概要
クトゥルフ神話を題材にしたTRPGやゲームに触れたことがあれば、「クトゥルフ陣営」と「ハスター陣営」が対立するという設定を一度は目にしているはずだ。水を統べる眠れる邪神と、風を統べる黄衣の王。両者は宿敵として、しばしば同じ作品の中で並べて語られる。
だがH・P・ラヴクラフトの小説そのものには、この対立を描いた場面が一つもない。クトゥルフとハスターが同じ物語に登場したことすらなく、両者を結びつける記述自体が原典に存在しないのである。「敵同士」という関係は、いつ、誰の手で生まれたのか。
原典のハスター──借用された名前、一度きりの言及
ハスターという名前は、ラヴクラフトの創造物ではない。最初に世に出したのはアンブローズ・ビアスで、1891年の短編「Haïta the Shepherd」に「牧人の神ハスター」として登場する[1]。ここでのハスターは、対立や闘争とは無縁の、牧人を見守る善神だった。
この名前を怪奇小説の固有名として転用したのがロバート・W・チェンバースである。1895年の短編集『The King in Yellow』で、チェンバースはハスターをカルコサや黄の印と緩やかに結びつけて用いたが、それらは人物・地名・正体不明の指示対象として作品ごとに姿を変え、一貫した神格として体系化されてはいない[2]。
ラヴクラフト自身がハスターに触れたのは、1930年執筆・1931年発表の「闇に囁くもの」でのただ一度だけだ。「あなたほど神秘学に通じた人物なら、私が彼らをハスターと黄の印に結びつけて言えば理解されるだろう」という一文があるのみで、ハスターが何者であるかは説明されない[3]。人物なのか、地名なのか、それとも神格なのか——原典が語るのはここまでで、クトゥルフとの関係を示す記述はどこにもない。
原典のクトゥルフ──対立する相手のいない眠れる神
一方のクトゥルフは、1926年執筆・1928年発表の「クトゥルフの呼び声」で、南太平洋の海底都市ルルイエに幽閉され、星辰が正しき位置に至る日を待ちながら眠り続ける姿で描かれる[4]。物語を通じて彼が直接活動する場面はほとんどなく、眠りの中から感受性の強い人間へ夢を送り、精神に影響を及ぼすという間接的な脅威として語られる[5]。
この原典にも、ハスターと同様、敵対する相手についての記述はない。クトゥルフは誰かと対立する存在としてではなく、時が来るのを待つ孤独な存在として描かれている。
ダーレスの再設計──四大元素説と善悪二元論
この二柱を「敵同士」に配置したのは、ラヴクラフトの死後、その遺稿を整理・出版したオーガスト・ダーレスだった。ダーレスは短編「The Return of Hastur」(1939年)などで、旧支配者たちを火・水・地・風の四大元素に結びつける「四大元素説」を導入し、クトゥルフを水の精、ハスターを風の精として両者を対立させた[6]。さらにダーレスは、善なる「旧神」が悪しき「旧支配者」を打ち倒し封印したという、キリスト教的な善悪二元論の構図を持ち込んだ[7]。
この体系化は、そのまま受け入れられてきたわけではない。ダーレスが持ち込んだ旧神/旧支配者の善悪二元論に否定的な読者は、ダーレス関与後の設定群を「ダーレス神話」と呼び、ラヴクラフト自身の作品群を指す「原神話」「ラヴクラフト神話」と明確に区別してきた[7]。対立構図が広く普及した現在でも、この区別は生きている。
TRPGへの継承──陣営対立として定着
1981年にケイオシアム社が発売したTRPG『クトゥルフの呼び声』以降、この対立構図はゲームという新しい媒体でさらに強化されていく。『マレウス・モンストロルム』のような設定資料集は、ダーレスが敷いた対立の骨格を踏まえたうえで、神格ごとのステータスや信仰圏を数値化・カタログ化し、プレイヤーが扱いやすい「陣営」として整理し直した。原典が示さなかった対立が、ゲーム上の駒として動かせる関係へと形を変えたのである。
まとめ──「敵同士」はダーレスの発明である
クトゥルフとハスターの対立は、ラヴクラフトが書いたものではない。1891年のビアスの善神と、1926年のラヴクラフトの眠れる邪神は、本来なら交わる場面すら持たない二つの創作だった。両者を四大元素の対立軸に乗せ、善悪二元論の枠組みで向かい合わせたのは、1939年前後のダーレスである。
この対立構図自体が、原典・ダーレス系拡張・TRPG設定という三層構造の分かりやすい実例になっている。原典には存在せず、後継作家が体系化のために持ち込み、TRPGがゲームとして仕上げた——「敵同士」という設定は、神話が積み重なってきた歴史そのものの足跡なのである。
出典
- [1] “He rose with the sun and went forth to pray at the shrine of Hastur, the god of shepherds, who heard and was pleased.”(訳: 「彼は日の出とともに起き、牧人の神ハスターの祠へ祈りを捧げに出向いた。神はそれを聞き届け、喜ばれた」) — Ambrose Bierce, “Haïta the Shepherd” (1891), American Literature ↩
- [2] “I cannot forget Carcosa where black stars hang in the heavens.”(訳: 「黒い星々が天に懸かるカルコサを、私は忘れることができない」) — Robert W. Chambers, “The Repairer of Reputations”, The King in Yellow (1895), Project Gutenberg eBook #8492 ↩
- [3] “There is a whole secret cult of evil men (a man of your mystical erudition will understand me when I link them with Hastur and the Yellow Sign) devoted to the purpose of tracking them down and injuring them on behalf of monstrous powers from other dimensions.”(訳: 「邪悪な人間たちからなる秘密結社がまるごと存在する(あなたほど神秘学に通じた人物なら、私が彼らをハスターと黄の印に結びつけて言えば理解されるだろう)。彼らを追跡し、他次元の怪物的な力に代わって傷つけることに捧げられた結社だ」) — H. P. Lovecraft, “The Whisperer in Darkness” (1930年執筆/1931年発表), 公式アーカイブ ↩
- [4] “When the stars were right, They could plunge from world to world through the sky; but when the stars were wrong, They could not live.”(訳: 「星辰が正しき位置にあるとき、彼らは天空を通って世界から世界へと飛び移ることができた。だが星辰が正しからぬとき、彼らは生きることができなかった」) — H. P. Lovecraft, “The Call of Cthulhu”(1926年執筆/1928年発表), 公式アーカイブ ↩
- [5] “When, after infinities of chaos, the first men came, the Great Old Ones spoke to the sensitive among them by moulding their dreams; for only thus could Their language reach the fleshly minds of mammals.”(訳: 「無限の混沌の後に最初の人類が現れたとき、旧支配者たちは感受性の強い者たちに、その夢を形づくることで語りかけた。そうすることによってのみ、彼らの言葉は哺乳類の肉なる心に届き得たからである」) — H. P. Lovecraft, “The Call of Cthulhu”(1926年執筆/1928年発表), 公式アーカイブ ↩
- [6] ダーレスは「The Return of Hastur」劇中の登場人物に、旧支配者たちを地・水・風・火の四元素に結びつける説明を語らせている。同作は「Great Cthulhu is of the Water Beings, even as Hastur is of the Beings that stalk the star-spaces」(訳: 「大いなるクトゥルフは水の眷属に属し、ハスターもまた星間を彷徨う眷属に属する」)と記す — August Derleth, “The Return of Hastur”, Weird Tales 1939年3月号(識別子 Weird_Tales_v33n03_1939-03)、archive.org。ダーレスはのちの評論でこの対応をさらに明示し、「Great Cthulhu, dweller in hidden R’lyeh deep in the sea—correspond[s] to a water-elemental; Hastur the Unspeakable, who occupies the air and interstellar spaces—correspond[s] to an air-elemental」(訳: 「隠れたルルイエの深海に棲む大いなるクトゥルフは水のエレメンタルに相当し、大気と星間を占めるハスター・ザ・アンスピーカブルは風のエレメンタルに相当する」)と述べた — August Derleth, “H. P. Lovecraft and His Work”(1963年)からの引用、S. T. Joshi, “Review of A Look Behind the Derleth Mythos, by John Haefele”, stjoshi.org ↩
- [7] 「The Return of Hastur」の劇中で、ダーレスは神話の存在を「the Old or Ancient Ones, the Elder Gods, of cosmic good, and those of cosmic evil」(訳: 「古き者たち、旧神は宇宙的な善であり、対する者たちは宇宙的な悪である」)と二分して語らせている — August Derleth, “The Return of Hastur”, Weird Tales 1939年3月号(識別子 Weird_Tales_v33n03_1939-03)、archive.org。この善悪二元論はラヴクラフト自身の作品には見られない。S. T. Joshiは書評の中で「Do Elder Gods—benign gods eager and willing to assist humanity against the “evil” Old Ones—exist in Lovecraft? It does not appear so」(訳: 「人類に味方する善良な神々としての『旧神』は、ラヴクラフトの作品に存在するか。存在しないようだ」)と述べ、「旧神」という対概念自体がダーレスの持ち込みだと指摘している。この違いを踏まえ、ダーレス関与後の設定群を「ダーレス神話」、ラヴクラフト自身の作品群を「原神話」と呼び分ける用法が読者・研究者の間に定着した — S. T. Joshi, “Review of A Look Behind the Derleth Mythos, by John Haefele”, stjoshi.org ↩




