概要
ラヴクラフトの「ドリームランド・シリーズ」の総決算であり、彼の夢の国に登場するすべての生物や都市がクロスオーバーする壮大なファンタジーロードムービー。主人公が三度にわたって夢に見ながらも、その手前でいつも目覚めさせられてしまう「黄金に輝く夕映えの都市」[1]への渇望が物語の推進力であり、他のラヴクラフト作品に多い「知ってはならない恐怖」ではなく、「もう一度見たい憧憬」が主人公を突き動かす点で、彼の作品群の中でも異色の位置を占める。
作品情報
- 執筆・発表年: 1926–1927年執筆/1943年発表(死後に出版)
- 主題タグ: 夢の国横断、神々の欺瞞、夕映えの都市
登場神格・用語
あらすじ
ランドルフ・カーターは、夢の中で美しい「夕映えの都市」の幻視を三度見るが、そのたびに目覚めの高台で引き戻され、都市へたどり着くことができない。夢を司る神官ナシュトとカマン=ター、そして夢の国そのものを統べる「地球の神々」は、この都市を訪れることを望まず、彼に警告を与える。彼らが恐れるのは、秩序ある宇宙の外側、知られざる究極の深淵に潜む盲目にして無定形の「他の神々」であり、その意志と声を代弁するのが「這い寄る混沌」ニャルラトホテプであるという[2]。それでもカーターは、地球の神々が住まうという極北の石造城「カダス」を目指し、現実世界から夢の国へと自ら旅立つことを決意する。カダスは雲に覆われ、名状しがたい星々を戴く未知の場所であり、そこには「大いなるものども」が秘める夜の玉座、漆黒のオニキスの城があるとされていた[3]。
カーターは道中、食屍鬼となった旧友の画家ピックマンや、彼が味方につけた猫の軍勢、顔のない「夜鬼」たちと同盟を結び、月の怪生物(月棲獣)やガグといった巨大生物の支配する領域を突破していく。数々の危難を乗り越えてついにカダスの城に到達するが、そこで彼を待っていたのはやはりニャルラトホテプであった。ニャルラトホテプは、カーターが焦がれ続けてきた夕映えの都市の正体が、実は彼自身の幼少期の故郷プロビデンスの記憶そのものであることを明かし、「あなたはただ、幼き日の物思わしげな記憶と幻影へと立ち返りさえすればよいのだ」と告げる[4]。その言葉の直後、ニャルラトホテプはカーターを宇宙の深淵に座す盲目の神アザトースのもとへ突き落として破滅させようとするが、カーターは自らの意志で夢から目覚める(跳躍する)ことで危機を脱し、自身の現実の故郷プロビデンスの美しさをあらためて発見する。
読みどころと注目テーマ
郷愁(ノスタルジー)、夢と現実の統合、神話のクロスオーバーという三点が本作の核となっている。夢の国を舞台にしたそれまでの短編群に登場した猫・食屍鬼・夜鬼・月棲獣といった存在が次々と再登場し、一種の集大成的なロードムービーとして楽しめる一方、終盤でアザトースやニャルラトホテプといった宇宙的恐怖の神々が本格的に介入することで、牧歌的なダンセイニ風幻想譚が唐突に宇宙的恐怖の領域へと接続される。最大の読みどころは、遠い異界を求め続けた冒険の果てに明かされる真実が、実は主人公自身の内側、幼少期の記憶にあったという結末の反転にある。壮大な旅の末に「自分の故郷こそが理想郷だった」と気づく構造は、後年のファンタジー作品にも通じる普遍的なテーマを先取りしている。
執筆背景と影響
1926年秋から1927年1月にかけて、ニューヨークでの不遇な生活を経てプロビデンスに帰郷した直後の時期に執筆された。ラヴクラフト自身は生前この作品を発表しようとせず、草稿のまま手元に置いていたとされ、実際の初出は彼の死後6年を経た1943年、アーカムハウス社の作品集『眠りの壁の彼方』によってである。ロード・ダンセイニのファンタジー世界に強く影響された牧歌的な作風でありながら、終盤にはアザトースやニャルラトホテプといった宇宙的恐怖の神々が登場し、彼の二つの作風(ドリームランドとクトゥルフ神話)が見事に融合している点で、ラヴクラフトの創作史における重要な結節点と位置づけられている。
出典
- [1] “All golden and lovely it blazed in the sunset, with walls, temples, colonnades, and arched bridges of veined marble.”(訳: 「それは黄金に輝く美しい姿で夕陽の中に燃え立っていた。壁も、神殿も、列柱も、脈理大理石のアーチ橋も」) — H. P. Lovecraft, “The Dream-Quest of Unknown Kadath”(1926–1927年執筆/1943年死後発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “…the boundless daemon-sultan Azathoth, whose name no lips dare speak aloud…the gigantic ultimate gods…whose soul and messenger is the crawling chaos Nyarlathotep.”(訳: 「その名を口にする者のない、涯なき魔王アザトース……その巨大にして究極なる神々……その魂にして使者であるのが、這い寄る混沌ニャルラトホテプである」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [3] “…unknown Kadath, veiled in cloud and crowned with unimagined stars, holds secret and nocturnal the onyx castle of the Great Ones.”(訳: 「雲に覆われ、名状しがたき星々を戴く未知なるカダスは、大いなるものどもの秘めたる夜のオニキスの城を抱いている」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [4] “You need only turn back to the thoughts and visions of your wistful boyhood.”(訳: 「あなたはただ、物思わしげな少年時代の思いと幻影へと立ち返りさえすればよいのだ」) — 同上, 公式アーカイブ ↩







