概要
ニャルラトホテプは、ラヴクラフトの生涯において繰り返し取り上げられた数少ない神格のひとつである。他のどの神格よりも多く姿を見せる外なる神であり、宇宙の中枢に座る白痴の魔王アザトースが、思考する力を持たぬまま生み出した分身のうち、唯一知性と意志を備える存在とされ、アザトースの代行者としてあらゆる時空でその意思を体現する。
姿・性質が作品ごとに書き改められ、一貫した造形を持たないこと自体が、この神格の本質と結びついている。他の外なる神・旧支配者の多くが人類に無関心、あるいは遠く隔たった存在として描かれるのに対し、ニャルラトホテプは唯一、人間の言語・欲望・文明を理解した上で積極的に接触してくる点で際立つ。『未知なるカダスを夢に求めて』でランドルフ・カーターに対して自ら「這い寄る混沌」と名乗る場面が、後年広まった「千の貌を持つ神」という異名の典拠として引用される[1]。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 外なる神 |
| 欧文表記 | NYARLATHOTEP |
| 初出 | 「ニャルラトホテプ」(1920年執筆/同年発表、散文詩) |
| 主な異名 | 這い寄る混沌、千の貌を持つ神(後年広まった呼称)[1] |
| 日本語表記ゆれ | ニャルラトホテプ/ナイアーラトテップ/ナイアーラソテップ/ナイアルラトホテップ/ニャルラトテップ |
初出作品
最初に名前が使われたのは、1920年に執筆・発表された散文詩「ニャルラトホテプ」である。エジプトから現れた、古き土着の血を引きファラオを思わせる姿の人物として描かれ、二十七世紀の暗黒の淵から立ち上がったのだと語り、この惑星にはない場所からの報せを聞いたのだと告げる、幻視的な場面が読みどころとなっている[3]。
ラヴクラフト自身が言及したとされる作品は、この後「壁のなかの鼠」(1923年執筆/1924年発表)、『未知なるカダスを夢に求めて』(1926〜1927年執筆)、連作詩『ユゴスの黴』第21篇(1929年)、「魔女の家の夢」(1932年執筆/1933年発表)、「暗闇の悪魔」(1935年執筆/1936年発表)と続く。このうち「壁のなかの鼠」と『ユゴスの黴』第21篇でどのように描かれているかは、本稿で参照した資料の範囲では確認できていない。
原典での描写
原典における姿は一貫していない。「ニャルラトホテプ」ではファラオを思わせる長身の男として現れ[2]、「魔女の家の夢」では髪も髭もない、重い黒布のローブをまとった「黒い男」として描かれ[4]、「暗闇の悪魔」(旧稿・他資料では「闇に潜むもの」「闇をさまようもの」とも訳される)では黒い翼を持つ「闇の跳梁者」として、輝く偏方三八面体によって呼び覚まされる[3]。
唯一、人間と完全な対話を行う場面が『未知なるカダスを夢に求めて』にある。物語の結末部、ランドルフ・カーターに別れを告げながら自ら名乗る一節「さらばだ、ランドルフ・カーター、そして気をつけよ。私はニャルラトホテプ、這い寄る混沌なのだから」が、後年の異名の典拠となった[1]。
同作の結末部では、アザトースへの謁見を目指すカーターの前にニャルラトホテプが立ちはだかるが、旧神ノーデンスがその追跡者たちを光で焼き払って阻み、カーターを目覚めさせる[5]。目的を挫かれたニャルラトホテプは、カダスの黒曜石の城へ不機嫌に戻り、居合わせた地上の神々に横柄に当たり散らしたと描写される[6]。全能に見えるこの神格が、企みを外された際には人間臭い苛立ちを見せる場面として知られる。
なお、外なる神の解説記事では、「盲目で声もなく、闇に閉ざされ、精神を持たぬ他なる神々——その魂であり使者(soul and messenger)であるのが、這い寄る混沌ニャルラトホテプである」という一節が『未知なるカダスを夢に求めて』の原典そのものにあるとして引用されている。次節で触れる「外なる神の魂にして使者」という称号を、旧稿はTRPG側の後年設定としていたが、この記述と照らすと原典由来である可能性があり、両記述の食い違いは未照合のまま残す(報告に記載)。
ダーレス以降の変化
ニャルラトホテプを外なる神の陣営の中で体系的に位置づけたのは、オーガスト・ダーレス以降の拡張である。原典では他の旧支配者との上下関係・対立関係は詳細に描かれないが、後世のダーレス設定では旧支配者たちの「使者」として位置づけられ、クトゥルフやハスターらとの仲介役を担う存在として体系化された。
ダーレスは物質を地・水・火・風の四大元素に分類し、それぞれに対応する神格を配する体系を作った(クトゥルフ=水、ハスター=風、クトゥグア=火)。この体系の中でニャルラトホテプは「地」を担当するとされることがあるが、この点は資料間で確認が割れている。クトゥグアの記事では、地・水・風を担当する神格について「旧稿では具体的な神格名が挙げられておらず、特定できない」としており、本稿でもニャルラトホテプ=「地」を確定できる一次資料までは遡れていない。未照合として扱う。
1944年のダーレス作品「闇に棲むもの」では、ウィスコンシン州の森を根城とするニャルラトホテプの一化身が、旧支配者クトゥグアによって地上拠点を焼き払われたという後日談が設定されている。もっとも、この対立関係の具体的な典拠はクトゥグアの記事でも「未照合」とされており、本稿でも同様の扱いとする。
TRPGでの扱い
ケイオシアム社のクトゥルフ神話TRPGでは、ニャルラトホテプは外なる神に分類される。当初は「旧支配者の使者」という位置づけだったが、後にゲーム側の設定整理で「外なる神」陣営が「旧支配者」から分離されたのに伴い、「外なる神の魂にして使者」という称号に改められた。ただし前節の通り、この呼称自体が『未知なるカダスを夢に求めて』の原典に見える可能性があり、TRPG発の設定と言い切れるかどうかは未照合。
公式設定資料集『マレウス・モンストロルム』は、「暗夜に吠える者」「黒きファラオ」「無貌の神」「夜魔」など複数の化身を、それぞれ個別の姿・権能を持つ存在として列挙している。
TRPG設定では、ニャルラトホテプをアザトースの意志を実際に解釈し体現する「摂政」と位置づける整理もあるが、これは原典に明記された設定ではなく、日本語圏TRPG資料による後付けの整理である。
登場作品一覧
| 作品 | 年 | 作者 | この作品が足したもの |
|---|---|---|---|
| ニャルラトホテプ | 1920年執筆/同年発表 | H・P・ラヴクラフト | 初出。ファラオを思わせる姿で現れる散文詩[2] |
| 壁のなかの鼠 | 1923年執筆/1924年発表 | H・P・ラヴクラフト | 言及作品の一つ。具体的な描写は本稿では確認できていない |
| 未知なるカダスを夢に求めて | 1926〜1927年執筆/1943年発表 | H・P・ラヴクラフト | ランドルフ・カーターとの対話、「這い寄る混沌」の名乗り[1]、ノーデンスによる妨害[5] |
| ユゴスの黴(第21篇) | 1929 | H・P・ラヴクラフト | 言及作品の一つ。具体的な描写は本稿では確認できていない |
| 魔女の家の夢 | 1932年執筆/1933年発表 | H・P・ラヴクラフト | 「黒い男」としての化身[4] |
| 暗闇の悪魔 | 1935年執筆/1936年発表 | H・P・ラヴクラフト | 「闇の跳梁者」としての化身[3] |
| 闇に棲むもの | 1944 | オーガスト・ダーレス | クトゥグアとの対決という後日談(典拠未照合) |
| 尖塔の影 | 1950 | ロバート・ブロッホ | 「闇の跳梁者」を正式にニャルラトホテプと確定 |
| マレウス・モンストロルム | — | ケイオシアム社(編) | 複数の化身を列挙するTRPG設定資料 |
後世の受容(大衆文化)
- スティーヴン・キングの長編『ザ・スタンド』(1978年/1990年完全版)の敵役ランドール・フラッグは、作中人物の台詞の中で異名のひとつとして直接「ニャルラトホテプ」の名で呼ばれている。キング自身がラヴクラフトからの影響を公言していることもあり、この命名は意図的な引用と広く理解されている。ただし『ザ・スタンド』は現行の著作権保護下にある作品のため、本記事では該当箇所の原文引用は行わない
- 日本国内での受容例としては、ニャルラトホテプを女子高生風の異星人として描くコメディ作品、アニメ『這いよれ!ニャル子さん』(2012年)が広く知られている。原典の陰惨な「這い寄る混沌」のイメージとは対照的な、明るいキャラクター造形になっている点がしばしば話題になる
- スマートフォンゲーム『Fate/Grand Order』にも、外なる神を思わせる存在として「顔のない月」の異名を持つサーヴァント(2018年夏イベント実装の水着BB)が登場する。ゲーム本編でクトゥルフ神話やニャルラトホテプの名が明言されることはないが、燃える三眼や闇を彷徨うものといったニャルラトホテプの化身を思わせる特徴を備えており、プレイヤーの間ではニャルラトホテプがモデルとされることが多い
関連神格・地域・書物
神格
- アザトース — 主人。ニャルラトホテプはその代行者として、思考なきアザトースの意思をあらゆる時空で体現する
- クトゥルフ — ダーレス設定で、旧支配者たちとの仲介役として関わる
- ハスター — 同じくダーレス設定での仲介先
- クトゥグア — 「闇に棲むもの」において地上拠点を焼き払われる相手として描かれるとされるが、この対立関係の具体的な典拠は未照合
- ノーデンス — 『未知なるカダスを夢に求めて』の結末で、カーターを追うニャルラトホテプの追跡者を焼き払って阻む
- ランドルフ・カーター — 唯一、ニャルラトホテプと直接言葉を交わす人間として描かれる
地域
- カダス — 目的を挫かれたニャルラトホテプが不機嫌に帰還する黒曜石の城がある
分類の考え方
- 旧支配者・外なる神・旧神——神格の分類用語を整理する
- 外なる神 — 「魂にして使者」というニャルラトホテプの呼称の原典典拠をめぐる記述はこちらも参照
参考文献
- [1] “Farewell, Randolph Carter, and beware; for I am Nyarlathotep, the Crawling Chaos!”(訳: 「さらばだ、ランドルフ・カーター、そして気をつけよ。私はニャルラトホテプ、這い寄る混沌なのだから」) — H. P. Lovecraft, “The Dream-Quest of Unknown Kadath”(1926〜27年執筆/1943年発表)の結末部, 公式アーカイブ
- [2] “And it was then that Nyarlathotep came out of Egypt. Who he was, none could tell, but he was of the old native blood and looked like a Pharaoh.”(訳: 「そしてその時、ニャルラトホテプがエジプトより現れた。彼が何者であるか誰にも分からなかったが、彼は古き土着の血を引き、ファラオのような姿をしていた」) — H. P. Lovecraft, “Nyarlathotep”(1920年), hplovecraft.com
- [3] “I see it—coming here—hell-wind—titan blur—black wings—Yog-Sothoth save me—the three-lobed burning eye . . .”(訳: 「見える——ここへ来る——地獄の風——巨大な滲み——黒い翼——ヨグ=ソトースよ我を救いたまえ——三つに裂けた燃える目……」) — H. P. Lovecraft, “The Haunter of the Dark”(1935年、ブレイクの日記最後の一節), 公式アーカイブ
- [4] “a tall, lean man of dead black colouration but without the slightest sign of negroid features; wholly devoid of either hair or beard, and wearing as his only garment a shapeless robe of some heavy black fabric.”(訳: 「背が高く痩せた、死人のような黒い色をした男で、黒人的な特徴は一切見られない。髪も髭も全く無く、唯一の衣服として、重い黒い布地でできた形のないローブをまとっていた」) — H. P. Lovecraft, “The Dreams in the Witch House”(1932年), 公式アーカイブ
- [5] “And hoary Nodens raised a howl of triumph when Nyarlathotep, close on his quarry, stopped baffled by a glare that seared his formless hunting-horrors to grey dust.”(訳: 「そして白髪のノーデンスは勝利の雄叫びを上げた。獲物に迫っていたニャルラトホテプが、その不定形の狩りの怪物どもを灰色の塵へと焼き払う閃光に阻まれ、立ち尽くした時に」) — H. P. Lovecraft, “The Dream-Quest of Unknown Kadath”(1926〜27年執筆/1943年発表), 公式アーカイブ
- [6] “the crawling chaos Nyarlathotep strode brooding into the onyx castle atop unknown Kadath in the cold waste, and taunted insolently the mild gods of earth whom he had snatched abruptly from their scented revels in the marvellous sunset city.”(訳: 「這い寄る混沌ニャルラトホテプは、不機嫌に思い沈みながら、冷たき荒野に聳える未知なるカダスの黒曜石の城へと戻り、あの見事な夕焼けの都での香り高き宴から不意に連れ去ってきた、地上の温和な神々に対して横柄に当たり散らした」) — 同上, 公式アーカイブ
FAQ
Q. ニャルラトホテプは四大元素で「地」を司るとされますが、確定した設定ですか。A. 確定していません。そう紹介する資料もありますが、関連するクトゥグアの記事では、地・水・風を担当する神格を具体的に特定できないとしています。本稿でも一次資料までは遡れておらず、未照合の設定として扱っています。
Q. 「闇に棲むもの」でクトゥグアに滅ぼされたという設定は原典にありますか。A. 原典にはありません。H・P・ラヴクラフトは1937年に没しており、この設定は1944年のオーガスト・ダーレス作品によるものです。さらに、この対立関係自体の具体的な典拠がクトゥグアの記事でも「未照合」とされている点に注意してください。
Q. 火の精クトゥグアはニャルラトホテプの天敵と聞いたが本当ですか。A. 公式ルールとして確定した設定ではなく、TRPGプレイヤー間で語られてきた非公式な言い伝えの域を出ません。
Q. 「ニャルラトホテプ」という名前の語源はエジプト語ですか。A. 諸説ありますが、いずれもラヴクラフト自身が明言した典拠ではないファンによる語源分析にとどまります。名前の着想自体は、彼が見た悪夢(1921年の書簡に記録)に由来するとされます。
Q. テスカトリポカなど実在の信仰の神と同一視してよいですか。A. フィクション上の設定として実在の信仰体系に連なる神々を安易に「化身」として扱うことは、文化的・宗教的背景を無視すれば侮辱的と受け取られかねません。二次創作等で扱う場合は、あくまで架空の存在であり現実の信仰とは無関係である旨を明記するのが望ましいとされます。
⚠ 隣の書架(成人向け・R-18)
ニャルラトホテプの名が公式資料に明記されている成人向け作品は、姉妹サイト「深淵禁書」で紹介しています(18歳未満の方は閲覧できません。リンク先の入口で年齢確認があります)。





