概要
イェブは、双子の片割れヌグと共に語られることでしか存在しない神格である。1928年の合作小説「The Last Test」に地下神殿の崇拝対象として初めて名が現れ、以後「マウンド」「永劫より(Out of the Aeons)」等の作品で断片的に言及されるが、いずれも姿や性別の直接描写は一切ない。
むしろイェブという神格の実像は、ラヴクラフトが私信で戯れに書き記した系譜設定によって形作られてきたという、成立過程そのものが特異な存在である。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 外なる神(私信の系譜による。TRPG設定では「旧支配者」に分類される — 詳細は「TRPGでの扱い」参照) |
| 欧文表記 | YEB |
| 初出 | 「The Last Test」(1928年、ラヴクラフト&エイドルフ・デ・カストロ合作) |
| 双子の片割れ | ヌグ |
| 信仰圏 | 地下世界クン・ヤン、失われた大陸ムー(原文設定) |
| 異名 | 原文中に固有の異名は確認されていない。低確度のファン伝聞では「アザトースの孫」「至高なる守護者」といった称号も語られるが、他の資料群からは裏付けが取れない孤立した記述である |
初出作品
イェブの名は、クトゥルフ神話の外部からではなく、H・P・ラヴクラフト自身の合作作品の中で生まれた。
最初に現れるのは、ラヴクラフトがエイドルフ・デ・カストロと合作した「The Last Test」(1928年発表)である。アラビアの「緋色の砂漠」地帯にある地下神殿で、ヌグとイェブが崇拝対象として言及される。この時点では双子の名が挙げられるのみで、姿や性別についての描写はない。
原典での描写
ラヴクラフト自身の原文において、イェブの姿・性別についての直接描写は一切ない。
「マウンド」(ラヴクラフト&ゼリア・ビショップ合作)では、地下世界クン・ヤンの旧きものたちがヌグとイェブの神殿を維持しており、その秘儀的・乱交的な儀式が主人公サマコナを戦慄させる場面が描かれる。同作でシュブ=ニグラスは「名づけえぬもの」の妻とだけ書かれ、これがヨグ=ソトースを指すのかどうかラヴクラフトは明言していない。
「永劫より(Out of the Aeons)」(1933年、ラヴクラフト&ヘイゼル・ヒールド合作)では、失われた大陸ムーで崇拝されるヌグとイェブが、シュブ=ニグラスや蛇の父イグと並び、大祭司ティヨグによって「ガタノトーアに対抗しうる神々」として名指しされる、原文中でも重要度の高い言及箇所である[1]。同作はヌグ・イェブを「人類に友好的な神々」として挙げるにとどまり、親子関係は明言していない。
「マウンド」の記述と「永劫より」の記述は、シュブ=ニグラスの配偶者や系譜をめぐって食い違ったままであり、原文小説どうしの間でも解決されていない問題として批評家によって指摘されている。
別途、ラヴクラフトの私信(1933年4月27日付、ジェームズ・F・モートン宛「書簡617」)では、イェブはヌグと共にヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの直接の子として、戯れの系譜の中に位置づけられている。この系譜ではクトゥルフはヌグの、ツァトゥグアはイェブの子孫とされ、さらにラヴクラフト自身とクラーク・アシュトン・スミスをそれぞれの子孫に見立てるという冗談まで含む。これは出版された小説の本文ではなく、私信の中で戯れに書かれた設定であるという点には注意が必要である。
ダーレス以降の変化
イェブに関する原典以降の設定拡張を担ったのは、オーガスト・ダーレスではなく、主にリン・カーターとロバート・M・プライスである。見出し名は横展開の共通テンプレートに合わせているが、ここでは原典より後に付け加えられた設定としてまとめる。
- リン・カーターによる名称整理。 リン・カーターは「博物館の恐怖」等の作品で「ナグ」という名を食屍鬼の族長(下級の旧支配者)として設定したが、これが本来の双子神ヌグと衝突したため、後に「ナグーブ」と改名して整理し直した。
- ロバート・M・プライスによる分裂説。 クラーク・アシュトン・スミス設定の両性具有の神クサクスクルースが3柱の神(ツァトゥグアの父を含む)を生んだという原設定に対し、ロバート・M・プライスは、クサクスクルースが男性のヌグと女性のイェブに分裂し、両者の交わりによってそれらの神が生まれたという説を、架空の魔導書『エイボンの書』に仮託する形で提示した。なおこの分裂説の提唱者については、プライス単独とする資料と、プライス&ローレンス・J・コーンフォードの共著論文「Apocrypha of Avon」によるとする資料の両方があり、書誌的な出典の不一致として未照合のまま残る。
- 『クトゥルフ百科事典(Encyclopedia Cthulhiana)』による訂正。 同事典は、「コールド・ウェイストの教団」がヌグとイェブをザーとロイガーの秘匿された別名だと誤信していたと記しつつ、実際にはザーとロイガーは地球に住んだことがない存在であると訂正している。
- 後世の外見設定(出典不明瞭)。 球体状で子宮を思わせる、直径約3メートルの、母シュブ=ニグラスに似た姿で「ズリカリオール星雲」に生まれたとする説や、羊のような蹄や角を備えるとする説など、いっそうシュブ=ニグラスに近づく方向の外見描写が後世に加えられている。日本語圏のファン事典では、「蒸気状の気体と固形物」からなる身悶えする腐肉のような外見、あるいは無数の目と口から絶えず体液を滴らせ、鉤爪や蹄状の肢を体内から出し入れするという、複数の異なる身体描写が並立して伝えられている。いずれも一次資料に基づかない後世の創作である。
TRPGでの扱い
ケイオシアム社のクトゥルフ神話TRPGの資料集『マレウス・モンストロルム』は、イェブとヌグを「旧支配者」に分類している。私信「書簡617」の系譜(ヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの子=外なる神)とは食い違っており、書簡上の系譜とゲーム上の分類は一致しない。
同資料集は、イェブとヌグがあまりに謎めいて設定が未成熟であるとして、コアルールブックには採用せず補助資料でのみ扱っている。
登場作品一覧
| 作品 | 年 | 作者 | この作品が足したもの |
|---|---|---|---|
| The Last Test | 1928 | H・P・ラヴクラフト&エイドルフ・デ・カストロ | ヌグ・イェブの名が初めて世に出た作品。地下神殿の崇拝対象として言及 |
| マウンド | 不明 | H・P・ラヴクラフト&ゼリア・ビショップ | クン・ヤンの神殿と秘儀的・乱交的な儀式の描写 |
| 永劫より(Out of the Aeons) | 1933 | H・P・ラヴクラフト&ヘイゼル・ヒールド | 「ガタノトーアに対抗しうる神々」としての言及[1] |
| 書簡617(ジェームズ・F・モートン宛) | 1933 | H・P・ラヴクラフト(私信) | ヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの子とする戯れの系譜 |
| 博物館の恐怖 等 | 不明 | リン・カーター | 「ナグ」を食屍鬼の族長として設定→後に「ナグーブ」へ改名 |
| エイボンの書(仮託) | 不明 | ロバート・M・プライス(&ローレンス・J・コーンフォードとする資料もあり) | クサクスクルース分裂説 |
| マレウス・モンストロルム | 不明 | ケイオシアム社 | 「旧支配者」への分類。コアルールブックには不採用 |
| クトゥルフ百科事典(Encyclopedia Cthulhiana) | 不明 | – | ザー・ロイガー混同説の記載と訂正 |
関連神格・地域・書物
神格・種族
- ヌグ — 双子の片割れ。イェブとは常に対で語られる
- ヨグ=ソトース — 私信の系譜では父とされる。原文小説では明言されていない
- シュブ=ニグラス — 私信の系譜では母とされる。「マウンド」では「名づけえぬもの」の妻と書かれるのみで、ヨグ=ソトースと同一かどうかは未確定
- クトゥルフ — 私信の戯れの系譜ではヌグの子孫とされる
- ツァトゥグア — 私信の戯れの系譜ではイェブの子孫とされる。クラーク・アシュトン・スミス設定の神
- イグ — 「永劫より」でヌグ・イェブと並び、人類に友好的な神として名指しされる[1]
- ガタノトーア — 「永劫より」で対抗すべき敵として名指しされる[1]
地域
書物・関連人物
- エイボンの書 — ロバート・M・プライスがクサクスクルース分裂説を仮託した架空の魔導書
- クラーク・アシュトン・スミス — クサクスクルースの設定者。私信の戯れの系譜ではイェブの子孫に見立てられる
- リン・カーター — 「ナグ」から「ナグーブ」への改名を行った
- ゼリア・ビショップ — 「マウンド」の合作者
- ヘイゼル・ヒールド — 「永劫より」の合作者
分類の考え方
参考文献
- [1] “In the end he felt sure that the gods friendly to man could be arrayed against the hostile gods, and believed that Shub-Niggurath, Nug, and Yeb, as well as Yig the Serpent-god, were ready to take sides with man against the tyranny and presumption of Ghatanothoa.”(訳: 「ついに彼は、人類に友好的な神々を敵対する神々に対抗させられると確信するに至り、シュブ=ニグラス、ヌグ、イェブ、そして蛇神イグもまた、ガタノトーアの専制と僭越に対して人類の側に立つ用意があると信じた」) — H. P. Lovecraft/Hazel Heald, “Out of the Aeons”(1933年), hplovecraft.com
FAQ
Q. イェブの姿・性別は原作で決まっているのですか。A. 決まっていません。ラヴクラフト自身の原文には姿・性別の描写が一切ありません。球体状・シュブ=ニグラスに似た姿などの造形は、すべて後世の作家・ファンによる付加設定です。
Q. イェブがヨグ=ソトースとシュブ=ニグラスの子というのは確定した設定ですか。A. この系譜は、ラヴクラフトが1933年の私信(書簡617)で戯れに書いたものが出発点です。しかも原文小説どうしの間にも食い違いがあり(「永劫より」と「マウンド」の記述の不一致)、後世の学者・研究者が指摘する未解決の問題として扱うのが適切です。低確度のファン伝聞には「ヨグ=ソトースとニャルラトホテプの子」とする、これと矛盾する異説も孤立して存在します。
Q. TRPGでイェブが「旧支配者」に分類されているのはなぜですか。A. 私信上の系譜では外なる神の子とされる一方、『マレウス・モンストロルム』はゲーム上の都合でヌグ・イェブを「旧支配者」に分類しています。両者は同じ一次資料に基づかない、別々の体系化の産物です。




