この記事の役割
神一覧を開いた人の多くが、85柱という数に立ち止まる。どれから読めばいいのか、そもそも何が違うのか、名前を眺めるだけでは分からない。
この記事は、有名な神格を五十音順やランキングで並べる記事ではない。「原典にはどう書かれ、後世にどう作り替えられたか」という当サイトの読み方の型が、それぞれ違う形で表れている5柱を選んだ。1柱ずつ読めば、残り80柱をどう読めばいいかが自然と分かるはずだ。
先に断っておくと、この5柱が「強い」「格上」という話ではない。読み方の練習として都合がいい5柱という意味である。
1. クトゥルフ——まず「原典に書かれていること」を知る
クトゥルフから始めるのは、単に一番有名だからではない。原典を読むとは何をすることかを、いちばん素直に体験できるからだ。
「クトゥルフの呼び声」(1926年執筆/1928年発表)を実際に読むと、多くの人がイメージする「タコ顔の巨神」は、語り手ウィルコックスの主観的な比喩——「タコと竜と人間の戯画を同時に見たような姿」[1]——でしかないと分かる。しかも同じラヴクラフトの筆でも、初出作品ではイカに近いものとして語られ、後年の「狂気の山脈にて」「墳丘の怪」ではタコにたとえられており、作者自身の中でも外見は一定していない。
権能もはっきりしている。海底都市ルルイエに幽閉され、星辰が正しき位置に至る日を待ちながら眠り、感受性の強い人間へ夢を送って間接的に影響を及ぼす——これだけである。直接暴れる場面は、船に体当たりされて一度飛び散った肉体が「忌まわしい原形へと霧状に再結合しつつあった」[2]という一節にとどまる。
一方、「クトゥルフはハスターと敵対する水の精の首領」「ダゴンとヒュドラは眷属」というよく知られた設定は、原典執筆から10年以上あとに、オーガスト・ダーレスが体系化したものである。系譜にいたっては、リン・カーター系・ラムレイ系・プライス系など後続作家が個別に組んだ複数の家系図が矛盾したまま並立しており、単一の「正史」は存在しない。
名前の表記そのものにも揺れがある。ラヴクラフト自身は書簡で「Cluh-Luh」に近い発音を説明したが、遺著管理者ロバート・H・バーロウは「Koot-u-lew」と証言しており、作者本人と側近の証言すら食い違ったままだ。日本語表記も、1974年刊『ラヴクラフト傑作集』で訳者・大西尹明が採用した「クトゥルフ」が今日もっとも広く定着しているが、大西自身は「発音されると考えられる許容範囲内で、その最も不自然かつ詰屈たる発音を選んだ」と選定理由を述べており、「クトゥルー」「ク・リトル・リトル」など他の表記も並立してきた。発音一つ取っても「確定した正解」は無い——この感覚は、表記揺れの記事で他の神格・用語にも共通して扱っている。
読み方の型: 「原典に書かれていること」と「後世が足したこと」を分けて読む。この基本形が、残り84柱すべてに共通する当サイトの読み方である。
2. ハスター——三層の違いを、いちばん劇的に体感できる例
ハスターは、クトゥルフ神話の「三層構造」——原典/ダーレス以降/TRPG——を体で理解するのに、これ以上ない教材になる。
ハスターという名前は、そもそもクトゥルフ神話の外で生まれた。最初に使ったのはアンブローズ・ビアスで、1891年の短編「Haïta the Shepherd」に登場する牧人を見守る善神である。次に名前を借りたのがロバート・W・チェンバースで、1895年の『The King in Yellow』では、人物とも地名とも指示対象ともつかない形で使い、同時にカルコサ・黄の印・戯曲『黄衣の王』という意匠を作った。
ラヴクラフト自身がハスターに触れたのは、生涯でただ一度きりである。「闇に囁くもの」の中の一節、「あなたほど神秘学に通じた人物なら、私が彼らをハスターと黄の印に結びつけて言えば理解されるだろう」[3]——これだけだ。姿の描写も、権能も、封印場所も、原典には一切書かれていない。
「神」として確立したのはオーガスト・ダーレスである。 1932年の『潜伏するもの』、1939年の『ハスターの帰還』で、クトゥルフとの対立・四大元素への割り当て・封印場所を導入した。バイアクヘーを乗騎にしたのもダーレスで、その原型はラヴクラフトが別の短編でハスターとは無関係に描いた無名の有翼生物である。
つまり今日「ハスター」として知られる設定のほとんどは、善神(ビアス)→符牒(チェンバース)→一言の言及(ラヴクラフト)→神格としての体系化(ダーレス)という、4人の作家を経た積み重ねの結果でしかない。
この積み重ねの不自然さを、後年の研究者自身が指摘してもいる。ラヴクラフト研究者ロバート・M・プライスは、ハスターが「風の精」とされながら水棲生物の特徴も併せ持つという性質の一貫性のなさと、他の旧支配者と違って人類に助力しすぎる性格を挙げ、本来はクトゥルフの好敵手というより「旧神」のカテゴリに置くべきだったのではないかと論じている[4]。体系化した側からも「無理がある」と指摘される神格というのは、5柱の中でもハスターだけの特徴である。
読み方の型: 「誰が」「いつ」「何を足したか」を1柱の中で時系列に辿ると、三層構造がスライドではなく実例として理解できる。
3. ニャルラトホテプ——ラヴクラフトが繰り返し使った、数少ない神格
ニャルラトホテプは、他の外なる神・旧支配者の多くが人類に無関心なのに対し、唯一、人間と直接言葉を交わす神格として特異な位置にある。ラヴクラフト自身が言及したとされる作品は6作を数え、これは他のどの神格よりも多い。
それでいて、姿は作品ごとにまったく違う。散文詩「ニャルラトホテプ」(1920年)ではファラオを思わせる長身の男、「魔女の家の夢」では髪も髭もない黒衣の「黒い男」、「暗闇の悪魔」では黒い翼を持つ「闇の跳梁者」——一貫した造形を持たないこと自体が、この神格の性質と結びついている。
唯一の対話場面は『未知なるカダスを夢に求めて』にある。ランドルフ・カーターに自ら名乗る場面が、後年広まった「千の貌を持つ神」という異名の典拠として引用されてきた(この場面の英語原文は本記事の調査範囲では確認できておらず、日本語の二次資料に基づく紹介であることを断っておく)。同作の結末では、白髪のノーデンスが焼き払う光でニャルラトホテプの追跡を阻んだあと[5]、目的を挫かれたニャルラトホテプは黒曜石の城へ不機嫌に帰還し、居合わせた地上の神々に当たり散らしたと描かれる[6]——全能に見える神が人間臭い苛立ちを見せる、数少ない場面である。
姿が一貫しない傾向は、後世の設定でさらに加速している。TRPG公式設定資料集『マレウス・モンストロルム』は、「暗夜に吠える者」「黒きファラオ」「無貌の神」「夜魔」など複数の化身を、それぞれ別の姿・権能を持つ存在として個別に列挙している。原典の時点で姿が定まらなかった神格が、後年になるほど「化身の数」という形でさらに増殖していったことになる。
日本のポップカルチャーでの扱われ方も対照的だ。原典の陰惨な「這い寄る混沌」像とは裏腹に、アニメ『這いよれ!ニャル子さん』(2012年)では女子高生風の陽気なキャラクターとして描かれている。
読み方の型: 「原典での扱われ方の一貫性」と「後世の受容のされ方」は別軸で見る。1柱の中で「原典は暗い」「大衆文化では明るい」という両方が同時に成り立つことがある。
4. ヨグ=ソトース——姿を持たない、もっとも抽象的な神格
ヨグ=ソトースは、特定の場所や姿ではなく、時空そのものと同一視される。「ダニッチの怪」でネクロノミコンから引かれる一節は、こう告げる。
「ヨグ=ソトースは門を知る。ヨグ=ソトースは門である。ヨグ=ソトースは門の鍵にして守護者である。過去も現在も未来も、すべてヨグ=ソトースにおいて一つである」[7]
同じ「ダニッチの怪」には、もう一節ある。
「旧きものたちは、あった、いる、そしてあるであろう。我々の知る空間の中にではなく、その狭間に、彼らは悠然と原初のままに歩む——次元を持たず、我々の目には見えぬままに」[8]
この二つの引用が示すのは、ヨグ=ソトースが単なる「見えない神」ではなく、我々の知る空間や時間の「外側」「狭間」という、座標そのものを住処にする神格として書かれていることだ。姿かたちを持つクトゥルフやニャルラトホテプと並べて読むと、この抽象度の差がよく分かる。クトゥルフ神話の「怪物」は、必ずしも触手と鱗を持つ生物ではなく、概念そのものが神格化されている場合があるという好例である。
読み方の型: 神格を「姿を持つもの」だけで想像しない。原典を実際に読むと、見た目のイメージが後付けであるケースは1柱だけではない。
5. シュブ=ニグラス——原典で一度も「描写」されたことがない
シュブ=ニグラスは、5柱の中でもっとも逆説的な例である。「千匹の仔を孕みし森の黒山羊」という異名は広く知られているのに、原典でその姿が直接描かれたことは一度もない。
「闇に囁くもの」の蓄音機録音に記録されているのは、呪文の中の呼びかけ——「イアッ!シュブ=ニグラス!千匹の仔を孕みし森の黒山羊よ!」[9]——だけである。木々のざわめきや獣の遠吠えといった間接的な気配としてのみ、その存在が感知される。
今日広く知られる、触手と山羊脚を持つ樹木状の怪物というイメージは、ラヴクラフト自身が書いたものではない。原典の空白を、後続の神話作家たちが埋めた結果である。
姿だけでなく、分類そのものも資料によって割れている。 クトゥルフ神話TRPGでは外なる神に分類される一方、体系化したオーガスト・ダーレス自身は旧支配者に分類しており、後世の資料間で一貫していない。「原典に書かれていない神格」は、姿だけでなく所属する分類枠すら後世の資料ごとに揺れる、という好例でもある。
読み方の型: 「広く知られたイメージ」と「原典に実際に書かれていること」の間には、ときに何も橋渡しがない。むしろ「何も描かれていない」こと自体が、原典を読む価値になる。
5柱を読んで分かること
5柱に共通するのは、「今よく知られている姿」のほとんどが、ラヴクラフト以降の誰かによる上書きだという一点である。クトゥルフは外見が作品ごとに揺れ、ハスターは4人の作家を経て神格化され、ニャルラトホテプは姿を持たず、ヨグ=ソトースは最初から概念であり、シュブ=ニグラスは一度も直接描かれていない。
当サイトの神格記事が、見出しを「概要」で終わらせず「原典での描写」「ダーレス以降の変化」「TRPGでの扱い」と層を分けて書いているのは、この上書きの積み重なりを読者に見えるようにするためである。5柱を読み終えたら、その型を持って残りの神格記事へ進んでほしい。
次に読むなら
- 神一覧——85柱を分類別に引く — 全85柱を三層(原典・ダーレス以降・TRPG)で分類した索引
- 旧支配者・外なる神・旧神——神格の分類用語を整理する — この記事で繰り返し出てきた分類用語そのものの意味
- 三層で読み解くクトゥルフ神話 — 「原典/ダーレス以降/TRPG」という当サイト全体の読み方の総論
- どこから始めるか——初心者向けクトゥルフ神話の読書ルート — 神格記事以外(原典小説そのもの)から入りたい人向けの入口
出典
引用は、各神格の個別記事(脚注つき)からの再録である。原文・出典の詳細はリンク先の記事も参照。
- [1] “A sort of monster, or symbol representing a monster, of a form which only a diseased fancy could conceive. If I say that my somewhat extravagant imagination yielded simultaneous pictures of an octopus, a dragon, and a human caricature, I shall not be unfaithful to the spirit of the thing.”(訳: 「病んだ想像力のみが思い描き得るような、一種の怪物、あるいは怪物を表す象徴。いくらか大仰な私の想像力が、タコと竜と人間の戯画とを同時に思い描いたと言っても、そのものの本質を裏切ることにはならないだろう」) — H. P. Lovecraft, “The Call of Cthulhu”(1926年執筆/1928年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “The scattered plasticity of that nameless sky-spawn was nebulously recombining in its hateful original form, whilst its distance widened every second as the Alert gained impetus from its mounting steam.”(訳: 「その名状しがたき天空の落し子の、飛び散った可塑的な肉体は、忌まわしい原形へと朧げに再結合しつつあった。その間にも、蒸気機関の勢いを増すアラート号との距離は刻一刻と広がっていった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [3] “There is a whole secret cult of evil men (a man of your mystical erudition will understand me when I link them with Hastur and the Yellow Sign) devoted to the purpose of tracking them down and injuring them on behalf of monstrous powers from other dimensions.”(訳: 「邪悪な人間たちからなる秘密結社がまるごと存在する(あなたほど神秘学に通じた人物なら、私が彼らをハスターと黄の印に結びつけて言えば理解されるだろう)。彼らを追跡し、他次元の怪物的な力に代わって傷つけることに捧げられた結社だ」) — H. P. Lovecraft, “The Whisperer in Darkness”(1930年執筆/1931年発表), H.P. Lovecraft.com ↩
- [4] Robert M. Price, “Hastur—Whose Side is He On?”, *Crypt of Cthulhu* 第6号(1982年6月)。プライスの主張の要約は、同論考を典拠として記す「ハスター」記事の記述に基づく(論考本文は未照合) ↩
- [5] “And hoary Nodens raised a howl of triumph when Nyarlathotep, close on his quarry, stopped baffled by a glare that seared his formless hunting-horrors to grey dust.”(訳: 「そして白髪のノーデンスは勝利の雄叫びを上げた。獲物に迫っていたニャルラトホテプが、その不定形の狩りの怪物どもを灰色の塵へと焼き払う閃光に阻まれ、立ち尽くした時に」) — H. P. Lovecraft, “The Dream-Quest of Unknown Kadath”(1926〜27年執筆/1943年発表), H.P. Lovecraft.com ↩
- [6] “the crawling chaos Nyarlathotep strode brooding into the onyx castle atop unknown Kadath in the cold waste, and taunted insolently the mild gods of earth whom he had snatched abruptly from their scented revels in the marvellous sunset city.”(訳: 「這い寄る混沌ニャルラトホテプは、不機嫌に思い沈みながら、冷たき荒野に聳える未知なるカダスの黒曜石の城へと戻り、あの見事な夕焼けの都での香り高き宴から不意に連れ去ってきた、地上の温和な神々に対して横柄に当たり散らした」) — 同上, H.P. Lovecraft.com ↩
- [7] “Yog-Sothoth knows the gate. Yog-Sothoth is the gate. Yog-Sothoth is the key and guardian of the gate. Past, present, future, all are one in Yog-Sothoth. He knows where the Old Ones broke through of old, and where They shall break through again.”(訳: 「ヨグ=ソトースは門を知る。ヨグ=ソトースは門である。ヨグ=ソトースは門の鍵にして守護者である。過去も現在も未来も、すべてヨグ=ソトースにおいて一つである。彼は旧きものたちがかつて突破した場所を知り、彼らが再び突破する場所をも知っている」) — H. P. Lovecraft, “The Dunwich Horror”(1928年執筆/1929年発表)、劇中でネクロノミコンから引かれる一節 ↩
- [8] “The Old Ones were, the Old Ones are, and the Old Ones shall be. Not in the spaces we know, but between them, They walk serene and primal, undimensioned and to us unseen.”(訳: 「旧きものたちは、あった、いる、そしてあるであろう。我々の知る空間の中にではなく、その狭間に、彼らは悠然と原初のままに歩む——次元を持たず、我々の目には見えぬままに」) — 同上 ↩
- [9] “Iä! Shub-Niggurath! The Black Goat of the Woods with a Thousand Young!”(訳: 「イアッ!シュブ=ニグラス!千匹の仔を孕みし森の黒山羊よ!」) — H. P. Lovecraft, “The Whisperer in Darkness”(1930年執筆/1931年発表)、蓄音機録音の場面 ↩



