概要
夢の国の最果て、何人も到達したことのない冷たい荒野に聳える、未知の巨大な黒瑪瑙(オニキス)の城[1]。表向きは「地球の神々」が住まうとされるが、実際にはその支配権はとうに外なる神々の代理人ニャルラトホテプの手に落ちている。夢見る者ランドルフ・カーターが、自らが繰り返し夢に見た美しい「夕映えの都市」の秘密を解き明かすために目指した、壮大な夢の国冒険譚の究極の目的地である。
原典での描写
冷たい荒野の未知のカダスという語られ方
「未知なるカダスを夢に求めて」は、物語の随所でカダスを「誰も足を踏み入れたことのない場所」として語り続ける。ランドルフ・カーターが助言を仰いだ精霊ズーグたちは、カダスの頂がどこにあるかを知らず、あの冷たい荒野が夢の国の内にあるのか、それとも別の場所にあるのかさえ言えなかった。ディラス=リーンで出会った船長に未知なるカダスと冷たい荒野について尋ねても、この正直な船乗りは何一つ答えられず、セレファイスの神殿の高僧に至っては、「過去に誰もカダスを見つけたことはなく、この先も誰も見つけない方がよいのかもしれない」と語る[4]。
到達の禁忌と神々の警告
カダスへ赴く計画を、カーター自身が仕える眠りの国の神官たちは固く戒めた。企てを聞いたナシュトとカマン・ソアの二神官は頭を振ってそれが彼の魂の死になるだろうと誓い、地球の神々が既に拒む意志を示している以上、これ以上しつこく願うのは神々の意に反すると諭した。ウルタールの神殿では、三百歳を数える老神官アタルが、賢者バルザイがハセグ=クラの峰に登っただけで空へ引きずり込まれた顛末を語り、地球の神々は賢い人間に時に出し抜かれることもあるものの、口にしない方がよい外なる神々に守られているのだと告げたうえで、「何人もカダスの聳える場所を知らなかったのは幸いであり、それに登った末に得られるものは、まことに恐ろしいものになるだろう」と結ぶ[5]。
黒瑪瑙の城の外観と内部
高僧の警告にもかかわらずカダスへ向かったカーターは、夜鬼の群れに運ばれて冷たい荒野の上空へと分け入る。暗闇の彼方に浮かぶ黒い山影を認めた一行は急速に上昇し、やがて「その計り知れぬほど巨大な山の頂を戴くのは、人知を超えた城であり、そこには悪魔の光が灯っていた」[6]。しかし辿り着いた城の内部に、黄金の玉座も、あの岩肌に刻まれた顔と同じ面差しを持つ、冠と光輪を戴いた神々の集いも見当たらなかった。ただ一つの塔の部屋を除いて城は暗く沈み、地球の神々の姿はどこにもなかった。
結末での啓示
ニャルラトホテプはカーターに自らの正体を明かし、地球の神々を夕映えの都市からカダスへ送り返すよう命じたうえで、二度と己の千の姿に出会わぬよう祈れと言い残し、彼を闇の彼方へ吹き飛ばす。物語は最後に、地の果てで「這い寄る混沌ニャルラトホテプが、物思いに沈みながら、冷たい荒野に聳える未知なるカダスの黒瑪瑙の城へと歩み入り、あの驚異の夕映えの都市での香り高い宴から不意に引き離した地球の穏やかな神々を、尊大に嘲る」場面を描いて幕を閉じる[7]。
「異形の神々の峰」(1921年8月14日執筆)
地球の神々は、かつて低い峰々に住んでいたが、平地の人間が斜面を登ってくるたびに、より高い山へと追われていった。「だが今や彼らは、誰も足を踏み入れぬ冷たい荒野に横たわる未知なるカダスへと身を落ち着け、人間が来たときに逃げ込む、より高い峰を持たぬために、頑なになっている」[8]。以前は人間に己の座を明け渡していた神々は、今では人間が来ることそのものを拒むという。それでも時おり古巣を懐かしんだ神々は、雲の船に乗って未知なるカダスを離れ、かつて舞い遊んだハセグ=クラの峰へと戻ってくることがある。
「狂気の山脈にて」(1931年2月–3月22日執筆)
南極探検隊の一員である語り手ダイアーは、氷に閉ざされた不気味な山々を目にして、古のプナコト文書に伝わる「カダス・イン・ザ・コールド・ウェイスト」の囁きに、まことに現実的で怪異な意味があるのかもしれないと思い至る。物語終盤、隊が目にする途方もない紫の山並みそのものについても、「疑いなく、忌まわしいレン高原の彼方に横たわる、恐るべきカダス・イン・ザ・コールド・ウェイストの、いまだ解き明かされぬ原型に他ならない」と描写される[9]。
他作品での言及
「ダニッチの怪」(1928年夏執筆)では、旧支配者たちについて語る詠唱の一節に、「カダスは冷たい荒野の中で彼らを知っている。だが、カダスを知る人間があろうか」という形で地名が挙げられる[10]。「メデューサの巻き毛」(共作:ジーリア・ビショップ、1930年5月執筆)では、語り手が盗み聞いた会話の中で、ヒロインのマーセリーンが「太古の秘密」や「未知なるカダス」についてひそひそと語る場面に、地名だけが現れる[11]。「墳丘」(共作:ジーリア・ビショップ、1929年12月–1930年初頭執筆)では、地底の民K’n-yanが氷河期の間に築いた地上文明の一つとして、「とりわけ南極の、カダスという山の近くにあった」文明が言及される[12]。「霧の中の奇妙な高屋敷」(1926年11月9日執筆)では、キングスポートの人々が、古き神々が「深みから、そして冷たい荒野の未知なるカダスから」現れて崖の上に棲み着くことを恐れる一文に、地名が現れる[13]。
基本プロフィール
- 分類: 地名(夢の国)
- 欧文表記: KADATH
- 初出・出典: 「未知なるカダスを夢に求めて(The Dream-Quest of Unknown Kadath)」(1926–1927年執筆/1943年発表、ラヴクラフト生前は未発表)
- 地理設定: 夢の国の最北端、いかなる地図にも記されない極寒の荒野。現実の地球上のどこにも対応しない、夢の国という独立した異次元領域に属する
由来・モデル
カダスは現実の地球上に実在するいかなる場所にも対応しない、純然たる夢の国(ドリームランド)の地名である。ラヴクラフト自身が敬愛したロード・ダンセイニのファンタジー作品群(『ペガーナの神々』等)の影響を強く受けた、幻想文学的な「異世界の到達不能な聖地」というモチーフの系譜に連なる。地名としての語感自体に明確な現実由来は指摘されていないが、物語全体を貫く「夢と覚醒の境界」というテーマ自体は、ラヴクラフトが実際に生涯を通じて鮮明な夢を見る体質だったことと関連づけて論じられることが多い。
歴史・年表
物語の主人公ランドルフ・カーターは、かつて夢の中で三度目にした壮麗な「夕映えの都市」への強い渇望に取り憑かれ、ついに誰も踏み入ったことのない地へ赴く決意を固める[2]。夢の国の各地(セレファイス、ウルタール、ディラス=リーン等)を巡り、夜鬼(ナイトゴーント)やグールの助けを借りながら、極北の荒野を越えてカダスを目指す長い旅が展開される。物語終盤、カーターはついにカダスの黒瑪瑙の城の内部へ引き込まれ、そこで「地球の神々」を実質的に支配しているのが外なる神々の魂にして使者たるニャルラトホテプであったという真実を突きつけられる[3]。
性質・特徴
夢の国編の集大成として、幻想的な美しさと、宇宙的な虚無・欺瞞が同居する、ラヴクラフト作品中でも屈指のスケールを誇る舞台である。地球の神々を「穏やかで力弱い」存在とし、外なる神々がそれを見張っているとする設定を持つ夢の国の神々観と、彼らを陰から操るニャルラトホテプという外なる神々の代理人の存在が対比される構図は、表向きの神秘・崇高さの裏に虚無が潜むという、ラヴクラフトの宇宙的恐怖観を凝縮した象徴的な場所となっている。
関連する人物・存在
夢見る者ランドルフ・カーターがこの地を目指す主人公として物語を牽引する。カダスの黒瑪瑙の城には表向き「地球の神々」が住むとされるが、実質的な支配者は外なる神々の使者ニャルラトホテプである。カダスへ至る旅の途上では、夢の国の極寒の魔境レン高原が大きな障壁として立ちはだかる。
主要登場作と読みどころ
- 「未知なるカダスを夢に求めて」(1926–1927年執筆/1943年発表): カダスが登場する唯一かつ中心的な長編。ラヴクラフトの夢の国作品群の集大成として、ランドルフ・カーターの旅の全貌が描かれる。ラヴクラフト生前には発表されず、没後の刊行となった点も特筆される。
- 「銀の鍵」「銀の鍵の門を越えて」: カダスへの旅の後日談として、カーターのさらなる宇宙的変容の旅が描かれる連作。カダス到達後のカーターの境地の変化がうかがえる。
よくある誤解
Q. カダスの「地球の神々」は、旧支配者や外なる神と同じ存在なのですか?
A. いいえ。地球の神々(Gods of Earth)は、夢の国独自の神格群であり、旧支配者(Great Old Ones)や外なる神(Outer Gods)とは別の分類とされます。ただし物語内では、その地球の神々自体が外なる神々の使者ニャルラトホテプに実質支配されているという構図が明かされます。
Q. カダスは地球上のどこかに実在する場所という設定なのですか?
A. いいえ。カダスは現実の地球地理には一切対応しない、夢の国(ドリームランド)という独立した異次元領域に属する地名です。
出典
- [1] “unknown Kadath, veiled in cloud and crowned with unimagined stars, holds secret and nocturnal the onyx castle of the Great Ones.”(訳: 「未知なるカダスは、雲に覆われ、想像も及ばぬ星々を戴き、地球の神々の黒瑪瑙の城を秘め、夜のうちに隠している」) — H. P. Lovecraft, “The Dream-Quest of Unknown Kadath”(1926–1927年執筆/1943年発表), hplovecraft.com ↩
- [2] “At length, sick with longing for those glittering sunset streets and cryptical hill lanes among ancient tiled roofs, nor able sleeping or waking to drive them from his mind, Carter resolved to go with bold entreaty whither no man had gone before.”(訳: 「ついに、あの燦めく夕映えの街路と、古い瓦屋根の間を縫う謎めいた丘の小路への渇望に病み、寝ても覚めてもそれを心から追い払えなくなったカーターは、いまだ誰も踏み入ったことのない場所へ、大胆な嘆願を携えて赴くことを決意した」) — 同上, hplovecraft.com ↩
- [3] “that great stone door swung wide again and Carter was shoved down the stairs…for he felt that he was held for the coming of that frightful soul and messenger of infinity’s Other Gods, the crawling chaos Nyarlathotep.”(訳: 「その巨大な石の扉が再び大きく開き、カーターは階段の下へ押しやられた……彼は、無限なる外なる神々の恐るべき魂にして使者、這い寄る混沌ニャルラトホテプの来臨のために捕らえられているのだと感じた」) — 同上, hplovecraft.com ↩
- [4] “No man had ever found Kadath in the past, and it might be just as well if none ever found it in the future.”(訳: 「過去に誰もカダスを見つけたことはなく、この先も誰も見つけない方がよいのかもしれない」) — H. P. Lovecraft, “The Dream-Quest of Unknown Kadath”(1926–1927年執筆/1943年発表), hplovecraft.com ↩
- [5] “It was lucky that no man knew where Kadath towers, for the fruits of ascending it would be very grave.”(訳: 「何人もカダスの聳える場所を知らなかったのは幸いであり、それに登った末に得られるものは、まことに恐ろしいものになるだろう」) — 同上, hplovecraft.com ↩
- [6] “Capping that most measureless of mountains was a castle beyond all mortal thought, and in it glowed the daemon-light.”(訳: 「その計り知れぬほど巨大な山の頂を戴くのは、人知を超えた城であり、そこには悪魔の光が灯っていた」) — 同上, hplovecraft.com ↩
- [7] “the crawling chaos Nyarlathotep strode brooding into the onyx castle atop unknown Kadath in the cold waste, and taunted insolently the mild gods of earth whom he had snatched abruptly from their scented revels in the marvellous sunset city.”(訳: 「這い寄る混沌ニャルラトホテプは、物思いに沈みながら、冷たい荒野に聳える未知なるカダスの黒瑪瑙の城へと歩み入り、あの驚異の夕映えの都市での香り高い宴から不意に引き離した地球の穏やかな神々を、尊大に嘲った」) — 同上, hplovecraft.com ↩
- [8] “But now they have betaken themselves to unknown Kadath in the cold waste where no man treads, and are grown stern, having no higher peak whereto to flee at the coming of men.”(訳: 「だが今や彼らは、誰も足を踏み入れぬ冷たい荒野に横たわる未知なるカダスへと身を落ち着け、人間が来たときに逃げ込む、より高い峰を持たぬために、頑なになっている」) — H. P. Lovecraft, “The Other Gods”(1921年8月14日執筆), hplovecraft.com ↩
- [9] “beyond doubt the unknown archetype of that dreaded Kadath in the Cold Waste beyond abhorrent Leng, whereof unholy primal legends hint evasively.”(訳: 「疑いなく、忌まわしいレン高原の彼方に横たわる、恐るべきカダス・イン・ザ・コールド・ウェイストの、いまだ解き明かされぬ原型に他ならない」) — H. P. Lovecraft, “At the Mountains of Madness”(1931年2月–3月22日執筆), hplovecraft.com ↩
- [10] “Kadath in the cold waste hath known Them, and what man knows Kadath?”(訳: 「カダスは冷たい荒野の中で彼らを知っている。だが、カダスを知る人間があろうか」) — H. P. Lovecraft, “The Dunwich Horror”(1928年夏執筆), hplovecraft.com ↩
- [11] “whispering about ‘elder secrets’ and ‘unknown Kadath'”(訳: 「太古の秘密」や「未知なるカダス」についてひそひそと語る) — H. P. Lovecraft for Zealia Bishop, “Medusa’s Coil”(1930年5月執筆), hplovecraft.com ↩
- [12] “Between glacial ages they had had some remarkable surface civilisations, especially one at the South Pole near the mountain Kadath.”(訳: 「氷河期の間には、目覚ましい地上文明をいくつか築いており、とりわけ南極の、カダスという山の近くにあった文明がそうだった」) — H. P. Lovecraft for Zealia Bishop, “The Mound”(1929年12月–1930年初頭執筆), hplovecraft.com ↩
- [13] “the olden gods…may come out of the deep and from unknown Kadath in the cold waste and make their dwelling on that evilly appropriate crag”(訳: 「古き神々が深みから、そして冷たい荒野の未知なるカダスから現れ、あの禍々しくも似つかわしい岩山に棲み着くようになるかもしれない」) — H. P. Lovecraft, “The Strange High House in the Mist”(1926年11月9日執筆), hplovecraft.com ↩





