書籍(邦訳文庫・アンソロジー、新潮文庫「STAR CLASSICS 名作新訳コレクション」、2026年8月28日発売) — The Dream-Quest of Unknown Kadath (Shinchosha Bunko)

未知なるカダスを夢に求めて(新潮文庫)

新潮社が2026年8月28日に発売した南條竹則編訳『未知なるカダスを夢に求めて』は、2019年の『インスマスの影』から続く新訳ラヴクラフト選集全5冊の最終巻。表題作ほか9編を収録するが、原典で「夢の国」の名を負う話は実質1編にとどまる。5冊の公式目次からカーターとドリームランドの散らばり方を確認する。

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新潮文庫『未知なるカダスを夢に求めて』(南條竹則訳)。本記事で扱った文庫本そのもの。

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概要

新潮社は2026年8月28日、H・P・ラヴクラフト著・南條竹則編訳『未知なるカダスを夢に求めて』を新潮文庫「Star Classics 名作新訳コレクション」の1冊として発売した。定価781円(税込)、320ページ、ISBN 978-4-10-240145-3。電子版も同日配信を開始している[1][3]。

同日配信の公式プレスリリースは、この巻を「闇の巨匠ラヴクラフトの新訳選集、最終巻」と位置づけている。2019年に刊行した『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』が「新潮文庫でラヴクラフトが読めるのか!」と迎えられて以来、『狂気の山脈にて』『アウトサイダー』『チャールズ・デクスター・ウォード事件』と続いてきた南條竹則の新訳選集が、今回で完結するという発表である[2]。表題作は当サイトで既に扱った長編で、原典そのものの筋立てと出典はそちらの記事に譲る。この記事では、書籍そのものが「何を収め、選集のどこに立つか」だけを追う。

どんな作品か

本書の目次は次の9編である[1]。

1. 霊廟2. 眠りの壁の向こう3. あの男4. 冷気5. 記憶6. 忘却より7. サルナスに訪れし破滅8. イラノンの探求9. 未知なるカダスを夢に求めて

巻末には編訳者解説が置かれる[1]。hplovecraft.com公式年譜「Lovecraft’s Fiction」で執筆時期を確認すると、収録作は1917年(The Tomb)から1926〜27年(The Dream-Quest of Unknown Kadath)まで、約10年にまたがっている[8]。新潮社の紹介文は表題作について「奇怪な神や魔の眷族がひしめき合う、クトゥルー神話の真骨頂たる表題作」と紹介し、あわせて英文学への思慕がにじむ「霊廟」、大都会ニューヨークへの失望を刻む「あの男」の2編を名指しで挙げている[1][2]。

「霊廟」という邦題が原典のどの作品に対応するかは、公式ページに英題の記載がない。ただし紹介文が触れる「英文学への思慕」という筋は、当サイトの「墓」の記事で確認した1917年作『The Tomb』――没落した英国風の一族の霊廟に語り手が取り憑かれていく物語――の内容とよく符合する。この対応関係を明記した資料は今回参照した範囲になく、当サイトは作品内容の一致からの推定にとどめる。「あの男」「冷気」「記憶」「忘却より」「サルナスに訪れし破滅」「イラノンの探求」の6編は、当サイトの既存記事の英題・粗筋と照合でき、それぞれ『He』『Cool Air』『Memory』『Ex Oblivione』『The Doom That Came to Sarnath』『The Quest of Iranon』に一致する[8]。

目次を数える——「ドリームランド系」は何編か

この巻の中心が表題作にあることは動かない。だが収録9編のうち、原典の地の文で「夢の国」の語を負う作品がどれだけあるかを数えると、印象より少ない。

表題作「未知なるカダスを夢に求めて」は、当サイトの「夢の国」の記事で確認した通り、単数形”dreamland”、”land of dream”、複数形”dreamlands”、”land of dreams”を合わせて39例使う、この語の用例が最も集中した作品である[9]。ただし同じ記事が指摘する通り、これらはいずれも普通名詞としての言い回しであり、「Dreamlands」という体系名としての固有名詞表記は原典自体には出てこない。

「忘却より」も夢の国の語を含む。hplovecraft.com公式アーカイブの本文を確認すると、”Therein were written many things concerning the world of dream, and among them was lore of a golden valley and a sacred grove with temples, and a high wall pierced by a little bronze gate.”(訳: 「その中には夢の世界にまつわる多くの事柄が記されており、そこには黄金の谷と、神殿を持つ聖なる木立、そして小さな青銅の門を穿たれた高い壁の伝承があった」)という一文がある[10]。ここで使われる語は”world of dream”で、表題作の”dreamlands”とは別の言い回しである。同じ主題を語るのに、ラヴクラフトは作品ごとに違う言葉を当てていたことになる。

「イラノンの探求」は、当サイトの記事が「夢の国を舞台に据える」と分類する一方、本文中に「夢の国」に相当する語が直接登場するわけではない。この分類は、舞台のセレファイスや語り口の近さから当サイトが下した位置づけであって、原典の地の文がそう名指しているわけではない。「サルナスに訪れし破滅」に至っては、当サイトの記事は舞台をムナールの地という独立した地誌として扱い、夢の国を関連語に挙げていない。「眠りの壁の向こう」「あの男」「冷気」「記憶」「霊廟」の5編は、そもそも夢の国とは別の主題――精神感応、都市への嫌悪、医学的恐怖、失われた文明への哀惜、家系の因縁――を扱う作品である。

9編のうち、原典自体が夢の国の語を使うのは表題作と「忘却より」の2編、当サイトの分類も含めて夢の国に連なると言えるのは「イラノンの探求」を加えた3編にとどまる。残る6編は、ドリームランドとは別の関心で書かれた作品だ。この巻を「ドリームランドの本」と呼ぶのは、正確には言い過ぎになる。

副題が消えた5冊目——「クトゥルー神話傑作選」というくくり方

新潮社のこの選集は、当サイトが今回確認した限り5冊で構成される。

1. 『インスマスの影―クトゥルー神話傑作選―』 2019年7月26日発売、990円、全7編(異次元の色彩/ダンウィッチの怪/クトゥルーの呼び声/ニャルラトホテプ/闇にささやくもの/暗闇の出没者/インスマスの影)[4]2. 『狂気の山脈にて―クトゥルー神話傑作選―』 2020年11月30日発売、990円、全8編(ランドルフ・カーターの陳述/ピックマンのモデル/エーリッヒ・ツァンの音楽/猟犬/ダゴン/祝祭/狂気の山脈にて/時間からの影)[5]3. 『アウトサイダー―クトゥルー神話傑作選―』 2022年7月28日発売、693円、全15編(アウトサイダー/無名都市/ヒュプノス/セレファイス/アザトホート/ポラリス/ウルタルの猫/べつの神々/恐ろしき老人/霧の高みの奇妙な家/銀の鍵/名状しがたいもの/家の中の絵/忌まれた家/魔女屋敷で見た夢)[6]4. 『チャールズ・デクスター・ウォード事件』 2025年4月23日発売、990円、全6編(壁の中の鼠/潜み棲む恐怖/レッド・フックの怪/彼方より/戸口にいたもの/チャールズ・デクスター・ウォード事件)[7]5. 『未知なるカダスを夢に求めて』 2026年8月28日発売、781円、全9編(本記事の対象)[1]

ここで公式ページの書名表記そのものに目を引く違いがある。1〜3冊目は書名に「―クトゥルー神話傑作選―」という副題を明記しているのに対し、4冊目と5冊目の公式書誌情報には、この副題が確認できない。両冊とも、確認できるシリーズ名は上位区分の「Star Classics 名作新訳コレクション」だけである[1][7]。「クトゥルー神話傑作選」という枠を編集側がいつまで名乗るかは、5冊を通して一定ではなかったことになる。何を「クトゥルー神話」の1冊として売るかという線引きが、原作の内容以前に、出版側の編集判断でも揺れていたことを示す一例だ。

この5冊を、ランドルフ・カーターとドリームランドという軸で見直すと、収録作は1冊に集約されていない。カーターが初めて登場する「ランドルフ・カーターの陳述」は2冊目に、カーターの半生を描く「銀の鍵」は3冊目に、そしてカーターがカダスを目指す表題作は5冊目に置かれている。夢の国の都市セレファイスも、3冊目の短編「セレファイス」と5冊目の「イラノンの探求」の両方に顔を出す。カーターの物語もドリームランドの物語も、5冊全体に分散して、初めて像を結ぶ構成になっている。

原典との距離(神話の三層のどこに立つか)

収録9編は、いずれもラヴクラフト自身が1917年から1926〜27年にかけて執筆した作品であり、当サイトの区分で言えば第1層(原典)に属する。編訳者による翻訳という体裁上の違いはあっても、これらの作品自体を後世の拡張や翻案として扱う理由はない。

一方で、この巻を含む選集全体が背負っている「クトゥルー神話傑作選」という括り方そのものは、原典が自称した体系ではない。当サイトの「『クトゥルフ神話』という呼称の成立」の記事で確認した通り、ラヴクラフト自身は自らの作品世界を諧謔を込めて「ヨグ=ソトーサリー」と呼んでおり、「クトゥルフ神話」という名称自体は彼の死後、オーガスト・ダーレスが命名したものである。ダーレス自身も1969年の論考で「ラヴクラフトは一度もそう呼んだことはない」と認めている。

この巻に即して言えば、事情はもう一段込み入っている。ドリームランドを舞台にした作品(未知なるカダスを夢に求めて、忘却より、イラノンの探求)と、クトゥルフやニャルラトホテプが登場する作品(インスマスの影、狂気の山脈にてなど)は、原典の中では別の系統として書かれている。両者を1つの「クトゥルー神話傑作選」という棚に並べたのは、ダーレス以降(第2層)に一般化した、後世の編集上の統合である。今回確認できた通り、この統合の看板は新潮社自身の選集でさえ5冊のうち3冊にしか付いておらず、残る2冊――チャールズ・デクスター・ウォード事件とこの未知なるカダスを夢に求めて――は、確認できる書誌情報の上では「クトゥルー神話傑作選」を名乗っていない。原典が持たなかった体系名を、後世の読者や版元がどこまで、どういう基準で当てはめるかという線引き自体が、今も定まっていないことをこの巻は示している。

関連して読むなら

出典

  • [1] 新潮社公式書籍ページ「『未知なるカダスを夢に求めて』 H・P・ラヴクラフト、南條竹則」(2026年9月9日取得)。発売日「2026/08/28」、定価「781円(税込)」、ISBN「978-4-10-240145-3」、頁数「320ページ」、シリーズ名「Star Classics 名作新訳コレクション」、目次(霊廟/眠りの壁の向こう/あの男/冷気/記憶/忘却より/サルナスに訪れし破滅/イラノンの探求/未知なるカダスを夢に求めて/編訳者解説)、紹介文「奇怪な神や魔の眷族がひしめき合う、クトゥルー神話の真骨頂たる表題作をはじめ、英文学への思慕を籠めた『霊廟』、大都会ニューヨークへの失望を刻む『あの男』など九編を収録」を確認。https://www.shinchosha.co.jp/book/240145/ ↩
  • [2] 新潮社プレスリリース「闇の巨匠ラヴクラフトの新訳選集、最終巻。H・P・ラヴクラフト著・南條竹則編訳『未知なるカダスを夢に求めて』、8月28日発売!」PR TIMES配信(2026年8月28日)。「2019年に刊行した『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』は『新潮文庫でラヴクラフトが読めるのか!』と驚きをもって多くの読者に迎えられました」「ご好評に応えるかたちで、『狂気の山脈にて』『アウトサイダー』『チャールズ・デクスター・ウォード事件』を刊行」「今回刊行の『未知なるカダスを夢に求めて』で遂に完結となります」の記載を確認。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003215.000047877.html ↩
  • [3] 新潮社電子書籍ページ「未知なるカダスを夢に求めて(新潮文庫)」(2026年9月9日取得)。電子書籍配信開始日「2026/08/28」(紙版と同日)、価格「781円(税込)」を確認。https://ebook.shinchosha.co.jp/book/E067861/ ↩
  • [4] 新潮社公式書籍ページ「『インスマスの影―クトゥルー神話傑作選―』 H・P・ラヴクラフト、南條竹則」(2026年9月9日取得)。発売日「2019/07/26」、定価「990円(税込)」、目次(異次元の色彩/ダンウィッチの怪/クトゥルーの呼び声/ニャルラトホテプ/闇にささやくもの/暗闇の出没者/インスマスの影)を確認。https://www.shinchosha.co.jp/book/240141 ↩
  • [5] 新潮社公式書籍ページ「『狂気の山脈にて―クトゥルー神話傑作選―』 H・P・ラヴクラフト、南條竹則」(2026年9月9日取得)。発売日「2020/11/30」、定価「990円(税込)」、目次(ランドルフ・カーターの陳述/ピックマンのモデル/エーリッヒ・ツァンの音楽/猟犬/ダゴン/祝祭/狂気の山脈にて/時間からの影)を確認。https://www.shinchosha.co.jp/book/240142 ↩
  • [6] 新潮社公式書籍ページ「『アウトサイダー―クトゥルー神話傑作選―』 H・P・ラヴクラフト、南條竹則」(2026年9月9日取得)。発売日「2022/07/28」、定価「693円(税込)」、目次(アウトサイダー/無名都市/ヒュプノス/セレファイス/アザトホート/ポラリス/ウルタルの猫/べつの神々/恐ろしき老人/霧の高みの奇妙な家/銀の鍵/名状しがたいもの/家の中の絵/忌まれた家/魔女屋敷で見た夢)を確認。https://www.shinchosha.co.jp/book/240143 ↩
  • [7] 新潮社公式書籍ページ「『チャールズ・デクスター・ウォード事件』 H・P・ラヴクラフト、南條竹則」(2026年9月9日取得)。発売日「2025/04/23」、定価「990円(税込)」、目次(壁の中の鼠/潜み棲む恐怖/レッド・フックの怪/彼方より/戸口にいたもの/チャールズ・デクスター・ウォード事件/編訳者解説)、シリーズ名「Star Classics 名作新訳コレクション」を確認。書名に「クトゥルー神話傑作選」の副題が付されていないことを確認。https://www.shinchosha.co.jp/book/240144 ↩
  • [8] “Lovecraft’s Fiction”(作品年譜)The H. P. Lovecraft Archive(2026年9月9日取得)。「霊廟」対応作と推定する The Tomb(June 1917)、「眠りの壁の向こう」対応作 Beyond the Wall of Sleep(1919)、「あの男」対応作 He(11 August 1925)、「冷気」対応作 Cool Air(March 1926)、「記憶」対応作 Memory(1919)、「忘却より」対応作 Ex Oblivione(1920/21)、「サルナスに訪れし破滅」対応作 The Doom That Came to Sarnath(3 December 1919)、「イラノンの探求」対応作 The Quest of Iranon(28 February 1921)、表題作 The Dream-Quest of Unknown Kadath(Autumn? 1926–22 January 1927)の執筆時期を確認。https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/ ↩
  • [9] 当サイト「夢の国」記事および、H. P. Lovecraft, “The Dream-Quest of Unknown Kadath”(1926–1927年執筆/1943年発表)。”…whether it be in the dreamlands around our world, or in those surrounding some unguessed companion of Fomalhaut or Aldebaran.”の用例を含む、dreamland系の語が単数形30例・land of dream 6例・複数形dreamlands 2例・land of dreams 1例、計39例使われていることを確認。https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/dq.aspx ↩
  • [10] H. P. Lovecraft, “Ex Oblivione”(1920/21年執筆、1921年発表)。”Therein were written many things concerning the world of dream, and among them was lore of a golden valley and a sacred grove with temples, and a high wall pierced by a little bronze gate.”の記載を確認。https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/eo.aspx ↩

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