概要
「クトゥルフ神話」とひとくちに言っても、その中身は一人の作者が一時期にまとめて書いたものではない。時代ごとに担い手(誰が書いたか)と方法論(何のために・どう体系化したか)がまったく異なる、少なくとも4つの層が積み重なってできている。境界線をおおまかな年で示すと次のようになる。
| 時代 | おおよその期間 | 主な担い手 | 何のための体系化か |
|---|---|---|---|
| 第1期: 原典 | 1917年頃〜1937年 | H・P・ラヴクラフト本人 | 体系化なし(断片的な暗示のみ) |
| 第2期: ダーレスによる体系化 | 1937年(ラヴクラフト没)〜1970年代前半 | オーガスト・ダーレス、および同時代の作家仲間 | 散逸した設定を読者にわかりやすく整理するため |
| 第3期: ゾス神話群など第三世代の拡張 | 1970年代〜1980年代 | リン・カーター、ラムジー・キャンベル、ブライアン・ラムレイ等 | 自らの新作小説のための独自設定の追加 |
| 第4期: TRPGによる拡張解釈 | 1981年〜現在 | ケイオシアム社(サンディ・ピーターセン他)のゲームデザインチーム | 「遊べるゲーム」にするための数値化・カタログ化 |
以下、各時代を境界線ごとに詳しく見ていく。
第1期: ラヴクラフトの原典(1917年頃〜1937年)
H・P・ラヴクラフトは1917年頃から1937年に没するまでの約20年間、後に「クトゥルフ神話」と呼ばれることになる一連の小説を書いた。だが本人はこれを「神話大系」として設計したことは一度もない。「クトゥルフの呼び声」(1926年執筆/1928年発表)でクトゥルフについて語られるのは、南太平洋の海底都市ルルイエに幽閉され、星辰が正しき位置に至る日を待ちながら眠り続けているという断片的な描写のみで[1]、体系だった神格の分類・力の数値・他の神格との系譜関係は一切存在しない。
この時代の終わりは明確である。1937年3月15日、ラヴクラフトの死によって、原典の追加は完全に止まった。以降どれだけ「ラヴクラフト風」の設定が書き加えられても、それは第1期には属さない——これが第1期の境界線である。
第2期: ダーレスによる体系化(1937年〜1970年代前半)
ラヴクラフトの死の直後、友人作家オーガスト・ダーレスが動いた。1939年、ダーレスは同じく作家仲間のドナルド・ワンドレイとともに、散らばっていたラヴクラフトの怪奇小説をハードカバーの単行本として遺すための出版社「アーカムハウス」を設立する[2]。単なる出版活動にとどまらず、ダーレスは短編「ハスターの帰還」などで、各神格を火・水・地・風の四大元素に結びつける「四大元素説」を導入し、クトゥルフを水の精、ハスターを風の精として両者を対立関係に位置づけた[3]。さらに、善なる「旧神(Elder Gods)」が悪しき「旧支配者(Great Old Ones)」を打ち倒し封印したという、キリスト教的な善悪二元論の構図も持ち込んだ[4]。
この体系化はラヴクラフト自身の作品には一度も明記されていない。ダーレスが持ち込んだ善悪二元論に否定的な読者は、ダーレス関与後の設定群を「ダーレス神話」と呼び、ラヴクラフト自身の「原神話」と区別してきた[4]。それでも、読者が神話世界を理解する足がかりとして機能し、以後長くクトゥルフ神話のイメージを形づくることになった。ダーレスは1971年に没するまでこの体系化を続けた。
第3期: ゾス神話群など第三世代の拡張(1970年代〜1980年代)
ダーレスの体系化がひとまず定着した後、1970年代に入ると新たな世代の作家たちが独自の設定を持ち込み始める。中でも代表的なのがリン・カーターの「ゾス神話群(Xothic Legend Cycle)」である。カーターは1970年代の一連の短編(「Out of the Ages」1975年など)で、イソグタ・ゾス=オムモグ・イダ=ヤーといった新しい神格を、クトゥルフの眷属という設定で次々と生み出した[5]。同時期にはラムジー・キャンベルがグラーキ・イゴロナクといった独自の神格を、ブライアン・ラムレイがクティラ・イブ=ツトルといった独自の神格を、それぞれ自らの新作小説のために創造している。
この時代の作家たちに共通するのは、ダーレスのような「既存設定の整理」ではなく、自分の小説を書くための新しい神格・新しい設定を追加するという動機である。そのため第3期は単一の理論ではなく、作家ごとにばらばらの独自設定が並立するという性質を持つ。本サイトの神格記事で「オーガスト・ダーレス」「リン・カーター」「ラムジー・キャンベル」「ブライアン・ラムレイ」といった個別の作家名が出典として明記されている神格の多くは、この第2期後半〜第3期にまたがって生み出されたものである。
第4期: TRPGによる拡張解釈(1981年〜現在)
1981年、アメリカのケイオシアム(Chaosium)社がサンディ・ピーターセンの設計でテーブルトークRPG『クトゥルフの呼び声』を発売した[6]。この第4期が第2期・第3期までと決定的に違う点は、担い手が個人の小説家ではなく企業のゲームデザインチームであるということだ。TRPGは「遊べるゲーム」として成立させなければならないため、原典にもダーレス系拡張にも存在しなかった数値化・カタログ化が必要になった——神格ごとの体力・攻撃力、目撃時に正気度(SAN値)がどれだけ減少するかという数値表、『マレウス・モンストロルム』のような神格の姿・能力を網羅的にまとめた設定資料集などである。
この層は現在も更新が続いている点でも他の3時代と異なる。ラヴクラフト・ダーレス・リン・カーターらの時代はそれぞれの作家の死とともに実質的に閉じたが、TRPGは版を重ねるごとに新しい解釈・新しい神格を追加し続けており、唯一「現在進行形」の時代である。
なぜ4時代に分けて考えるべきか
この4時代は、単に「古い設定・新しい設定」という優劣の話ではない。誰が・何のために書いたかがまったく異なるため、同じ神格でも時代によって説明が食い違うことがある——それは矛盾ではなく、層が違う情報を同じ記事内で扱っているからである。本サイトが神格記事で「原典では〜」「後世の設定では〜」「TRPG設定では〜」と書き分けているのも、この4時代の違いを読者に混同させないための工夫である。3層の観点からの詳しい解説は「原典/ダーレス系拡張/TRPG設定——三層で読み解くクトゥルフ神話」、ラヴクラフト個人の生涯は「ラヴクラフトの生涯と創作活動」、ダーレスとアーカムハウスの活動は「オーガスト・ダーレスとアーカム・ハウス」、TRPGの版の変遷は「クトゥルフ神話TRPGの刊行史」を参照。
出典
- [1] “When the stars were right, They could plunge from world to world through the sky; but when the stars were wrong, They could not live.”(訳: 「星辰が正しき位置にあるとき、彼らは天空を通って世界から世界へと飛び移ることができた。だが星辰が正しからぬとき、彼らは生きることができなかった」) — H. P. Lovecraft, “The Call of Cthulhu”(1926年執筆/1928年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] アーカムハウスは1939年、オーガスト・ダーレスとドナルド・ワンドレイによって、ラヴクラフトの作品をハードカバー単行本として遺すために設立された — 本サイト内「オーガスト・ダーレスとアーカム・ハウス」参照 ↩
- [3] ダーレスは「The Return of Hastur」劇中の登場人物に、旧支配者たちを地・水・風・火の四元素に結びつける説明を語らせている。同作は「Great Cthulhu is of the Water Beings, even as Hastur is of the Beings that stalk the star-spaces」(訳: 「大いなるクトゥルフは水の眷属に属し、ハスターもまた星間を彷徨う眷属に属する」)と記す — August Derleth, “The Return of Hastur”, Weird Tales 1939年3月号(識別子 Weird_Tales_v33n03_1939-03)、archive.org。ダーレスはのちの評論でこの対応をさらに明示し、「Great Cthulhu, dweller in hidden R’lyeh deep in the sea—correspond[s] to a water-elemental; Hastur the Unspeakable, who occupies the air and interstellar spaces—correspond[s] to an air-elemental」(訳: 「隠れたルルイエの深海に棲む大いなるクトゥルフは水のエレメンタルに相当し、大気と星間を占めるハスター・ザ・アンスピーカブルは風のエレメンタルに相当する」)と述べた — August Derleth, “H. P. Lovecraft and His Work”(1963年)からの引用、S. T. Joshi, “Review of A Look Behind the Derleth Mythos, by John Haefele”, stjoshi.org ↩
- [4] 「The Return of Hastur」の劇中で、ダーレスは神話の存在を「the Old or Ancient Ones, the Elder Gods, of cosmic good, and those of cosmic evil」(訳: 「古き者たち、旧神は宇宙的な善であり、対する者たちは宇宙的な悪である」)と二分して語らせている — August Derleth, “The Return of Hastur”, Weird Tales 1939年3月号(識別子 Weird_Tales_v33n03_1939-03)、archive.org。この善悪二元論はラヴクラフト自身の作品には見られない。S. T. Joshiは書評の中で「Do Elder Gods—benign gods eager and willing to assist humanity against the “evil” Old Ones—exist in Lovecraft? It does not appear so」(訳: 「人類に味方する善良な神々としての『旧神』は、ラヴクラフトの作品に存在するか。存在しないようだ」)と述べ、「旧神」という対概念自体がダーレスの持ち込みだと指摘している。この違いを踏まえ、ダーレス関与後の設定群を「ダーレス神話」、ラヴクラフト自身の作品群を「原神話」と呼び分ける用法が読者・研究者の間に定着した — S. T. Joshi, “Review of A Look Behind the Derleth Mythos, by John Haefele”, stjoshi.org ↩
- [5] リン・カーターは1970年代の「Xothic Legend Cycle」で、イソグタ・ゾス=オムモグ・イダ=ヤーらクトゥルフの眷属とされる新しい神格群を創造した — 本サイト内「イソグタ」「ゾス=オムモグ」等、各記事の出典欄参照 ↩
- [6] 『クトゥルフの呼び声』は1981年、米ケイオシアム社よりサンディ・ピーターセンの設計で刊行された — 本サイト内「クトゥルフ神話TRPGの刊行史」参照 ↩

