great cold that, at the world’s other extremity, put an end to the fabled lands of Lomar and Hyperborea.”(訳: 「世界の反対の果てで、その大寒冷化こそが、伝説のロマールとハイパーボリアの地に終わりをもたらしたのだ」) — 同上 ↩
- [12] “For this Shape was nothing less than that which all the world has feared since Lomar rose out of the sea and the Winged Ones came to earth to teach the Elder Lore to man.”(訳: 「この形あるものこそ、ロマールが海より起こり、翼ある者たちが地上に降りて人間に太古の叡智を教えたその時から、全世界が恐れてきたものに他ならなかった」) — H. P. Lovecraft for E. Hoffmann Price, “Through the Gates of the Silver Key”(1932年10月-1933年4月), 公式アーカイブ ↩
- [13] “with that of a king of Lomar who had ruled that terrible polar land 100,000 years before the squat, yellow Inutos came from the west to engulf it”(訳: 「背の低い黄色いイヌート族が西方より現れてこの地を呑み込む十万年前、かの恐ろしき極地を統治していたロマール王の精神と」) — H. P. Lovecraft, “The Shadow out of Time”(1934年11月-1935年3月), 公式アーカイブ ↩
- [14] “There were things in the north before the land of Lomar—before mankind existed—and this was one of them.”(訳: 「ロマールの地が生まれる以前、人類が存在する以前から、北方には何かがいた。これはその一つだったのだ」) — H. P. Lovecraft for Hazel Heald, “The Horror in the Museum”(1932年10月), 公式アーカイブ ↩
- [15] “and have dwelt long in Olathoë in the land of Lomar.”(訳: 「そして長くロマールの地のオラトエに住んだ」) — H. P. Lovecraft, “The Quest of Iranon”(1921年2月28日), 公式アーカイブ ↩
- [16] “familiar with the Pnakotic Manuscripts of distant and frozen Lomar.”(訳: 「遥かな、凍てついたロマールのナコト写本にも通じていた」) — H. P. Lovecraft, “The Other Gods”(1921年8月14日), 公式アーカイブ ↩






