味わいで選ぶという方法
ラヴクラフト作品には、どこから読んでもよい自由さがある。とはいえ「たくさんあってどれが自分に合うか分からない」というのもよくある悩みで、そこで発表順や難易度ではなく、作品の味わいから選ぶという切り口を置く。
大きく分けると、宇宙SF系・怪奇伝奇系・幻夢境(ドリームランド)系の三つの傾向がある。一作の中に複数の要素が混ざることも多いので厳密な区分ではないが、「どの味わいに惹かれるか」を手がかりにすると、自分向けの入口が見つけやすい。
入口そのものを選びかねている場合は「どこから始めるか」を先に見てほしい。この記事は、そこで「好みのタイプから選ぶ」を選んだ人向けの続きにあたる。
タイプ1: 宇宙SF系 ── 科学と宇宙的恐怖
宇宙や科学の知見を背景に、人間の卑小さを描くタイプ。クトゥルフ神話の代名詞である「宇宙的恐怖」が最も前面に出る系統で、SF好きに響く。
| 作品 | 読みどころ |
|---|---|
| 宇宙からの色 | 隕石とともにもたらされた、地球のどんな色とも違う「色」が農場を静かに蝕む。SF的発想が際立ち、入門作としても読みやすい |
| クトゥルフの呼び声 | 神話全体の起点。断片的な資料をつなぎ合わせるうちに、深海に眠る存在の輪郭が浮かぶ |
| 狂気の山脈にて | 南極探検隊が人類以前の文明の痕跡に遭遇する中編。地球の歴史そのものを揺るがす規模 |
| 時間からの影 | 時間と精神をめぐるSF色の濃い一編。人格が入れ替わるという発想が核にある |
この系統が何を狙っているのかは「「宇宙的恐怖」とは何か」で扱った。怖いのは怪物ではなく、世界の前提が崩れることという原則が、最もはっきり出る系統でもある。
タイプ2: 怪奇・伝奇系 ── 因縁と血の恐怖
古い土地や一族にまつわる因縁、退廃、血筋の秘密といった、ゴシック・ホラー寄りの恐怖を描くタイプ。宇宙的な規模よりも、身近な土地や人間に潜む不気味さを味わいたい人に向く。
| 作品 | 読みどころ |
|---|---|
| インスマスの影 | さびれた港町の秘密に主人公が少しずつ気づいていくサスペンス。物語としての牽引力が強い |
| ダニッチの怪 | 辺鄙な村に生まれた異形をめぐる伝奇。人間の側が対抗手段を持つ、数少ない例でもある |
| チャールズ・ウォードの症例 | 先祖の秘密に取り憑かれた青年を描く長編。ラヴクラフトには珍しいオカルト・ゴシック |
| 壁のなかの鼠 | 一族の館に隠された過去を掘り起こす。降りていく構成が効く |
「まずは物語として面白いものを」という人には、この系統、とりわけ『インスマスの影』が薦められることが多い。
タイプ3: 幻夢境系 ── 夢と幻想の世界
夢の世界を舞台にした幻想譚の系統。ホラーというより、ロード・ダンセイニ風の幻想文学に近い。
| 作品 | 読みどころ |
|---|---|
| ウルタールの猫 | 猫を害した者に訪れる報い。短く印象的で、幻夢境入門にちょうどよい |
| セレファイス(小説) | 夢の中の理想郷を追い求める男の物語。情景描写が魅力 |
| 白い船 | 夢の海を旅する幻想譚 |
| サルナスの滅亡 | 滅びの伝説として書かれた一編。神話的な語り口が濃い |
| 未知なるカダスを夢に求めて | 幻夢境ものの集大成といえる長編。多くの要素が一つの旅として結実する |
この系統の語り口は、冒頭の一文からしてホラーと違う。
“It is said that in Ulthar, which lies beyond the river Skai, no man may kill a cat; and this I can verily believe as I gaze upon him who sitteth purring before the fire.”(訳: 「スカイ川の彼方に横たわるウルタールでは、何人も猫を殺してはならないと言われている。そして炉の前で喉を鳴らして座っている彼を見つめながら、私はそれを心から信じることができる」)[1]
伝聞の形で語り出し、語り手が炉端の猫を眺めている。 恐怖ではなく、伝説を語る口調から入る。クトゥルフ神話の「怖さ」を期待すると肩透かしに感じるかもしれないが、ラヴクラフトの想像力の幅を知るうえで欠かせない系統である。
系統をまたぐ作品
三つの分類は傾向であって、境界は緩い。またぎ方には型がある。
- 銀の鍵 — ランドルフ・カーターを主人公とする作品群は、幻夢境ものと神話ものを緩やかにつなぐ。夢の世界の話でありながら、神話側の存在も顔を出す
- 霧の中の奇妙な高屋敷 — 幻想の語り口で、触れてはならないものに近づく話。二つの系統の中間にある
- ダゴン(小説) — 初期作。怪奇の枠で書かれているが、後の宇宙SF系につながる要素が既にある
こうしたまたぎ方は、ラヴクラフトが作風を切り替えていった過程とも重なる。発表順に読むとその移り変わりが見えるので、興味が出たら「原典読解カテゴリーの楽しみ方——年代順で辿る」へ進んでほしい。
もう少し読むなら
代表作を読み終えて、同じ味わいを続けたくなったとき用の二歩目。
宇宙SF系の続き
- 闇に囁くもの — 手紙のやり取りで進む。相手が誰なのか分からなくなる過程が怖い
- 魔女の家の夢 — 非ユークリッド幾何学と魔女伝承が接続される。数学が怪異の道具になる
- 戸口に現れたもの — 人格の入れ替わりを扱う。『時間からの影』と並べると主題が見える
怪奇・伝奇系の続き
- ピックマンのモデル — 画家の絵の「モデル」とは何か。短く、落ちが強い
- 忌み家 — 一軒の家の来歴を掘り下げる。土地の記録という形式
- 祭り — 故郷の祭りに帰る話。日常から地下へ降りる構成
- ハーバート・ウェスト―死体蘇生者 — 連作。神話色は薄いが、後年の映像化で最も知られた作品の一つ
幻夢境系の続き
- 異形の神々の峰 — 地上の神々に近づこうとした男の話。幻夢境ものの中では恐怖寄り
- 流離の王子イラノン — ほぼ幻想文学。ダンセイニの影響が濃い一編
- エーリッヒ・ツァンの音楽 — 分類しにくい作品だが、幻想の側から怪異へ触れる書き方が近い
ラヴクラフトの先へ ── 系統は後継者にも受け継がれた
三つの傾向は、ラヴクラフト一人で閉じていない。彼と文通し、影響を受け合った作家たちが、それぞれ得意な系統を伸ばしている。
| 作家 | 得意な系統 |
|---|---|
| クラーク・アシュトン・スミス | 幻想寄り。異世界と滅びの美学 |
| ロバート・E・ハワード | 伝奇・冒険寄り。血と剣の側 |
| フランク・ベルナップ・ロング | 時間と次元。ティンダロスの猟犬の作者 |
| ロバート・ブロック | 心理と都市の恐怖 |
| オーガスト・ダーレス | 神話を体系として整理した側 |
ここから先は層が変わる。 当サイトはラヴクラフト原典と、ダーレス以降の拡張を分けて記録している。同じ神格の名前でも、誰がいつ書いたかで設定が違うことがあるためで、その分け方は「三層で読み解くクトゥルフ神話」にまとめてある。
ラヴクラフト以前に遡ることもできる。幻夢境系の源流にはロード・ダンセイニが、神話の固有名詞の一部にはロバート・W・チェンバースの『黄衣の王』(1895年)がある。
三つを行き来する
おすすめの進め方は単純である。まず惹かれたタイプの代表作を1〜2編読み、気に入ったら同じ系統を深掘りし、飽きたら別のタイプに移る。 行き来するうちに、同じ作家が書いたとは思えない幅が見えてくる。
三系統を一枚で見るとこうなる。
| 恐怖の source | 舞台 | 主人公の立場 | |
|---|---|---|---|
| 宇宙SF系 | 人間の尺度が通じないこと | 現実の地球(南極・田舎・都市) | 調べてしまう者 |
| 怪奇・伝奇系 | 血筋・土地・過去 | 古い町、館 | 巻き込まれる者 |
| 幻夢境系 | (恐怖が主目的ではない) | 夢の世界 | 旅する者 |
読む順番に決まりはない。そのときの気分に合った入口を選ぶことが、いちばん長く楽しめる読み方になる。どの本で読むかは「クトゥルフ神話の本の選び方」に目的別でまとめてある。
出典
- [1] “It is said that in Ulthar, which lies beyond the river Skai, no man may kill a cat; and this I can verily believe as I gaze upon him who sitteth purring before the fire.”(訳: 「スカイ川の彼方に横たわるウルタールでは、何人も猫を殺してはならないと言われている。そして炉の前で喉を鳴らして座っている彼を見つめながら、私はそれを心から信じることができる」、作品冒頭の一文) — H. P. Lovecraft, “The Cats of Ulthar”(1920年発表), The H. P. Lovecraft Archive ↩


